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波乃光子さん 

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2017年10月18日(水)17時30分31秒
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               波乃光子さん 




 七十五歳になりました。若き日の思い出、いや今でも思っています、波乃光子さん。話
せば不思議な思い出となります。最初にちらっと彼女の名前を耳にしたのはおそらく高校
三年のときか。いやもっと前から噂は聞いていたようでもある。それは中学時代か。終戦
という言葉のごまかしもあるが実質敗戦の日本国。中学時代は昭和三十二年でおわった。
あれから六十年がたった。それでもあの鮮烈な光子さんのことをいまだ思っているとは、
これまた驚異的というかしつこいというか。たぶん当時は波乃さんでなく直接的な光子さ
んだった。
 光子さん、まさにその名前どおりの光り輝く存在だった。それが高校時代、どちらかと
いうと波乃さんとなんとなくかしこまった存在になった。すこし大人の世界に近づいてい
ったのか。格式が高くなって寂しい気もした。憧れの光子さんはどこへ行ったのか。その
後、生活のためともかく目先の仕事で手一杯、すっかり波乃光子さん記憶の中にはいたが
具体的な対象として意識したことはなかった。されど今になって考えると、いろいろお世
話になっていたのである。

 目先の仕事をリタイヤーし少し余裕をもって世界を見渡せるようになったある目のこ
と、とある雑誌を見ていたら彼の波乃さんに関する記事に出会った。それを見て青春時代
の作と時を思い出した。その雑誌の名は『数理科学』二〇一四年一月号である。特集とし
て「波と粒子にとある。副題として「『光子の裁判』を通して見る量子の不思議」となっ
ている。波乃光子さんとは、朝永振一郎博士による素粒子の一つである「光子」(フォト
ン)についてのエッセー「光子の裁判」の中に出てくる、現代風にいえばキャラクターで
ある。これは科学の工ッセーとしては今なお名作といわれている。
 この命名、実に含蓄があるというかおもしろい。ところでこの「光子の裁判」なる原典、
話に聞いたことはあるが読んだことはなかった。現在ではこれらをインターネットで調べ
ると、即あきらかになる。「光子の裁判」は講談社学術文庫三十一『鏡の中の物理学』(朝
永振一郎)の中に記載されているということが解った。大した値段でもなくアマゾンにて
購入。

 この本、以下のものが収録されている。
「鏡のなかの物理学」、「素粒子は粒子であるか」、「光子の裁判」の三編である。
まず「光子の裁判」である。これを読む前までは「コウシの裁判」と読んでいたが朝永振
一郎博士の巧妙な筆の勧めによって途中から「ミツコ」と読むようになる。内容は一個の
光子が第一のスリッ卜を通過した後、第二のスリット(二個のスリットがある)を同時に
通り抜けるという実験事実を説明するものである。
 この光子、量子力学的な素粒子であり、我々が日常生活での体験からもっている粒
子の属性と全く異質なものであり、前述したように同時に両方のスリットを通過するとい
う常識からかけ離れた事実がある。この事実をわかりやすく説明するため波乃光子という
キャラクターを登場させ裁判という手法を用いている。
 その裁判は光子さんが門衛のいる門を通り前庭に入り、そこから建物の中に侵入する。
その方法として、二つの窓があり、そのどちらを経由し部屋へ侵入したかということが裁
判の争点となっている。そのなかで、被告光子の弁護人として朝永博士は量子力学の確立
に功績のあったディラック博士を引っ張り出してきている。
 この裁判という形式をかり、作者の朝永博士は量子力学の基本的考え方をディラック弁
護士の弁護を通して語っている。その裁判の中での実地検証には、物理学実験で粒子の検
出に用いられる霧箱というものがあるが、そのアナロジーで思わせる方法を用い「キリバ
コ法」と称している。もちろんこの「キリバコ法」、現実の裁判での検証には適用できな
いと思うのであるが、一つの思考実験と考えればよいのでは、この検証を通し、被告波乃
光子は二つの窓両方を同時に通過侵入したという事実を認めざるをえないのである。
 この光子は実体であり、いわゆる素粒子の一つである、この光子、一人でもあたかも分
身の術を使うかの如く同時に二つの窓を同時に通り抜けるという事実がある。これはわれ
われの持っているあるいは実感している生活空間での論理が通用しないように思われる。
ここで朝永博士が言っていることは論理が通用しないのではなく、我々が粒子という
ものに持っている固定概念からくる論理がおかしいのであって、実験事実(事実)が正し
いのであり、それに合わせて論理をくみたてるべきであると言っている。
 すなわち、一人の光子は二つの窓のうち必ず一つの窓を通る可能性のみと考えるのでは
なく、一人の光子は二つの窓を同時に通り抜ける可能性もあるという論理も考えねばなら
ないと述べている。これは量子力学的世界の実体である。光子ばかりでなく、電子などそ
の他の粒子についても同様である。じつはこのような実験は、電子に対して行われたもの
が先行しているようである。

 この小論「光子の裁判」いまだもって名著であると言われており、これについての評論
も多い。さきに光子の裁判を読むきっかけとなった雑誌『数理科学』二〇一四年一月号に
も四編の解説があり、さらに二編のコラムがある。インターネットで「光子の裁判」を検
索すると数多くヒットする。これらは著名な物理学者など、その方面の権威ある方々によ
るものが多い。これに対して浅学な自分がこれ以上のことを書いても、馬鹿さ加減をさら
すだけなのでさらなる解説はやめる。自分でこの「光子の裁判」を読んで自分なりのもの
としていただきたい。
 一つだけあえて解説するとしたら「波乃光子」という含蓄のある名前について、「光子
の裁判」においては一貫して被告は波乃光子という個人名で呼ばれており、光子が実体の
ある粒子であるように書かれていることである。事実、光子というものは二十世紀になり
明らかになったものであり、それ以前は波(波動)と考えられていた。
 歴史的には、近代物理学の始祖ニュートンは光を粒子と考えていた。その後、光の千渉、
回折などの現象が認められてホイヘンスにより波動とされた。その波動の実体について十
九世紀半ばにマックスウェルが明らかにし、電磁波動であるということになった。ここか
らまた謎が謎を呼び、現代物理学が誕生することとなった。まず光を含む電磁波が波動と
いうことがわかったが、波動というもの、エネルギーが何かある物休中を伝播していく現
象であるが、電磁波を媒介する物体は何かということになった。とりあえず「エーテル」
というものが仮定された。この「エーテル」の名残りが、今でも電磁場の方程式に登場す
る記号《ε》として残っている。
 このエーテルを追及していったが発見することができなかった。というよりエーテルの
存在は否定されたのである。これが天才アインシュタインの特殊相対性理論である。相対
性理論までは古典物理学の範疇に入るようである。これによると、電磁波の媒体ば空間そ
のものであり、その歪みが波動として仁播するということである。一方、光の放射現象を
研究していたブランクは光波動と考えたが、最小単位より構成されていると考えざるを得
ない研究成果を得た(プランクの黒体放射の法則)。波動であるならば連続な現象であり、
最小単位などはふつう考えられない。
 ここでまたまたアインシュタインの登場である、光電効果というものがある。これは光
が金属に当たると電子が放射されるものである。この説明で彼は《光量子》仮説を提案し
た。アインシュタインという人は相対性理論で有名であるが、ノーベル賞はこの光電効果
の理論的解明により受賞してしる。この光量子という考え方を支持するさらなる実験結果
が報告されて、光は粒子であることが証明された。同じ頃、ものの最小単位を追及してい
た物理学者はついに原子まで到堵した。ここで電子と原子核により原子は構成され、さら
に原子核には陽子と中性子が含まれることがわかってきた。
 この時点で、いわゆる原子というものと光子との交点が明らかになり、現代物理学であ
る量子物理学が完成した。この量子物理学、我々の日常生活で実感する常識をはるかに超
えており、正確には言葉で表すことが難しい。よってその表現は数式を用いたものとなる。
そこでは光子、電子などの正体が波動とも粒子ともとらえられる奇妙な実体としてとらえ
られている。「光子の裁判」の被当の姓が波乃となっているのは、この微妙なところを表
しているのである。
 この粒子性と波動性、一体どう考えるべきか、単にある面では粒子、ある場合には波動
ととらえられると単純に考えていたが、この「光子の裁判」を読んでそんな単純な考え方
ではないと思い始めた。この「光子の裁判」では、考えられる光子の実体について弁護人
ディラック博士の見解が述べられている。
 《すなわち一つの光子は無限次元のヴェクトルの重ね合わせでありそれらが共存してい
る。たとえば通常の空間においてX方向とY方向のヴェクトルの和はX方向ともY方向と
も違う方向を向いているが、だからといって全く別の独立したZ方向を向いていると言え
ないのと同じである。すなわち光子が二つの窓のうち一つを通る状態を窓1、他の窓を通
る状態を窓2と書くと、実体の光子は(窓1十窓2)であり窓1でもなく窓2でもない第
三の状態である。第三の状態といっても窓1及び窓2と全く無関係に別のところにいると
考えるわけにはいかない、このような状態を光子が窓―と窓2を通り抜けるという言葉で
表現した心である》(ディラック弁護人の弁護を順序変更し書き写したも)
 ともかく、日常的経験ではありえないことを日常使用する言語で表現することはたいへ
ん難しい。この光子、実は波動関数というもので表される実体であるが、この波動関数と
いうものについての解釈がまた大変である、これらのことを数式も入れずにここで説明す
ることは、小生の理解をもってしては不可能である。ともかくこの光子、現在では素粒子
の仲問としてあつかわれている。粒子というからには、何かきちっとした境界を持ち大き
さがあり質量があると常識心考えるのであるが、この「光子」という粒子、質量はゼロ、
大きさ?、運動量、エネルギーを有し、さらにその速さ宇宙随一でありそれより速いもの
はない。
 これらのことを、量子力学の教科書ではいろいろと説明している。「光子の裁判」を読
み、改めて量子力学の教科書をひっくり返した。学生時代いろいろ苦労した跡が出てきた。
各ページにいろいろ書き込みをしたり計算した跡が残っている。それでも今「光での裁判」
を読んで理解できなかったことが多々あった。ということは、要するによく理解していな
かったというより単に通り抜けたということのようである。

 現在物理学の先端は、量子力学と相対性理論などを基礎にした素粒子論と大統一理論で
ある。この素粒子論、日本はどちらかというと特異な分野でありノーベル賞をこの分野で
いくつももらっている。最近はニュートリノ関連で受賞したことが記憶に新しい。とはい
っても、名前は聞いたことがあるがこの素粒子論、まったくわからない。さらに大統一理
論など、今まで名前も知らなかったが、ニュートリノ関連でのノーベル賞受賞により出版
された科学雑誌を読んで初めて認識したしだい。
 それによると宇宙には「電磁気力」「弱い力」「強い力」「重力」という四つの力があり、
これが宇宙の現象を支配していると考えられている。現在「電磁力」と「弱い力」は統一
的に理解されている(電弱統一理論)。現在はこの「電弱力」と「強い力」を統一的に理
解する理論(大統一理論)の完成に向け研究中とのことである。このようなことであるが、
実のところその中身についてはさっぱりわからんというのが本音である。
 これらの力はそれぞれ力を伝える素粒子がある。「電磁力」は「光子」を媒介とし「弱
い力」は「ウィークボソン」が媒介している。「強い力」は「グルーオン」が媒介し、「重
力」は最初に発見されているものであるが、それを媒介する素粒子(グラビトン)はまだ
発見されていない。この重力も組み込んだ超大統一理論(?)というものがいずれ完成さ
れるであろう。
 ともかくこれらの素粒子、発見されると世界的なニュースになり、発見者及びそれを理
論的に予見した人はともにノーベル賞を受賞している。その他、素粒子は万物に質量を与
えるビッグス粒子というものもある。これまで記載した素粒子は力を媒介したり質量を与
える素粒子であるが、物質を形成する素粒子は「クォーク」(六種)と電子ニュートリノ
(六種)がある。これらのことは雑誌の読みかじりであり、これ以上のことはまったくわ
からない。
 さらにヒッグス粒子を除いた他の粒子は、各々反粒子なるものがある。反粒子、例えば
電子の反粒子は反電子(陽電子)と呼ばれている。これらを論理的に理解しようにも、こ
れらの雑誌は結果だけを書いていてその理論は説明してくれない。もっとも理論が説明さ
れていてもまったく理解できないと思うが。ここにきてある本を見つけた。『素粒子論は
なぜわかりにくいか』という題名の本である。この本、まだ読み終えたわけではないが、
ちょっとさわりをみると、これらの素粒子、各種実験事実を説明するために考え出された
ものである。
 素粒子物理学はまだ発展途上にあり、その進展とともに早の説明の力点が変化している。
その実態は場の量の量子化であると言っている。すなわち実体というより、数学的な必然
性によりそのようなものが必要になるということらしい。これを自分なりの解釈で翻訳し
てみる。たとえば負の数というものがある。現在では実体として考えられている。この負
の数、中国やインドでは紀元前後から、アラブ世界ではすでにを学び、継承し発展させた
西欧世界においては、十七世紀までこの負数は認知されなかった。
 実際に負の数を考えてみると、抽象化した数という概念で見ると何ら不思議ではないが、
実際のものとの対応で考えると、例えば石一個というのは、具体的にそこにものがあるか
ら簡単に認識できる。ところが石マイナス一個というのは目に見えるものではない。いろ
いろなことを想像しなければならない。一個足りないとか欠如していることを表現してい
るのであるが、このことを現実の数の体系の中に組み込み実体とするまでには、それなり
の思考空間の拡大が必要であった。
 今日我々は負の数が実体の数であることに対して何ら不思議に思わない。一つの数学的
技法である。ほかの例として虚数というものがあるが、これが想像なのか実体なのか、少
なくとも十七世紀までは現実の数として認知されていなかったものである。これらの負数、
虚数など、人々の数に対する素朴な認識、すなわち現実のものとの対比に対しての違和感
があったのだと思う。しかし負数あるいは虚数への数の拡張は従来の算法の延長上になさ
れたものであり、当初は抽象的概念であったかもわからないが、現在の我々にとって何ら
抽象的かつ違和感を持つものとしては考えられない。しかしながらこれらのもの、負数、
虚数などいずれも一つの概念を厳密に定義すると必然的に認知されるものなのである。お
そらく素粒子は、そのような意味で具体的実体が見えてくるのではないかと思っている。
 また別の例として考えると、半導体というものがある。現在の産業というより社会の基
盤を担っている素材である。この電気的特性を担っているものが電子と正孔と言われるも
のである。その中で電子、これは明らかに実体である。ところが正孔、これは名前の通り
何もない穴である。はっきり言えば結晶中の格子欠損である。この正孔を空でありながら
理論的扱いでは実体のあるものとして扱う。これにより半導体内の電気的特性が正確に予
測できるのである。予測が正確にできるということはそのモデルは正当である。ここで正
孔は実在のものと考えられるようになった。
 二十世紀初頭の人にとって原子とは、原子核がありその中に陽子と中性子がありその外
側を電子が回っているという前期量子モデルを理解できなかったように、現在我々が素粒
子論並びに統一理論などの先端のことを理解できなくても何ら不思議ではない。言えるこ
とは、先端の素粒子論というもの、原子核内部のような極めて微小で不可視の世界の中で
のことを、実験事実という証拠をもとに解明する過程において、素粒子というものが媒介
して力の交換をすることにより原子が安定に存在するという結論が導き出され、今のとこ
ろ論理的な破綻を起こしていない。おそらく、というよりほとんど真理であると思ってい
る。
 しかしながら量子力学の構築時にアインシュタイン博士はその確率論的構造を疑問視
し、「神はサイコロを振らない」と言って何かミクロな世界の記述法として量子力学の表
現法以外の力学の方法がないかを生涯考えていたそうだ。この問題、ほかにもいろいろな
人が追求したが、今のところそういった構造をもった力学の体系はありえないという結論
にいたっているようだ。ここで、この素粒子の問題は多数の粒子を用いる他に解決方法は
見いだせなかったのか。おそらく百年後、あるいはもっと後になったら、その解答は見い
だせるかも。
 もし地球外に知的生命があり彼らが宇宙の構造を追求していったら、同じような構造の
理論体系を構築するのであろうが、同じような論理構造を持つのであろうか解答のない思
いをふと思った。

 さてまた波乃光子に戻ると、私にとっては不思議の基である。その出会いは序文に記し
たが、直接の出会いは大学時代である。大学では電気工学なるものを専攻した。これが具
体的な付き合いの始まりである。電気の分野では、まず電波というものがあるがこれは明
らかに波動として扱う。また電力の分野ではまさに水のような流れでかつ非圧縮性の流体
というイメージであり、粒子性より連続性が強調される。また電子工学には真空管、トラ
ンジスタなどの動作の説明では電子を粒子と考えて取り扱う。
 要するに工学は実用の学であり、経験を理論的なものが補で十分な場合がほとんどであ
る。よって波になったり流体になったり、粒子になったりするのである。勤め人となった
時はいろいろやった。一番長い間の経験はテレビカメラの開発設計であるが、これはまさ
に光と電気の接点である。とはいっても、波動性、粒子性などまったく意識の外であり、
要はいかにしてTVカメラとして優秀なものを生み出すかにあった。優秀とは単に性能の
ことではない、価格、作り方、見た目の良さなどいろんな評価項目、すなわち商品価値と
しての優秀さ、それらが少しでも向上するように工夫していくことであった。
 すなわち工学的立場でありそのようにして過ごしてきたが、今、工学的立場を離れた立
ち位置に立っている。ここで今までおろそかにしていた生き方というか、無用の用という
ものを思うようになった。物理を再学習してみようと、少しずつであるが手をつけてみた。
「光子の裁判」を学習したのもその中のひとつである。
 なにしろ歳である、なかなか頭に入っていかない。残りの人生も少なくなった。それで
も若い頃のように試験や実利に追いかけられることもない。できる範囲でのんびりとやっ
ていこうと思っている。おまけにボケ防止になるという実利もある。趣味としては悪くな
い。これと毎日の散歩、散歩しながらいろいろ考えることもできる。この生活ができるだ
け長く続けられるよう精進していくつもり。


・参考としたもの
 鋭の中の物理学    朝永振一郎     講談社学術文庫
 目にみえないもの   湯川秀樹           講談社学術文庫
 物理学をゆるがすニュートリノ       NEWTON別冊 ニュートンプレス
  現代物理学の系統                       NEWTON別冊 ニュートンプレス
 数理 科学 波と粒子  二〇一四年一月  サイエンス社
 素粒子論はなぜわかりにくいか 吉田伸夫  技術評論杜

その他量了力学の教科飛]としては
 量子力学I・H    朝永振一郎     みすず書房
 ファインマン物理学V ファインマン    岩波書店(砂川重ぱ訳)
 が面白いと思います。ほかには
 量子力学       ディラック     岩波書店(朝永振。郎他訳)
が定評がありますが簡単には読みこなせないと思う。

斜光22号 2017

       二つの窓を同時に走り抜ける光子さん
          
           日経サイエンス2014.1月号より

1075

 
 

潜 水 艦

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2016年10月23日(日)12時05分38秒
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               潜 水 艦 




 今日、知らない人はいないと思われる軍艦の種類である。現在ではその隠密性、攻撃能
力の高さから主力艦の地位を列国海軍の中で占めているといっても良い。さて、この潜水
艦、その構想は古くからあったと思われるが、実用に耐えるものが出現したのは、材料
(鉄鋼)電機、化学(電池)などの近代重化学の要素がそろってくる、二十世紀になって
からである。

 最初の近代的潜水艦は一九〇〇年、米国のホラント号をもって嚆矢(コウシ)とする。これ
が本格的に用いられたのは一九一四年に始まる第一次世界大戦である。この戦争の当初、
ドイツ帝国が積極的にこれを活用した。海軍力において英国に劣るドイツ帝国は、現在言
われている非対称戦略の一環として活用したのである。当時の最新鋭兵器であり、その対
処法が確定していなかったことなどがあり絶大な効果をあげた。しかしながら、当初中立
を保っていた米国人が多数犠牲となったルシタニア号の撃沈などがあり、若干その活動が
消極的になるなどの経緯もあったようである。
 戦争後半、ドイツは再び無制限潜水艦戦を開始、イギリス商船は多大の損失をこうむっ
た。これに対し、英国は護送船団方式を採用してドイツ潜水艦の脅威をかなり低減するこ
とに成功した。それでもドイツ潜水艦による成果は第一次世界大戦期間中で五千三百隻、
一三〇〇万トンに及んだという。この戦争において潜水艦の有効性が立証されたとの認識
より、列強各国は本格的に潜水艦の運用を行なうようになっていく。
 この後の大戦間といわれる期間、各国は潜水艦の有用性に注目するも、戦後の平和ムー
ドならびに戦争における膨大な戦費の付けによる財政難などにより、特に目立った動きは
ない。その間、ドイツはベルサイユ条約により潜水艦保有を禁止されたが、一九三五年以
降ナチス政権による再軍備が始まると海軍も再建を始める。その時、完成に時間のかかる
戦艦、巡洋艦などの水上艦艇よりも潜水艦の量産に注力した。これが第二次大戦初期にお
けるドイツ潜水艦隊による英国封鎖に多大の威力を発揮した。
 また米国も潜水艦の活用を当初日本海軍と同じく艦隊作戦を目的としていたが、日本海
軍の真珠湾攻撃後、想定していた事態の変化によりその方針を一変し通商破壊作戦へと変
更した。これは結果的に見ると大成功であった。米国潜水艦部隊の対日戦での成果は商船
千百十三隻、四七九万トン、艦艇二百一隻、五四万トンであり、日本の喪失艦船の五五パ
ーセントにも達する。この数値は日本の兵姑を破壊したというに充分な値である。日本の
兵姑はほとんどこの潜水艦によるものであるといわれている。
 一方、喪失した潜水艦は五十二隻であった。これだけの戦果を揚げることが出来だのは
米国潜水艦の能力もあるが、基本的には日本海軍の対戦能力の低さと作戦の失敗にあると
思う。これについてはいろいろな意見もあるが私の思いは後述する。

 一方、日本海軍は潜水艦にどのように対応したか、以下述べる。日本海軍も潜水艦をそ
の隠密性という特性に着目し重要な艦艇として重視した。ただ海軍は通商破壊の道具とし
てではなく、限りなく対艦艇用兵器としてみていたようである。そこで、日本海軍の潜水
艦は潜水する艦艇というより、必要なときの潜水可能ないわゆる可潜艦としての性能を重
視したものとなった。これは何も日本海軍のみでなく世界各国共通のことではあるが。当
時の技術では真の意味での潜水艦を実現することは不可能であった。これは戦後原子力を
利用することにより実現した。
 その中でも、日本海軍はいわゆる艦隊型潜水艦に注力した。日本海軍ではこれらを敵艦
隊の動向、あるいは敵軍港などの施設の偵察などを主目的とした巡潜型と、艦隊決戦の前
に敵艦隊に接触し反復攻撃を行なう目的の海大型として用いた。巡潜はその目的より長大
な航続力を、海大型においては艦隊と共に行動するため速力(水上)を重視した。
 その後技術の進歩に伴う機関出力の増大などがあり、巡潜の速力が向上し昭和十年前後
よりこの両艦種は統一され甲、乙、丙にと統合されていった。これらの区別は、主に司令
部機能がある、あるいは偵察用小型飛行機の搭載能力がある、などである。特筆すべきは
飛行機の搭載である。勿論、その主たる用途は偵察である。飛行機搭載といってどのよう
に運用したかというと、飛行機の発進は勿論浮上中にカタパル(火薬)で打ち出し、撤収
は水上に着陸した飛行機の近くに浮上しクレーンで吊り上げ収納する、という方法により
運用した。
 当然、飛行機は下駄履きといわれるフロートつきの小型機である。海軍はそれ専用の零
式小型水上偵察機を開発した。各国海軍においても潜水艦に搭載する飛行機について研究
開発はなされたが、本当の意味で実用に達しだのは日本海軍のみである。ちなみにその効
果のほどはほとんど無いと思うが、この零式小型水上偵察機が米国本土を爆撃した唯一の
日本の飛行機である。
 この技術の延長上に、大型攻撃機晴嵐三機を搭載したイ四〇〇シリーズがある。これは
当時としては世界最大の潜水艦であった。これについて色々な見方があり、人によっては
戦略的に革新的であるとの意見もあるが、私はそれほど評価していない。日本海軍の悪い
癖というか、八方に手を出し、どれもまともに育だない袋小路の一つであるように思える。
色んな方面にその可能性を求め研究することは悪いことではないと思うが、戦争開始後の
切迫した情勢で注力する方向を決定しないで、漫然と色んなことに手を出すことはある意
味では悪あがきのように思う。ただこれだけの技術、それなりに大変な努力がなされたの
だと思う。

 ここで第二次大戦中の各国の潜水艦のスペックというようなものを調べてみると、各国
ほとんど横並びというか、突出したものはない。勿論違いはある。特にその大きさ、日米
のものは広い太平洋での使用、さらに艦隊型の傾向があり大きい。ドイツは潜水艦単独使
用さらに通商破壊むきということで、多少小型の傾向がある。
 潜水艦の主要性能である潜水能力はほとんどが水中速度七から1〇ノット(時速一三キ
ロから一八キロ)で、ほぼ自転車くらい。安全潜行深度は初期のものは八〇メートル、後
期のもので一二○メートル(米国)、一〇〇メートル(日本)、ドイツでは二〇〇メート
ルに達したものもある。
 水上速度は一七から二三ノッ卜くらいである。当時、艦隊型潜水艦として日本海軍の潜
水艦について、関係者は細かい問題は多いが少なくとも世界先端を行っていると考えてい
たようである。

 さて、ここで太平洋戦争における日本潜水艦の戦績について調べてみる。じつはその戦
績というものほとんど見るべきものがない。特に通商破壊についてはその記録も良くわか
らないところがあり正確さにかけるが五一万トン、隻数にして九十八というのが見つかっ
た。これと米国潜水艦の戦果と比べると、驚きというか開いた口がふさがらない。なぜか。
ここに我々の行動パターンの一つがあるようにみえてならない。
 基本的には、日本人の戦争というものに対する認識が根本にあるように思える。古代か
ら奈良時代まで日本には国家としての軍があり、そこにはおそらく国という概念があり、
そこに住んでいる人を他国から防御するという意識はあったと思う。ところが平安時代に
なると中央集権体制が崩壊し、そのなかから新たな兵としての武士が台頭してくる。
 この武士、戦士ではあるが国家の兵士ではなく、あくまでも私兵である。その戦争形態
も私権を守るための戦、あるいは傭兵として雇い主の利益確保のための戦であり、相手の
直接戦力に損害を与えることが目的であり、周辺の戦士でない普通の人々は戦争の対象と
はならなかった。武装集団同士の局地戦の発想である。これが中世、近世と続く武士政権
の根本にある。
 明治になり国家として軍(国軍)を創設した時期、それを推進したのは主として武士階
級出身である。中央集権的な国家が創設された。そのなかでも国軍の創設はこの中央集権
体制の目玉であった。この国軍、創設時の指導者は旧武士階級出身であり、指導理念に武
士階級の遺伝子があり指導理念の中に残ったのではなかろうか。明治期、近代国家創建に
夢中の時代、近代化(西洋化)がその遺伝子の負作用を抑え、明治期の陸海軍が西洋諸国
より賞賛された面もある武士道として正の作用として発揮された。
 それから一世代を経た昭和の軍において組織の巨大化に伴う官僚主義が台頭し、そこに
教条主義的思考が広がり柔軟性が失われていく。このような雰囲気の中、太平洋戦争にお
ける海軍の作戦指導においては潜水艦の最大の役割を艦隊決戦とした。通商破壊(商船攻
撃)を重視しなかったこと。これはまさに戦争観にあると思う。
 この軍同士が直接争う前線重視の考えかた。これはまた情報の軽視にもつながる。日本
海軍は潜水艦の隠密性という特徴を活用しようとした。しかしこの隠密性とは、当時はこ
れを視覚的に不透明であるということと考えたのであろう。しかし物の存在の情報は視覚
から得られるばかりではない。潜水艦の活躍する水中では視覚情報は重要ではない。見え
ないから隠密性があると思ったのであるが、水中は聴覚の情報が支配的である。当然海軍
当局は知っていたと思うが、当時の日本の技術ではそれを活用するには力不足であったよ
うだ。それに輪をかけ情報の重視という視点が抜けていたため、音響探知のための努力が
足りなかったようだ。
 自分たちが実現出来ていないことは、当然相手もまだ充分ではないと短絡的に思ったと
しか思えない。相手の実情を良く知らなかったのではなかろうか。確かに一九四〇年の当
時はそんなに差はなかったのかも。しかしその後の展開は雲泥の差があるように思える。
さらに音の情報を活用できない日本海軍の潜水艦の発生する騒音レベルは、米英独の潜水
艦に比べ非常に大きかった。これは音の情報に注意が行かなかったことばかりではなく、
当時の日本の技術水準の低さも関係があると言われている。工作機械、あるいは品質管理、
材料など、どれをとっても他の諸国に及ばなかったという面もある。
 同じように前線重視、情報軽視、兵姑軽視という面で見ると、相手の情報活用の稚拙さ、
あるいは考慮していたかということ。この「潜水艦」という一文を書くため色々調べてみ
ると面白いものに出会った。
 それは日本商船に対する米国潜水艦による攻撃についてである。広い太平洋で運動して
いる目標に出会う機会は通常は非常に低く、出会うことは困難である。米国潜水艦が日本
商船をかくも大量に撃沈できたのはその出会いにあるとしている。まず潜水艦にレーダー
を装備しているにしてもそのアンテナ位置は低く、走査範囲はせいぜい1〇キロ四方ぐら
いであろう。それは広大な太平洋の中では点に過ぎない。これで商船を見つけ近づき攻撃
したとはとても思えない。では、なぜか。それは米国が日本商船の航路を指示する暗号を
解読し活用していたためであるとあった。しかも日本はこのことに少しも気付いてなかっ
たとある。これではやりたいほうだいである。
 日本も商船による物資輸送の重要性を認識し始め、海軍は連合艦隊とは別の組織である
海軍護衛総司令部を遅まきながら発足させたが、艦船不足、探索機器の貧弱さ、対潜兵器
の性能不足などの条件があり、米国潜水艦の活動に何らの抵抗も出来なかったと言うべき
であろう。
 このように周辺条件全て劣勢である。直接的には運用法の間違いと数的劣勢だろう。
 太平洋戦争に就役した日本潜水艦は統計により多少の差があるが、開戦時保有数六十五
隻、戦時中完成が百二十六隻、喪失が百二十九隻、残存が五十七隻とある。図1に、小生
がある資料から作成した潜水艦の動態を示す。
 一方、米国海軍は同じ時期に二百二十六隻の竣工である。しかも量産態勢のため、たっ
たニタイプに限定している。この間、日本は色んなタイプのものを数隻ずつ生産している。
このような日本海軍も戦争後半(一九四三年)になると、さすがに従来型の艦隊潜水艦は
通用しないとし方針を変更、水中高速潜水艦を計画した。奇しくもドイツも水中高速タイ
プに切り替えていく。この二国とも、米英連合軍の対潜能力の大幅な向上により、もはや
従来の流れを汲む潜水艦の活動するところはないと観念したのである。
 しかしこれらの水中高速タイプは、いずれも初期トラブルなどにより実戦力とはなりえ
なかった。ちなみにドイツにおいては百十九隻完成。しかし一九四五年四月末になってや
っと作戦投入では、如何ともしがたいところである。一方日本では三隻竣工したが、トラ
ブルなどにより作戦投入はなかった。
 これに対し連合国側においては、水中高速タイプの潜水艦の開発の兆しはなかったよう
である。もっともこの水中高速タイプ、これが戦後の潜水艦の主流となりその歴史を切り
開いていく。これに開眼するのが遅かったと言うべきか、それとも人は失敗し追い詰めら
れなければ新たな発想、転進が出来ないのか。考えるべき問題である。

    

 ここで第二次世界大戦は終了する。戦後潜水艦はどのように変遷したか。
 今度こそは紛争のない世界が出現することを願望されたが、そうはならなかったようで
ある。すぐに米国とソビエトとの対決が始まった。
 戦後の潜水艦革新的技術の改革により、真の意味での潜水艦が出現した。まずはドイツ、
日本がつばをつけた水中高速型の出現である。そのときの水中高速潜水艦の動力はディー
ゼルが主である。実験的にはドイツで実験されたワルタータービン方式もあった。ワルタ
ータービンは過酸化水素を用いるため酸素を外部から取り入れる必要がなく、真の潜水艦
が実現出来る可能性があるが、過酸化水素の取り扱いが非常に危険であり実用化されるこ
とはなかった。
 酸素補給がなく運用できる真の潜水艦は、原子力の利用により可能になった。原子力利
用の潜水艦は米国のノーチラスが最初である。これは一九五四年竣工した。その後、原子
力潜水艦の保有国はソビエト、英国、フランス、中国となって現在に至っている。

 ここで、戦後日本海上自衛隊における潜水艦について述べる。
 一九五五年、米国より第二次大戦型潜水艦が貸与され、「くろしお」と命名されたもの
が海上自衛隊における潜水艦の嚆矢である。これは以降の潜水艦隊の訓練、乗員養成、運
用法の研究、果ては以後の建造の参考とハード、ソフト両面で大きな貢献をした。その後
国産一号として「おやしお」が一九六〇年に竣工した。これは水中高速性能を高めた、戦
後型の艦である。なお設計には旧海軍の技術的な蓄積、米国海軍の支援などもあり完成。
旧海軍の水中高速型(潜高型)に良く似ている。
 これから数代の潜水艦の名前は「○○しお」がつづく。それが変更されるのは二〇一一
年竣工の「そうりゅう」型からである。これは現在ディーゼルエンジン使用の潜水艦では
世界最高と言われているが、本当のことはだれもわからない。確かにその大きさ四〇〇〇
トン以上と、これだけはディーゼル艦で世界最高であることだけほまちがいない。
 また、海上自衛隊では先の戦争で米国潜水艦に打ちのめされた深い反省から、対潜作戦
を重視している。これは反省ばかりでなく戦後の冷戦構造も深い関係がある。米国に対抗
するソビエト潜水艦の数および能力の上で実力が高く、極東地域の海底で冷たい睨み合い
がつづいていた。海上自衛隊では、米国と力を合わせソビエト潜水艦の監視態勢を強化せ
ざるをえなかった。それが現在の自衛隊の対潜の力を高め、米国に劣らない能力を有して
いると言われるまでになった。
 一方潜水艦本体について言えば、騒音の発生レベル、これも先の大戦で負けた要因の一
つであるが世界一静かであると言われている。騒音の発生は潜水艦の隠密性を減少させる
重大な欠陥である。これらは全て噂というか風説であり、本当のところは全くわからない。
原子力潜水艦は原理的にタービンを有し、その回転音ならびに減速ギアーなどの騒音は
ディーゼル型(海中では電気モーターで推進)にくらべ騒音が大きいと言われている。
 さて性能であるが、速度水中二〇ノット、水上一二ノットといったところ。また実際に
どのくらいの深さまで潜れるかという潜行深度、数値は一切公表されていない。
これについて勝手に想像してみる。戦後最初の国産艦「おやしお」から「そうりゅう」ま
では、その耐圧殻に使用された鋼材の強度は約三倍となっている。発表されていないが「お
やしお」は潜行深度一五〇メートルであったようである。これから推定しておよそ「そう
りゅう」クラスでは五〇〇メートルと推定している。実際は、ある風説では八〇〇メート
ルというのもある。ともかく第二次大戦当時と比べ大幅に増大しているようである。

 現代の軍事技術は攻撃力が非常に卓越している。軍艦について言うと、第二次大戦時の
戦艦に象徴されるような分厚い装甲に守られていることはない。もし攻撃されたことに気
付くのが少しでも遅れると、それは死を意味するのである。いかにして攻撃を感知し対処
するかということが課題となっている。
 潜水艦は、確かに隠密性は高いが、もし発見されると非常に脆弱である。いかにして見
つからないようにするか。静粛性、潜行深度などが重要な生存のポイントとなっている。
そのような点で日本の潜水艦は高い評価を得ているが、実際には使用してみないとわから
ない。そんな事態が起こらないことを希求しているが。そこでカタログスペックというも
のの効果は、相手に心理的圧力をかけ攻撃を抑止する力になると思う。そのような意味で
より性能の高いものを完成させたいものである。

 ※参考としたもの
日本潜水艦史       世界の艦船別冊  海人社
アメリカ潜水艦史          世界の艦船別冊  海人社
ナチスuボート            世界の艦船別冊  海人社
海上自衛隊潜水艦史        世界の艦船別冊  海人社
日本の軍艦                福井静夫   出版協同社
Wikipediaなど

斜光21号 2016年10年10月

    
       2016年3月末に就役したそうりゅう型潜水艦第7番艦の「じんりゅう」呉にて (α編集部)

800

 

ジャンボ

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2015年10月18日(日)17時48分33秒
                                                       .
             ジャンボ


 ジャンボとは、もともとは一九世紀末にヨーロッパ諸国にアフリカで捉えられ、ヨ
ーロッパの動物園で飼育された巨大なアフリカゾウにつけられた愛称が元である。そ
の起源はスワスリ語にあるらしい。スワスリ語の挨拶の「JANMB〇」と酋長を意
味する「JAMBE」がもとである、とwikipediaにある。現代の日常に普
及している言葉としては大変珍しい、アフリカに起源を有する単語であるらしい。
 現代では、ジャンボとは「巨大な」という意味の接頭語として使用されている。も
とはアフリカより拉致された大きなアフリカ象が巨大であったことに由来している。
ディズニーのアニメ映画に「ダンボ」という大きな耳を有する象の物語があったよう
な記憶があるが、このダンボの親の名前がジャンボであったと思う。それほど有名に
なっていたのだろう。
 現在日本においても「ジャンボ……」といった言葉がかなりあるようだ。要するに、
日常的に使用される日本語に取り込まれた言葉である。日本語の中にアフリカ起源の
単語が使われているのは非常に少ないのではないだろうか。日本で日常的にジャンボ
が使用されるようになったのはなんと言ってもあれ、すなわちボーイング七四七型旅
客機につけられたニックネーム「ジャンボジエット機」からではないかと思う。

 さて、そのジャンボジエットについてこれから始めよう。
 ボーイング七四七が正式な名称である。この飛行機、各種バリエーションがある。
-一〇〇、-二○○、-三〇〇、-四〇〇、SP、最近-八が開発された。この七四
七試作一号機は、一九六八年九月三十日にロールアウトしたとある。四十六年前であ
る。
 このころ、すなわち一九六五年前後、エアーライナー各社はマクダネルダグラスD
C八、ボーイング七〇七が盛りを過ぎ、次世代長距離飛行対応機体は超音速になるで
あろうとの期待があったころである。そのころの大型旅客機の世界はボーイングとマ
クダネルダグラスはほぼ二社の米国勢のみであり、まだエアバス社は誕生していない。
 両社ともに次世代超音速機とのつなぎとして、既存の機体よりやや大型の二百五十
人乗りくらいを検討していた。米国の両社とも航空各社の乗客定員増大の要求に対し
ストレッチ(長胴化)の手法を用いて対応していた。このストレッチとは、基本設計
を大幅に変更することなく、機体容量の増大が出来る利点がある。機体の主翼近傍の
両側付近の両端に、プラグと呼ばれる延長用胴体を追加するものである。
 この処方であれば設計上容易であり、費用も少なくてすむという利点がある。これ
により七〇七、DC八ともに航空各社の要求に応えていった。とくにこのストレッチ
が上手く行ったのがDC八であり、最終的には乗客定員は二百五十名前後となった。
一方、ボーイング七〇七は若干胴体が大きくさらに主脚が短いことが災いし、DC八
ほどストレッチを行うことができなかった。これが、ジャンボジエッ卜誕生のひとつ
の要因となっている。
 現在ダグラス航空機はまずマグダネルに吸収され、さらにはボーイング社に吸収さ
れているが、一九七〇年ではまだボーイングのライバルとして激しい開発競争を行っ
ていた。さて、ここでジャンボの登場であるが、先ほどストレッチのことを書いたが
ほかに米国空軍の大型輸送機開発計画がある。一九六三年空軍のCX一四計画が発表
され、それにボーイング、ダグラス、ロッキードの各社が対応。結局口ッキードが受
注し、C-五ギャラクシー輸送機となったわけであるが、落札出来なかったボーイン
グには膨大な設計資料が残った。
 主力大型民間輸送機の分野でダグラスDC八におされ気味のボーイングでは、なん
とかこの分野での首位維持をはかることを模索。この時代、先に書いたように民間航
空各社の大勢は、次世代機は超音速機の時代との思惑があったようである。この情勢
の中で、ボーイングの時の社長はパンナムの会長の注文のコミットメントを取り付け、
他の役員の反対を抑え大型輸送機の開発を決定した。しかし先に書いたように、超音
速機登場までのつなぎに過ぎない機体にかけるのはリスキーであり、保険として貨物
輸送機への転換が容易に出来る考慮をした。元設計が軍用輸送機であり、床強度など
十分確保でき、さらに貨物の積み込みなどが考慮されていた。
 もともとボーイングは軍用機、特に爆撃機であるが、これを基本に旅客機を作るこ
とは経験ずみであった。B-一七から三〇七をB-二九から三七七を開発したように。
また基本設計は軍用輸送機であるため高翼であったが、これを低翼化など、多々の軍
用輸送機から民間輸送機への変更がなされた。開発当時は、だれも大量輸送の時代が
来るとは予想もしていなかった。そのため、先に書いたように貨物輸送機に転換する
ための機能を残した形態となった。
 たとえば機首、この部分が上に跳ね上がりそこから大型の荷物を積み下ろしする開
口とするため操縦席はこの上の二階に設けた。今も残る操縦席が少し上に突き出てい
る構造などがある。当初この部分をそのまま後部まで伸ばし全二階構造とする案があ
ったが、余りに容量が大きく、持て余すとの意見があり二階部分に少数の客席がつく
れるだけのものにした。
 そのような開発時点での情勢であった。このなかでキックオフカスタマーとしてパ
ンナムは二十五機、オプションとして十機の発注をした。今パンナムという航空会社
はなくなっているが、当時は米国を代表する航空会社として世界的な影響力を有して
いた。この情勢で各国を代表し、パンナムと競合路線を有する航空各社、日本航空、
ルフトハンザ、BOAC、TWA、DLHなどより注文が続いた。計画発表の一九六
六年時点での受注総計は四十九機であった。初飛行(一九六八年)時点での受注は百
五十八機であり、受注はやや伸び悩んでいた。当初、この七四七機体の大きさに対し
エンジンの開発が追いつかず、当初の計画より性能が若干落ちてしまった。これも受
注の伸びに待ったをかけたようである。
 さて当初はこのような大型機、各国を代表する航空会社でなければ大きさを持て余
すと思われ販売台数はそれほど伸びなかったのであるが、実際に運用してみると予想
外のこととなったようである。これから多少乱暴な議論も入るが、大略間違いないと
思う。

 従来に比べほぼ倍の容量を有する機体である。同一の人員を運ぶとすると、その便
数を半分に減らせる。大型でエンジンの燃料消費が多いとはいえ、総合的にみると輸
送人員あたりの経費は少なくなる。これに伴い航空運賃が安くなって行く。さらにこ
の一九七O年代は世界的な好景気であり、また燃料が安くなったときである。航空旅
客の増大に伴い、国を代表する航空会社ばかりでなく、その他の航空各社もジャンボ
の導入に踏み切っていった。
 これらのことが重なり、航空旅客はますます増大していった。それに伴い、ジャン
ボの導入も増大する。一九七〇年になるとエンジン性能も向上、出現当時の推力一九
八〇キログラムから二一OOキログラム超となって設計当初の計画をほぼ満たし、さ
らにエンジンは当初GEのみで選択の余地がなかったのであるが、P&W、RRなど
も選択範囲に入った。速度、航続距離、飛行高度など当初の設計仕様を満たし、遠距
離でも快適な旅行ができるようになっていく。
 またこの大型機は旅行客の増大をもたらしたが、その起点、終点の空港においては
増大する人員に対する受け入れ処理施設の強化が必要であった。しかし、人員の増大
の割には便数の増大を伴わなかったので航空管制の問題は少なく、旅客の増大を阻害
することにはならなかった。けれども機数の増加に対し乗客の増加が追い付かない情
勢もあった。航空会社は空席があって便数を減らすわけにも行かず、なんとしても乗
客を乗せ空席を減少させるために団体割引制度、パック旅行による割安運賃などの導
入を行い空席の減少に努めた。このためますます航空機による輸送人員が増加増大し
ていった。
 これらの複合的要素の絡み合った結果は、航空機による旅行の大衆化である。これ
以前の航空機による旅行は限られた人のためのものであったが、このジャンボ機によ
る旅客容量の増大はまさに革命的な結果を生んだ。単に飛行旅客の増大という面でな
く、地球規模での人の行き来が増大したととらえるべきであろう。しかも限られた人
ではなく、一般庶民が地球的規模で旅行を楽しむ時代となったのである。それまで他
人の経験の伝聞に過ぎなかった異文化の世界を、自分の体験として手触りできるよう
になった。
 これはまさに文明論的革命である。およそその開発当時、次の超音速機時代のつな
ぎにしか過ぎないと考えられていたこのジャンボにより、思いがけないこととなって
いった。当初考えられていた超音速機は「コンコルド」として登場したが、まだ技術
的な成熟度が不足し航空会社の興味を引くことなく静かに退場していった。
 このジャンボの成功を受けて、機体製作各社よりDC一〇、L-一〇一一 (トラ
イスター)さらには多少違う視点より開発されたエアバスの各機種が登場する。特に
現在ではジャンボを抜いて最大の大きさを誇るA三八〇など、続々登場してきた。ボ
ーイングでは市場調査の結果A三八〇クラスの機体の需要は世界的に見て飽和状態で
あり、あえてA三八〇クラスを開発しても共倒れの可能性があるとの判断があり、こ
れに対抗する新規開発は行っていない。
 さすがにジャンボは開発より四十年間進化を続けてきたが、どうしても新設計の機
体には対抗できない面も出てきた。ボーイングにおいても若干小さいが経済性に優る
七七七を開発、また航空各社は大型機より中型機でより経済性の優れた機体をという
要望が強く、これに応えた七八七を投入した。ボーイングは次世代機として、次は超
音速時代であるとの認識のもとで超音速機を検討中のようである。

 最後に、このジャンボを開発政策したボーイングという航空機製作会社はシアトル
に本拠があることはご存知と思うが、シアトルにあることから何か連想できるだろう
か。ウィリアム・E・ボーイングという人が始めた会社であり、もとは木材、不動産
の業務を行っていた。航空機を手がけたのは第一次世界大戦中の一九一六年である。
海軍の軍人と共同で飛行機の製作を始めた。初めは複葉の木製機であった。
 民間旅客機でボーイングが開発した画期的なものは二四七であろう。これは一九三
〇年代初めに登場したもので、全金属製双発低翼の現代旅客機の原点をなすものであ
った。ちなみに、この後ダグラスよりかの有名なDC三が発表されている。その後、
ボーイングのレシプロ旅客機は三〇七(ストラトライナー)、これは先に書いたが、B
-一七よりさらに第二次大戦後B-二九より発達した三七七(ストラトクルーザ)機
がある。またちょっと系列をはずれているが、豪華な内装客室を持った三一五クリフ
ハーがある。これは飛行艇である。
 このレシプロエンジンの時代には、民間旅客機はダグラスとロッキードが卜ップを
走っておりボーイングは三番手であった。ボーイングがトップに出たのはジエット機
になってからである。七〇七の原型機は三六七一八〇と言い、ボーイングがジエット
輸送機の優位性をアピールするために行った自主開発機であるが、軍用輸送機と民間
旅客機の両方をにらみながらの開発であった。
 これは最初に軍用として、KC‐こ二〇空中給油・輸送機として採用されている。
民間機としては七〇七となる。これ以降ボーイングは、民間機に全て七〇〇番代を使
用している。もっとも二四七、三〇ヒ、三ヒ七など、当初から七が入っだ型名ではあ
る。よほど七がお気に入りのようである。

 最後であるがちょっと数字を並べてみよう。

表1 大型機(乗客二百名以上)
表2 小型機(乗客定員百~二百名)
図1 七四七の生産数(年別生産数と累計)


     図1 747生産数
    


       表1 大型機
      

       表2 小型機
      

 表1はいわゆる大型機ワイドボデーの機体である。七四七、七七七が一千機以上受
注していること、またエアバスの各機体もこんなに受注しているとは驚きである。ま
た小型機をみると驚きの数字である。特に七三七、A三二〇など一万機以上、世界の
空を飛び回っている。動力を有する飛行機がライト兄弟により初飛行したのは確か二
十世紀初めの一九〇三年である。それからほぼ一世紀、ライト兄弟の想像の範囲を大
きく凌駕していることだろう。また図1は七四七の年別生産数とその累計である。
 ここに挙げている数字は、主として世界航空機年鑑の各号による。この数字は受注
数である。また一部M wikipediaよりの数字もある。こちらは生産数が示さ
れていた。図1の七四七生産数、これj wikipediaにより二〇一一年までで
ある。七四七の従来型は二〇〇九年に生産終了とある。図1と表1の七四七に対する
数字の違いは新型七四七-八の受注数であるとしてよかろう。
 ちなみに日本航空は、一時期その発注数が世界最大で百十三機であったが、現在は
貨物機を除き全て退役している。

※参考としたもの
世界航空機年鑑 一九六九年以降   酸燈社
旅客機発達物語           石川潤一   グリーンアロー
ジエット旅客機 その系譜と変遷   原田哲夫    酣燈社
ボーイング旅客機                                イカロス
名機一〇〇 別冊航空情報                        酣燈社
飛行機のスタイリング        佐貫亦男     グリーンアロー

                          (完)

斜光20号 2015


     B747引退: ANA 2014年/ JAL 2009年
     
        画像出展:航空見聞録 (*編集部)

676

 

固体撮像装置におけるサンプリングに伴う諸問題 3

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2015年 3月 3日(火)12時35分14秒
  固体撮像装置におけるサンプリングに伴う諸問題 3



4. 空間画素ずらし(Special offset sampling)

これは3板式カラーカメラに使用されている、折り返し歪みとさらに解像度の向上をねら
った方式である。
3枚のR/G/B撮像素子の配列において、Gの撮像素子に対しR/B 2枚の撮像素子の配置を
画素ピッチの半分だけずらして配置する。カラーカメラにおける輝度信号は

     Y = 0.3(R) + 0.59(G) + 0.11(B) (18)

の関係を満足している。ここでG
B + Rは0.59と0.41の関係にありほぼ等しいとみなす。
以下解析をおこなうさいは、オフセットサンプリングによる信号とオフセットなしのサン
ングによる信号は同じレベルとする。このように考えるとサンプリングはオフセット有り
無し系列でよいこととなる。これを図9にしめす。



図9において実線は通常のサンプリング、1点鎖線はオフセットサンプリングを表す。
   これは



(20)式は(2)式の関数がだけ位相が遅れていることをしめしている。このようすを図10,11にしめす。



(2)式と(20)式の結果が加算されて1つの信号として合成される。(2)と(20)を加算すると



すなわち1(μ)のスペクトルは4π/X0の周期で存在することをしめしている。これを
視覚的にわかるようにしたものが図10,11である。これらの図より容易にわかるように2
つのスペクトルを加算すると、1つおきにオフセットサンプリングスペクトルの極性が逆
になっているため、1つおきに相殺されてなくなる。そこで加算された結果のスペクトル
4π/X0の周期のもののみが残る。そこでわかるように(μ)のスペクトルの最大値は、
1/X0まで折り返し歪みを発生させることなく許容される。図10,11上の点線でしめす。
すなわちナイキスト間隔がX0/2からX0となる。このことはオフセットサンプリングの効
果であり、原信号の最大スペクトルはオフセットサンプリングにより、サンプリング間隔
に相当する周波数まで折り返し歪みなく再現できる。
 これまでオフセットサンプリングをオフセットという観点よりみてきたが、じつは図9
を見るとわかるようにこれは、サンプリング区間がX0/2のサンプリングと同じであると考
えられる。このナイキスト間隔はX0であり、オフセットサンプリングで計算したものと
同じである。
すなわちオフセットサンプリングは、サンプリング間隔を半分としたサンプリングと全く
等価である。いまサンプリングを1/2オフセットしたサンプリングについてしめしたが、
この区間をm等分してサンプリングを行っても結果は同じである。すなわちサンプリング
区間が1/mとなったサンプリングと等価である。



すなわちサンプリングのスペクトルはm本おきに存在することになる。基本のサンプリン
グ区間を1/mしたものと等価である。
以上空間画素ずらしサンプリング(オフセットサンプリング)について述べたが結論として
は、このサンプリングは撮像素子の画素ピッチの半分でサンプリングしたものた同じ結果
を与えることがわかった。ごくあたりまえのことであるが、計算過程をつうじてサンプリ
ングと位相の関係などがよく理解できると思う。実際には最初に述べたようにGの信号と
R+Bの信号レベル比は0.59:0.41でありこの方法を用いても、完全にナイキスト間隔が倍
にはなるわけではない。したがっており返し歪みについても改善効果があるが完全ではな
い。


5. アパチャー効果

以上述べてきたサンプリングは全て理想的な状態、すなわちサンプリングパルスはその幅
が0であるデルタ関数を考えてきたが、実際にはこのような状態をつくりだすことはでき
ない。
特に撮像素子は感度向上のため,感光部分の面積を増大させる。これは良く知られている
よう各画素に対応したマイクロレンズを使用することにより達成されている。これは撮像
素子の各画素に取り込まれる光の量は、その広がり幅の間の平均値であり数学的な意味で
の点情報でないため劣化を伴う。以下このことによる現象について述べる。図12はこのサ
ンプリングをしめす。







図13をみるとτ=X0の場合ナイキスト周波数1/2X0では3.9dBの減衰があることがわかる。
完全に原信号F(μ)を復元するためには(25)よりわかるように1/Sa(μ)のフイルタが
必要である。このフイルタについては後述する。撮像素子の進歩によりマイクロレンズに
よるカバー範囲が広くなり80%以上になっていると推定されるが、このような状態ではア
パッチャー効果による高域成分の減衰は、オフセットサンプリングを行い、ナイキスト周
波数を1/X0まで伸ばした時、特にその影響は大である。
ちなみに開口率(τ/X0)が80%のときの減衰は12.6dBとなる。これはなんらかの補正が必要
である。

472

 

固体撮像装置におけるサンプリングに伴う諸問題 2

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2015年 3月 3日(火)12時32分33秒
  固体撮像装置におけるサンプリングに伴う諸問題 2


3.  前置フイルタ

 先に述べたようにサンプリングにおいて折り返し歪みを発生させないためには、サンプ
リングされる関数のスペクトルが間隔0にたいし1/20以下でなければならない。
 一般の純電子信号処理系では電気的低域フイルタを用いるがカメラの場合には光学像の
サンプリングでありこの手段は使えない。この場合光学的なオプチカルローパスフイルタ
が使用されている。これは水晶複屈折板を用いるものが一般的である。複屈折現象を利用
し多重像を発生させ点像を拡散させることで、像の高周波成分を減衰させるものである。
水晶複屈折板の厚さと分離幅の関係は以下で与えられる。



図5は2点分離フイルタの基本的構成である。
次にこのように分離幅dを有するフイルタの特性の数値的な求め方について述べる。
以下全て理想化された状態を考える。すなわち水晶版にデルタ関数としてあつかわ
れる光線が入射しそこでその形をくずすことなくdだけ分離されるとする。これは、


この特性が基本であるが、これは1方向のみでありしかも正規化周波数μ/が1のところ
でおおきな透過率を有し実用的でない。一般には水晶板を数枚貼り合わせその光学軸を変
えたものが実用化されている。ここでは4枚の水晶板で構成されている12点分離のものに
ついて解析を示す。このタイプのものは3板式のカラーカメラに使用されている。このフイ
ルタの分離特性を図7に示す。



図7で矢印は分離の方向を示し、2重丸を分離点が重なっていることを示す。
この特性はH/V方向については


図8にこの結果をしめす。


図8で実線はH/V方向の特性をしめし、点線は斜め45゜方向の特性をしめす。
実用上は撮像素子のピッチを0とすると1/20がナイキスト周波数であり、これとフイ
ルタのNull点0.25/dを一致させれば折り返し歪みは発生しないがフイルタの特性が低い
周波数から落ちていて解像度を悪くするために採用されていない。実際は目的とするとこ
ろに従ってケースバイケースで妥協点を見出し分離幅dを決定する。従ってこれらオプチ
カルフイルタを装備しても、まだ折り返し歪みを完全に除去することができない。3版式
カラーカメラにおてはさらに空間画素ずらしという手法が用いられこの折り返し歪みを除
去している。
 以下空間画素ずらしについて述べる。

472

 

固体撮像装置における諸問題 1

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2015年 3月 2日(月)06時56分31秒
  固体撮像装置におけるサンプリングに伴う諸問題 1



 固体撮像素子を用いたカメラは、基本的に2次元画像をサンプリングにより取り込んで
いるため折り返し歪みをさけることが出来ない。ここではその発生機構、低減方法につい
て解説する。


1. 折り返し歪みの発生機構

よく知られているサンプリング定理そのものであり、あらためて述べることもないような
気もするが、いがいと厳密な話しについては理解されていないようであり、ここで一度厳
密な関係を復習しても悪くないと思い解説する。
画像は一般に2次元空間の関数として表現することができる。これを撮像素子の各画素で
取り込み画像情報として処理する。この過程は理想的には2次元に分布しているデルタ関
数列でサンプリングすることに相当する。そこで数学的解析も2次元の平面上で行うこと
が2次元の折り返しまで明らかになり望ましいが、折り返しの発生の原理そのものについ
ては1次元の解析のほうが見通しが良く理解が容易であり、1次元での解析を行う。



この(1)式のフーリエ変換をおこなう。これは






2. プリング(標本化)信号からの復元

次にこのサンプリングされた信号の復元を考える。

 したがって




 余談であるがこの標本化関数は離散値関数と連続関数の間をつなぐものとしてよく使用
されている。たとえば表計算ソフトExcelにおいてグラフ化するとき、折線グラフで滑ら
かな線を用いる場合にはこの標本化関数により補間されている。
 アナログ信号をA/D変換しその後処理し最後にD/A変換によりアナログ信号に変換、す
る電子機器を設計する技術者にとって、この標本化関数は極て重要な関数である。
 以上述べたことはサンプリングの定理として全んどのディジタル信号処理を解説した本
に記載されており、あえて解説することは蛇足の感なきにしもあらずの思いもあるが、そ
れらはあまりにも定性的あったり、逆に厳密すぎ理解しずらいとの思いがあり、その中間
レベルを考えて解説を試みてみた。

466

 

異風物(者)vs仮面ライター

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2015年 1月17日(土)15時11分45秒
編集済
  異風物 VS 仮面ライター


◆一連のやりとりを読み終えたあと、「落ち着きましょう」の題が含蓄のある絶妙なものに思えてきた。この言葉も届かないまま今多氏にバトンタッチとなる。

※関連作品 クリック→『今多迷道VS仮面ライター』




2002年
 落書き帳

落ち着きましょう 投稿者:異風物 投稿日:10月21日(月)23時13分48秒
 箱根での同窓会、いびき、歯軋り、寝言三拍子そろって同室の皆々様に大変迷惑おかけいたしました。
 さて話は変わって昨今北朝鮮の拉致およびかろうじて生き延びられ一時帰国された方々の話でもちきりです。今回帰国された方々は強い生存への意思と信念があり無事24年間辛抱されたことと思いまったく頭が下がります。しかしある面では運がよかったとも思えます。現在行方不明のかたがたは殆どなんらかの意味で日本で話題になった方が多いようです。多分北朝鮮のなんらかの意図により抹殺された可能性が大きいとおもいます。小生が言いたいのはこれではありません。たしかに国家的犯罪により人生の大半を棒に振ったり消滅させられたりした方々およびその親族縁者にとってまことに許しがたきことではあります。しかしここで日本一億騒然となりヒステリー現象をおこしてはと心配しています。昔昔の満州と同じになります。「ここはお国を何百里、離れて遠き満州の赤い夕日に照らされて友は野末の石の下・・・・」との神話にしばられ日本は大敗北をしました。確かに生命は重いものです。しかし所詮生命であり必ず消滅します。戻らぬものをいとおしむあまり、新たに生まれる生命を、あるいは現存するあまたの生命を危機にさらすことはさけねばと思います。おそらく現在の北朝鮮をすりつぶすくらい現在の日本の経済力と軍事力をもってすればそんな困難なことではないでしょう。それでは東アシアの安定とあまたの生命の犠牲をともないます。今はなんとしてもかの国を国際的協調の場に引き出す必要があります。現在の北朝鮮の全てについてまったく我慢がなりません。それでもせいぜい金日成、金正日親子の人形に釘を打って呪うくらいにしておきましょう。それとかの国は人民のくにであり正義がおこなわれ拉致などという人道に反することを行うわけがないなどとのたまわっていた日本の政治団体がありますがそのての政治団体には今後一切投票しないことが肝要とおもいます。それとパチンコやめましょう。金正日をふとらせるだけですぞ。かくいう小生20年来パチンコやっていません。



大好きな朝鮮人民のことをないがしろにされたと思った仮面ライター、一週間をついやして長い反論文書を二度に分けて貼り付けてきた。

「拉致」問題(1) 投稿者:仮面ライター  投稿日:10月28日(月)00時05分48秒
ランゲルハンス島の住人さん、以前の掲示板で、大変に身に余る言葉にあずかり、小さくなっています。けど決して「自由と正義」のために飛び回っているのでなく、毎日毎日、煩悩に支配されながらも、日々をつつましく生き延びているしがねえヤクザなモンでござんす。社会への問題意識などあろうはずがなく、しいてあるとすれば、体制や権威に従順になれない単純なアマノジャキといった方がいいのかもしれません。
さてこんなことはドーデモいいのですが、O-Chanさんや異風物さんが「拉致」について書かれてたので、あたしもちょっと書きたくなってしまいました。
拉致された5人の帰国によって、この問題に対するマスコミの報道が一段と過熱してます。5人の方々には久しぶりの日本なのでもうちょっと静かにさせてあげればと思うのですが。
先月17日の日朝首脳会談で金正日が「拉致」の事実を認め、謝罪すると同時に「8人死亡、5人生存」と回答したこと、そしてその死亡理由が不可解な点が多かったため、それ以降日本では激しい反「北朝鮮」キャンペーンが続いています。昨年9.11以降のアメリカにおける「報復」という名の攻撃的ナショナリズムの蔓延を彷彿させる状況にあるみたいです。当時アメリカでは、武力行使に異議をとなえただけで教授が大学を追われ、反戦の呼びかけをしただけで、学生が退学処分になったこと。自由と民主主義の理念が比較的行き渡っているアメリカでさえこうなのかと思ったものですが。先日の朝日新聞の「ひと」の欄で載っていたけど、永六輔が自分のホームページに“小泉さんに金正日が拉致の事実を認め謝罪した時には、小泉さんの方だって「昔日本も同じような悪いことをしました」ぐらいは言ってもよかったのでは”と書いたら、ものすごい反論のパッシングが(電話やファックスも含め)あったとか。確かにあたしも、この拉致の事実を知ったときは、「極悪非道、言語道断な破廉恥行為、」とどんな言葉でもいえるような、ましてや国家犯罪ということは明らかなので、責任者の処罰、賠償や生存者の帰国と死亡者の具体的な経過報告の要求、それにこの問題が解決するまでは国交交渉などやるべきではないと思ってました。しかしよくよく冷静になって考えてみると、日本でも、過去拉致に等しい非人道的な野蛮なことを、今回とは比較にならないくらいに大規模にやってたわけですな。植民地化時代の当時の日本人為政者による暴虐無人な統括、その後の数十万人に及ぶ日本への(軍需工場や炭鉱労働者として)強制連行や慰安婦への拉致、連行。確かに当時は戦争時代、日本がやったのは戦争という非常時ということでいくらかの免罪符をあたえることができるというのなら、北朝鮮が拉致した70年代というのは、北朝鮮と韓国軍事政権との間では一触即発の緊迫関係があった。つまり北朝鮮側から言えば戦争状況にあり、対韓国工作のためなら、過去の多大な加害者である日本から(国交があるわけでなし)わずか数十人規模の拉致ぐらい・・・・・という気持ちがあったのかもしれない。現在韓国に亡命している元北朝鮮工作員が、インタビューに答えてそのようなことを言っていたし、対韓国工作を日本経由あるいは日本語ができるメリットを最大限生かせるためにも、日本人の拉致が必要であったのでしょう。(次のページへ)


「拉致」問題について(2) 投稿者:仮面ライター  投稿日:10月27日(日)23時45分15秒
(前略)特に今回帰国した5人の日本政府やメデイアからのモテモテぶりに比べれば、過去の自分たちの恨み・つらみを誰にぶっつけることも出来ず、歴史の流れのなかにうずもれていった北朝鮮や韓国の被害者の怨念は・・・・・・・・と。今回の拉致事件だけを取り上げて反「北朝鮮」キャンペーンをマスコミがやればやるほど、何か違和感を覚えるのです。
それとついでながら「異風物」さん。北朝鮮と友好的関係を維持し、過去「拉致」を認めなかったある政治団体(多分社民党のことでしょう)を批判されてるが、あたしに言わせればちょっと的がはずれていると思う。同じイデオロギーを信奏していながら日本共産党とは国際共産主義の路線の違いから北朝鮮労働党とは仲が悪く、ほとんど交流がなかったように、社民党とは(あたしはこんな党はどこかの野党に吸収されればいいと思ってる位で)、北朝鮮労働党と表面的な関係だけでほとんど実態も実績もない。しいて言えば社民党のほうで、(ほかの党がふりむきもしない国なので)自己PRのために“唯一北朝鮮とは友好的、関係がある党”と言ってたふしがある。北朝鮮の労働党からみても社民党など政権党でもないし、何か利用したくてもできない、たんなる表面的な、そちらさんが友好的な関係であろうというのなら、それでもかまわない程度の関係だったと思っている。それよか日本の政治や外交を戦後ずっと担ってきた政権党の自民党や外務省こそ、その無責任さと怠慢さを糾弾されれべきだと思ってます。80年代から、理由もなく行方不明になった人たち(今回の13人)は北朝鮮に拉致されたのではと、(80%以上の可能性として)言われていた。しかし国交のない国だからという理由で、ほとんど外交努力をしてこなかった。積極的になれなかったのは、先にあげた植民地時代の圧制と強制連行という負い目もあった。しかし真剣にやろうと思えば、中国、ロシア、ヨーロッパや東南アジアの一部の国々(北朝鮮と国交のある)を介して、もっと早くアプローチできたはずである。90年初め、やっと金丸訪朝団が北朝鮮に渡ったが、ご機嫌とりに行ったくらいで、拉致問題は話題にさえのぼらなかった。逆に多量の援助米を約束させられて帰ってきた。
 スンマセン、少々長く書きすぎました。要するにあたしが一番いいたいのは、金正日のような独裁者はほおむられてもかまわないけど、拉致、拉致と騒ぎ立てるのなら、過去何十万の北朝鮮の無名の人たちが、同じような被害に会ってること、日本人の13人と同じように彼らの怨念にも思いをつうじてほしい事、同時にきっちりと日本も過去の国家犯罪について認めること・・・・・これを言いたいばっかしに、貴重な掲示板の画面をよごしてしまいました。


冷静沈着な異風物さん、わかりやすく丁寧に説明と問いかけをする。

(無題) 投稿者:異風物  投稿日:11月 4日(月)22時47分58秒
先回の投稿柔らかく書いたのであまり反発なかったみたいですね。ここで大いなる反発を期待してとはまでもいかなくて、日ごろ気にかかることども
 先回社民党に投票するのをやめましょうと書きましたが、この続き北朝鮮の拉致問題についてかの党の現実認識の貧弱さを指摘したかったのです。所詮政治とはそんな高級な人間活動ではありません。いかにして人間集団の欲望がのたうちまわっている現実社会を少なくともある程度整理し秩序立てる活動の一つと考えているものです。これには鋭い現実認識能力が必要です。これがなくて自分が勝手に夢想した虚構のなかで現実を無視しマスタベーションの世界で幻想の理論を信奉しこれが正義であるとのたまわる集団がはたして政治団体として存在が許されるかという問題です。北朝鮮の全てについて全く胸糞が悪くあえて書きませんがそれでもなお、対応は冷静にしなければ、かつて戦前の日本がたどったと同じ道を進まないよう危惧しています。拉致の事実はあるにせよなんとしても国際社会の常識が通用する普通の国になるようやはり対話のtableにのせるべきでしょう。最近戦前の日本の朝鮮での振舞いを思えばとの論調が盛んにありますが冷静に考えればあれは半分以上朝鮮の問題です。古い事大主義にこりかたまって新しい時代に対応しきれなかった彼らの問題だとおもいます。日本が植民地にし悪いことばかりしていたとの歴史認識がまかり通っていますが多分50%は正しところもありますが、半分は間違っていると思います。それに日本統治時代に何人の人が理不尽に殺されたのでしょうか。それよりはるか多くの人々があの理不尽な北朝鮮により引き起こされた朝鮮戦争でなくなったとおもいます。そんなことに対しなぜ誰も指摘しないのでしょうか。
 確かに日本は過去悪いところもあったでしょう現在も悪いところはあると思います。さりながらこれは全ての人類共通のこと何も日本だけのことではないはず。あまりにも自虐的な論調が蔓延しています。もっと自尊の気概があってしかるべきだとおもいます。自尊の気持ちがないとちょっとしたことで過剰反応しとんでもないことになりますよ。
 小生右翼ではありません。万世一系の天皇が統治する日本などとは一度も考えたこともありませんしそろそろ天皇制など考え直したほうがよいと思っている、現実主義者です。



頭にきた仮面がまた長々と、異風物氏の問いかけには触れず、演説をはじめた

再度、拉致問題について 投稿者:仮面ライター  投稿日:11月 8日(金)22時20分42秒
『獄中19年』(岩波新書)の著者、徐勝(ソスン)さんが『世界』11月号で、知人の在日同胞の偽らざる心情を紹介している。「拉致被害者家族の方の無念さ、悲しみ、怒りは胸に突き刺さります。同時にそれは私たち民族が奥底に持ち続けた悲しみや怒りと重なるものではないのだろうかと・・・・・・・・でも、そこに向けられる視線はなく、感情に隔たりと距離を感じています」。
日本人は、朝鮮人に対してあたえてきた途方もない痛みを、拉致事件を通して初めて知ったのかもしれない。いや知るべきなのだけれど、知ろうとしていない。
では日本が朝鮮植民地支配で強制連行した朝鮮人の数を見てみよう。労働者として鉱山や軍需工場・発電所・飛行場などの建設現場へ連行されたのは、厚生省勤労局が米軍戦略爆撃調査団に提出した報告書によると、66万7684人、大蔵省管理局編の「日本人の海外活動に関する歴史的調査」では72万4787人、朝鮮人強制連行の研究者・朴慶植氏は112万8032人(日本帝国主義の朝鮮支配)としている。また同氏は、朝鮮内の建設工事などに約480万人が強制連行されたとしている。また日本軍が性奴隷にした女性の数について(日本政府は公式には発表してないが)民間においては、8万人(「従軍慰安婦」千田夏光)、17万~20万人(「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」金一勉)という数字がある。
このように植民地時代に、日本によって強制連行された朝鮮人は膨大な数になる。彼らは一切の自由を奪われ、「消耗品」として扱われ、奴隷労働を強要された。その結果、多くの朝鮮人が具体的な名さえ明らかにされずに死亡した。これらの経緯に対し50%は被支配者側(朝鮮側)にも責任があるというのは、まさに暴言であり、権力側の論理である。あたしは何も自虐的に、日本がやった過去の残虐行為を振り返ろうとしているわけではない。今回の事件で、情の論理で言えば、拉致された被害者と家族の怒り、苦しみ、悲しみを知った日本(人)は、朝鮮人に与えた被害の深刻さにも思いを馳せるべきであり、智の論理で言えば、日本と朝鮮の政府は、共に「被害者への(国家へのではない)清算」をする必要がある。北朝鮮政府は日本人拉致についての完全な解決、つまり事実関係の調査・公表、責任者の処罰、再発防止策の実地、そして被害者への補償である。一方、日本政府は朝鮮人へ行った強制連行の実態調査と被害者への補償の実地である。同時に日本人として忘れてならないのは、「日本の現代史は日本人だけでなく、多くの他民族の身体の痛みを含んでいる」という自覚である。このことは戦争というのは、いかに非人間化するかという意味も含み、もう二度と戦争をしてはならないという確認といってもいい。現在、とかくすれば有事法制などにみられる戦争時への傾斜、改憲への雰囲気つくり、教育基本法改悪など一連の動きを見るにつけ、昔の「いつかきた道」にならなきゃいいが・・・と心配するものである。特に今、好戦一辺倒のアメリカに追随するだけのノータリンな議員連中しかいない日本の政治状況を見るにつけ・・・・・・・気にかかる。ともかく政治家で、「国家」とか「愛国心」とか言う者に限ってろくな奴はいない・・・・・と思っている。そうであるのならやはり我々戦中世代(?)としては、いくらかなりとも、全国民の3分の2になった戦争を知らない世代への「非戦」へのメッセージを発していかねばならない・・・・・・・・と思うが、いかに?



仮面ライターのもうひとつのペンネームで登場 自分に向かって「ライターさんが言うように」とお得意業をみせる。

思うがままに・・・・・・ 投稿者:読書人  投稿日:11月 9日(土)14時36分09秒
次回の読書会のテーマに「大江健三郎」をとりあげたのは、彼は特定のイデオロギーに偏るのでもなく、単なる書斎の中での作家ではなく、いっかんして言論と行動が一致してる真摯な作家であること、行動する作家としてのテーマは「反戦、反核、平和、護憲」であること、同時に障害者(自分の息子がそうであるということだけではなく)や、社会的弱者への暖かい目指しがあること・・・などです。それで大江だったら、今回の一連の拉致事件については、どのような思いを持っただろうな、と考えてしまいます。朝日新聞で、彼と著名な作家や哲学者との往復書簡が載ったことありますが、それには、今の米国の好戦的な姿勢やそれを追随するだけの日本を、歴史観や人間の進化論、経済や政治のゆがみをからめて、実に思慮深く批判してました。しかし今回の拉致問題は、色んな複雑な要件がからんでます。仮面ライターさんが言うように、過去の日本がおかした野蛮行為にも、思いを馳せよといわれても、それがあまりにも膨大な数と過去の事件ゆえ、それらへの補償と実態調査となると大変である。やはり私たちは過去を真摯に振り返り、その反省のもとに将来の日本のあり方に責任を持つ、ということではないでしょうかね。つまり平和を志向し、絶対に戦争をしないこと、いや素晴らしい憲法があるわけだから、日本の平和憲法の下、戦争になるような雰囲気や傾向には、絶対に異議を申し立て、行動をおこしていくということでしょう。
今回の拉致事件で私が思い出したのは、夏目漱石の次の言葉です。(*以下略)



異風物氏、さらにやさしく丁寧に荒ぶる魂氏に語りかける。

(無題) 投稿者:異風物  投稿日:11月11日(月)22時19分26秒
 異風物とは、実は異風者とすべきところでしたがPCの上で変換間違いです。気づいたときにはすでに投稿押した後、所詮仮の名と思い再度考えたら意外と悪くない、当分異人は人間以下の物でよかろうといおもいそのままにしておきます。
さてさて我々戦後第一世代すなわち、新制教育を最初から受けてきた最初の世代です。
そこで日本が第二次世界戦争においていかに悪辣であり、さらにそれ以前の日本が悪意と残虐な気持ちでもって東アジア、朝鮮、中国に望んだかを繰り返し教育されてきました。さらに憲法特に第9条がいかに崇高な精神であるかたたきこまれてきました。しかしこれらのことはほんとうでしょうか。人間世界において絶対正義というものがありましょうか。
自然科学およびその派生である技術を学び技術の世界で生活している小生にとっておよそ信じられません。厳密に実験事実と対応しなければならない物理学の世界においても常に絶対真理などは否定され新たな事実が発生しています。ましてわけのわからない人間世界において絶対的に正しいなどということがありうるのでしょうか。
今日の護憲、平和、本当に正義なのでしょうか。人は平穏無事にすごすことがなによりです。争いごとないに限ります。だけど必ず争いごとはおこります。それは自分と他人は違うということです。それが争いのはじめです。全てのひとが宗教者のいうように右の頬をたたかれたら左の頬を出すなら全て問題解決です。しかし人間そうではありませんそれは歴史が示しています。人間の荒ぶる魂これがこの世界を引きずっているような気がします。これを否定することができた暁にはじめて反戦、平和、護憲などと誇りをもっていえるでしょう。
最近の韓国、中共、北朝のにおける執拗な日本の内政干渉などに日本国内においても内応する意見もあるようですが、そこには日本が過去それらの地域において悪し行いをしたとの反省があるとおもいます。それはそれで自制し宗教てきな反省するのは悪いとはおもいませんが、政治的世界および現実生きている世界においてはあまりもナイーブで無責任な話です。なんで日本の首相が敗戦の日に日本のために無くなった方々のために哀悼の意を表するのがいけないのですか。なんで我々がいつまでもあやならなければならないのですか。日本人もっと誇りをもって生きていかねばと思っています。さらに新たな世界に向かって革新をしなければ、そのうち地球のお荷物になりかねません。還暦を過ぎ隠居しようと思わずこれからも思いついたことどもトンドン発言しようではありませんか。



もう一人の冷静にものを考える人今多氏が姿を現します。

超タカ派? 投稿者:今多 迷道  投稿日:11月14日(木)18時06分23秒
非武装中立論を唱える党があります。「非武装中立」何と甘い魅惑的な言葉でしょう。
しかしこの論はどの国にも偏らず、武器さえ持っていなければ、どこの国も侵略などしてこないという前提に立っています。100%の性善説です。本当にそうでしょうか?
「社会に悪人など居ない、従って警察など不要である」という論理と同等の性善説です。人間はそれほど信頼してよいでしょうか?人類は物質文明は発達させてきました。それは先人の遺産を子孫に残せたからです。しかし人間性は5000年前から進歩したんでしょうか?人格者の子供は必ず人格者になりますか?親の人格は遺産としては残せない、世代が代わる度にゼロからの出発です。そして人類は何度も戦いを繰り返してきました。
かってイラクはクエ-トを併呑しようとしました。クエ-トは武装化を怠っていた為に、イラクは
簡単に踏み潰せると考えたのです。クエ-トがイラクにそう決断させる程の隙を見せたから起こった戦争です。もしクエ-トが「へんに手を出したら痛い目にあうぜ!」という程の軍備を持っていたら、イラクはそんな決断は出来なかったはずです。
今の北朝鮮、もし日本が武装もせずアメリカの後ろ盾もなければ、これだけ豊かな日本を前にして
黙って見ているだけでしょうか?拉致問題だってそうです。日本がもっと早く、領海侵犯した不審船に対し武力行使できるよう法律改定していたら、このように大量の拉致者は出していないはずです。スパイ法も持ってない日本が、北朝鮮の跳梁を許したのは、それだけの隙をみせていたからであって、当然の結果を招いただけの話です。いわば自業自得であって、今頃大騒ぎするのはおかしいと思います。鎧兜で固めた国々に取り囲まれている現在、軍事バランスを取っていないと、反って戦争を招く結果となるというのが現実であって、変な理想主義は反って危ないし、国民をそういう危険に晒してはならないと思います。
地政学的にも、日本はアメリカとロシア・中国という大国の真ん中に位置しています。もし日本が非武装中立であったとして、例えばロシアが北海道を取った場合、アメリカと中国はそんなことは止めとけ!というでしょうか?同盟国でもなんでも無いわけですから、「それじゃ-俺達も取っておかなくちゃ-損だ!」と考えて日本は草刈り場になるのが落ちです。そんな考え方はほんの100年もしない前、世界の常識だった訳ですから。中立なんて日本はできません。旗色は鮮明にしておく必要があります。(*中略)
こんな事を言う僕は超タカ派と言われています。この大人しい気の弱いこの僕が超タカ派のはずがないではないですか?異風物さんと同じく現実派だと思っています。



第二の登場人物今多氏にまたかみつく荒ぶる魂  荒れすぎて名前を間違える。

また言わせてもらいます 投稿者:仮面ライター  投稿日:11月17日(日)08時40分14秒
「拉致問題」について少々むきになって書いてしまって、せっかくの落書き帳をつまらなくしてしまったようで、しばらくは遠慮しようと思ってました。しかし今さんの日本の武装化うんぬんとかの文章読んだらまたムラムラと書きたくなって・・・・・スンマヘンネ。
「非武装中立」とかの言葉、そういえば昔の社会党がよくいってたことですナ。しかしこれも「村山」のオッサンが首相になったとたん、自衛隊の合憲を認めてしまうぐらい、路線転換してしまった。現在こういうこと言う政党などいないじゃないの?共産党は戦術的に柔軟路線をとろうとしてるけど、共産主義をテーゼにしているかぎり、中立なんてありえないしね。それよりか中米に「コスタリカ」という国があるのご存知だろうか。そうまったく軍隊をもたない国。それも日本をとりまく環境と比べれば比較にならないくらい、まわりの国々は内乱や政変が続発している。いつなんどき侵攻されてもおかしくないくらい政情が不安定な国々に取り囲まれている。ニカラグア、ガテマラ、ホンジュラス、ヴェネズエラ、コロンビア・・・・などなど。もちろん日米安保みたいな軍事条約などどことも結んでないので、アメリカが助けてくれるなんて期待できない。ただこの国も15年ぐらい前までは、周囲の国々同様、内乱や政変が続出し、国力をすり減らしてしまった。その反省のもとにある時期、民意で選ばれた大統領が(すでに故人であるが、この人が偉かった)思い切って軍隊をなくし軍事予算をなくして(教育水準が低いと言うこともあり)、教育や福祉の方に向けてしまった。現在、中米では最も平和な安定した国でもある。羽仁進の孫娘だったかな2年ぐらいコスタリカに住み込んで「軍隊を持たない国」というドキュウメンタリー映画を作っていた。これみたら、日本の豊かさや便利さとは比べ物にもならないが、人々は貧しいながらも生き生きとしている。そして平和ボケしていながら、物騒なこという日本人と比べたら、何よりも「平和」の素晴らしさを大切にしている。
 ところで日本国憲法で武装化しないと言ってるのに、日本の軍事予算(防衛予算)はどのくらいあるか知っていますか。約6兆円、これは米国についで世界第二位の大きさでもある。昔の冷戦時代ならともかく、10年以上続く経済不況だというに、それに700兆円という天文学的な借金財政なのに、この防衛予算だけは減らそうともしない。あたしらに関係深い年金や医療の予算は先細りになるのは確実なのに。(*以下略)


続けてまた仮面を付け替えて二回も登場だ。ハト派、タカ派にも言い訳がましくふれている。

今月の書評 投稿者:読書人  投稿日:11月20日(水)16時04分43秒
私が推奨する(書評する)今月の本は「公益法人」です。私も今年6月退職するまでは、ある「社団法人」に出向してました。勤務していた民間会社からの天下りみないな存在だったから、あまり生意気なことはいえないけど、旧運輸省から天下った会長以下の経営陣の経営センスのなさ、経営に関しての緊張感のなさ、政策や人間関係についての旧態然としたやり方には、ことあるごとにケチつけてました。(おかげでそれまでの前任者たちは、60歳以降も2,3年はこの法人のプロパーとして雇われてたけど、私は定年月の3ヵ月後の総会で、お払い箱になってしまった) (*以下略)


寒くなりましたね 投稿者:読書人  投稿日:11月20日(水)16時22分13秒
同世代の方たちの色んな意見、様々だなーと感じてます。ただ社会問題などで右とか左とか、ハトとかタカとかの先入観で人を見るのあまり好きでありません。人それぞれ意見や見方が違うのは当然だし、またそれらを変えることも自由だしね。だからあるケースではハト的見方をしても、別のケースではタカ派的コメントが出てくるかもしれない。
 ただ今の時代状況や社会の現実見れば、常に批判的な精神を(balance of powerから言っても)持ち続けることは大事かも・・・・・・と思ってます。



荒ぶる魂ライターに落ち着いて対応する、今多氏

仮面ライタ-さんへ 投稿者:今多 迷道  投稿日:11月21日(木)15時51分53秒
コスタリカの話。極めて勇気のある事だと思います。しかしその平和がどれほど続くかと疑問に思わざるをえません。コスタリカは軍備への金を民生に使って豊かになったとします。周りの国は相変わらず内戦ばかりで貧乏だったとしたら、コスタリカは頻々と略奪にあうという形にならないでしょうか?泥棒・強盗というのは貧乏な家には開けっ放しでも入りません。入るのは金持ちだけです。それも鍵さえも掛けていなかったらそれこそ据膳ものです。最低でも50年以上軍備なしでやっていけたら僕も考えなおします。
仮面ライタ-さんの説を伺っていると、アメリカは駄目、自衛隊に金を回すのも駄目ということは
非武装・中立論そのものに聞こえるんですが?それとも野党的立場で気に食わないものに文句を言ってるだけなんですか?(*以下略)

※ 異風物氏、これ以上続けても無駄だと思ったのか、翌年は今多氏にバトンタッチした。

409

 

あきづき(後半)

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年12月30日(火)09時53分38秒
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               あきづき(後半)




    初代「秋月」は著者とほぼ同い年のようです。「異端の匂いがする」と
    ありますが、いい意味での「異風者」の匂いを感じたのでしょう。(α編集部)




二代目「あきづき」

 続いて、戦後、海上自衛隊の護衛艦である二代目「あきづき」です。これは仮名(かな)
です。海上自衛隊の発足時は主に米国の貸供与艦でした。そのなかで一隻だけ、帝国海軍
の駆逐艦も使用されています。護衛艦としては「わかば」と言います。これは戦没してい
た駆逐艦松型(丁型)の「梨」を引き上げて復旧、改造したものです。レーダー、速射砲
魚雷発射管等の装備品の試験業務に従事しています。海上自衛隊の護衛艦として国内設計
建造は昭和三十年ころより始まり、就役しています。
 これら戦後の護衛艦は、米国駆逐艦を参考にしながら旧海軍造艦設計経験者によりその
蓄積経験も活用し設計、建造されました。帝国海軍の艦船が潜水艦により数多く撃沈され
たという反省のもと、帝国海軍艦船に比べると対潜兵装を重視しています。この思想はそ
の後も海上自衛隊の護衛艦に引き継がれ現在もその延長上にあります。

 二代目「あきづき」は国内設計としては戦後五代目となります。この艦は米国の城外調
達により供給されたもので、初めに米国の駆逐艦として米国の検査基準で検収登録され、
直ちに日本に供与するという形式をとっています。そのため設計建造ともに米海軍の影響
を少なからず受けています。海上自衛隊護衛艦として初めて二〇〇〇トンを超え、防空・
対潜・対水上戦闘任務の汎用護艦です。二代目あきづき型はネームシップが「あきづき」
で、二番艦「てるづき」と命名されている。これは初代の一番艦「秋月」二番艦「照月」
と同じです。この「あきづき」竣工は昭和三十五年であり、昭和六十年まで護衛艦隊旗艦
の任務にありその後特務艦に種別変更、平成五年除籍となっています。
 この二代目までは兵装は第二次大戦当時の延長線上にあります。もちろん改良され、そ
の性能は向上しており、雷装においては太平洋戦争当時のような大型の戦艦・巡洋艦とい
ったものがすでに消滅して当時のような大型魚雷の必要性がなくなっており、対潜用とし
て小型のものを搭載しています。対潜兵装は、そのほか爆雷投射機、爆雷投下軌条などの
太平洋戦争当時のものと、新規としてヘッジホッグという対潜用ロケットというか対潜迫
撃砲と訳されているものの改善型を当初装備していました。このヘッジホッグは、第二次
大戦中に英国において開発され連合国駆逐艦には装備されていたのですが、帝国海軍にお
いては知られていませんでした。戦後十五年たった時点で、駆逐艦の基本はまだ第二次大
戦型より脱却しつつあるものの、まだ完全に脱却していないと言えます(ヘッジホッグは
信頼性が悪く、ほどなく対潜ロケット、ボスフォースに換装)。



三代目「あきづき」

 つぎに、海上自衛隊の護衛艦としては二代目、帝国海軍も通してみると三代目「あきづ
き」です。「あきづき」がネームシップであり「てるづき」「すずつき」「ふゆづき」と
四隻建造予定です。現在「てるづき」まで就役しています。ここでは三代目とします。
 この三代目「あきづき」は平成二十四年就役の最新鋭の護衛艦です。排水量五〇五〇ト
ンと、帝国海軍時代の艦船から見ると駆逐艦というより軽巡洋艦ともいえる排水量です。
推進原動機は初代、二代と使用された蒸気タービンではなくガスタービンです。ガスター
ビンとは、ジェットエンジンと同じようなもので噴気でタービンを回し、回転する軸とし
て出力を収り出すもので、ヘリコプターのターボシャフトエンジンがこれに近いものです。
この艦は対潜・対艦・対空能力を有する汎用の護衛艦ですが、対空戦闘能力が優れており
限定的ですが僚艦あるいは艦隊防空を任務とします。また哨戒ヘリコプターを搭載してい
ます。兵装は駆逐艦標準の五インチ砲も有しますが主力はミサイルです。また、外観も現
代の風潮であるステルス性を意識していて、艦橋は多面体を多用し、そのマストも塔型と
なっています。



航空機との比較

 初代より三代目まで、この間およそヒ十五年、われわれが誕生したころから今に至って
います。この間の技術の変化を大きいと見るか、ほかのものと比べ同じようなものと見る
か、比べてみることとします。
 技術進歩が早い航空機のなかで民間旅客機を見てみます。一九三〇年代後半、かの有名
なダグラスDC13が就航しています。この航空機は旅客機としては最初のベストセラー
です。第二次世界大戦では輸送機としても使用され、合計一万機以上生産されています。
軍用として使用されていますが、基本的に民間機であり、軍用としては一部改良か変更の
みです。日本でも昭和飛行機によりライセンス生産されています。日本での生産機数は四
百八十六機とのこと。エンジンが日本製の金星系列に変更され、帝国海軍の輸送機として
零式輸送機と呼ばれています。双発レシプロ空冷エンジンで、出力千二百馬力二個です。
乗客定員二十八~三十二、最大速度は時速三四六キロメートルです。
 一方、現代の民間航空機エアーバスA三八〇を見てみると、ターボファンエンジン、推
力三一七五〇キログラム四個、乗客定員、五百五十五~八百五十三、最大巡航マッハ〇・
八九(飛行高度によって違うが高度一〇〇〇〇メートルを飛ぶとして時速約一〇八〇キロ
メートル)。この八十年では速度において三倍強、乗客定員において二十六倍となってい
ます。また詳しい資料がないのであて推量ですが、運賃という観点で考えてみるとDC-
3の時代、飛行機に乗って旅行することは一部の金持ちの贅沢心と冒険心を満足させる特
殊なものでした。A三八〇の時代、飛行機は庶民の足であり特別な乗り物ではありません。
このくらいの変化があります。
 これに対し駆逐艦「あきづき」の三代の変化をどう見るか。速さ、あるいは大きさは大
して変化はしていません。しかしその攻撃力、軍艦としてのダメージコントロールカなど
それこそ雲泥の差があるように思われます。またその居住性、軍艦とて所詮人が乗り運用
するものであり、その居住性の良し悪しが性能発揮に重大な影響をもっています。初代の
ころの帝国海軍の艦艇、冷房はなく暖房については不明。兵員はハンモック吊りのべッド
での就眠、タービンエンジンよりの振動、騒音など現代感覚で思うとかなり劣悪です。
 三代目となると冷暖房完備、べッドでの就眠となっています。また騒音はよくわかりま
せんが、現代の艦艇はできるだけ騒音を外に撒き散らさないようにしています。というこ
とは、艦艇内部においても騒音は少ないのではないかと推定できます。居住性については
各種資料に記載は少なく、推定の部分もありますが格段によくなっていると思います。民
生技術の航空機と比べても、特に突出して進歩しているとも思われません。



終わりに

 ここまで書いてきましたが、この「あきづき」という艦艇三代には、初代の誕生就役が
一九四二年であり自分の誕生とほとんど同じということ、さらには帝国海軍の艦艇の流れ
の中で「秋月」は多少の異端の匂いもありなんとなく気にかかった艦艇であり、さらに調
査していくと自衛艦としても二代にわたり存在しており、面白いと思って書いてみた次第
です。
 また、三代にわたる「秋月」「あきづき」の外形、要目など記載しようかと思いました
が、あまりにもマニアックであると思いやめました。

*参考としたもの
   『日本駆逐艦史』
   「世界の艦船」増刊七七二
   『海上自衛隊護衛艦艇史』
   「世界の艦船」増刊五六

(斜光19号 2014年)



       『ふゆづき』 秋月型護衛艦 進水式(玉野市)
       
               (画像:朝日デジタル2012.8.22 より)

       建造者:三井造船 玉野事業所/ 起工:2011年6月14日/進水:2012年8月22日
        就役:2014年3月13日/定係港:舞鶴 (α編集部)

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般若心経雑感

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年12月 4日(木)16時37分44秒
  .

             般若心経雑感




   2012年以降『無常』、『心情風景』、『色とカラー(空)』そして『色空間』
   と著者の作品が続きますが、その出だしを飾るのがこの作品だったのかもし
   れません。科学少年が歳を重ねたどり着いた所が、宗教や哲学の世界、宇宙
   の探求といったところでしょうか。
   この数年の一連の作品の第一章です。(編集部)





 古希も過ぎ抹香の香りに引かれるようになったわけではないが、あることが気になるよ
うになってきた。それは「色即是空」ということ。おぼろげながら「色」とは形があるも
の「空」とはいわゆる空あるいは零ではなく無形のもののことであるというように思って
いたが、なんだかわかるようでわからないから余計しらべてみたくなる。ところが、よく
聞く言葉であるがあまり調べる手がかりがない。ともかく仏教より来ることは間違いない
ようである。というわけで調べあぐねていたが、ふとインターネットで手がかりがえられ
るはずと思い立ち早速検索開始。その結果「色即是空」なるもの出てくること多数。それ
は『般若心経』という経典のなかにあるということがわかった。経典と聞けば通常膨大な
典籍と思うが、幸いなことにこの『般若心経』、漢文のテキストにして三百字たらずの経
典であるとのこと。解説書もあるとのことで早速とりかかる。ところがである、『般若心
経』は膨大な内容を含む『般若経』のエッセンスとのこと。字面を追うことは出来るが、
ともかく内容が豊富すぎなかなか理解するまでにいたらない。茫漠としてまさに雲をつか
むといったところの昨今である。

 この『般若心経』、大乗仏教(顕教)密教両経にわたって信仰されている。
 ここにその玄奘三蔵による漢訳を訓読したものを示す。

    【若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)  玄奘三蔵】

 観自在菩薩(かんじざいぼさつ)、深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊(ごうん)は皆空
なりと照見して、一切の苦厄(くやく)を度したもう。舎利子よ、色は空に異ならず、空
は色に異ならず。色はすなわちこれ空、空はすなわちこれ色なり。受想行識もまたかくの
如し。舎利子よ、この諸法は空相にして、不生にして不滅。不垢にして不浄。不増にして
不減なり。是の故に空の中には色も無く、受・想・行・識も無く、眼(げん)・耳(じ)
・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(に)も無く、色(しき)・声(しょう)・香
(こう)・味(み)・触(ぞく)・法(ほう)も無く、限界も無く、乃至意識界も無し。
無明も無く、無明の尽くることも無く、乃至老死も無く、亦老死の尽くることも無し。
苦集滅道も無し。智も無く亦得も無し。無所得を以っての故に。菩提薩埵(ぼだいさった)
は、般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙(けいげ)なし。罣礙無きが故に、恐怖(くふ)
有る事無し。
「一切の」顛倒夢想を遠離(おんり)して、涅槃を究竟(くきょう)す。三世の諸仏も、
般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を
得たもう。故に知る、般若波羅蜜多は、是れ大神咒(だいじんしゅ)なり。是れ大明咒
(だいみょうしゅ)なり、是れ無上咒なり。是れ無等等咒(むとうどうしゅ)なり。能く
一切の苦を除き真実にして虚しからず。故に般若波羅蜜多の咒を説く。すなわち咒を説い
て曰く。
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか
般若(波羅蜜多)心経
*「 」は現行本にあって玄奘訳にはない部分。( )は玄奘訳にあって現行本にはない部分。

 是だけであるが、なんの知識もなく読んだだけではさっぱりわからない。
 まず「般若」。現代の日本人のほとんどは「般若」ときけばまず、能で用いられるあの
般若面(女性の嫉妬、あるいは恨みをあらわしているとされる)鬼面を思い浮かべる。と
ころがここでいう般若とは玄奘をもってしても漢語に訳しがたい意味であり、あえて音写
語で表現したものである。古代インド語のサンスクリット語では「プラジュニャー」であ
り、初期仏教で用いられたパリー語では「パンニャー」である。中国で相当する言便をあ
えてあてるとすれば老荘思想にある「道」、あるいは「渾沌」という概念に近いのではな
いか。「プラジュニャー」とは「大いなる知恵」「仏の知恵」「完全なる知恵」となると
単純なものであるが、この「知恵」は分析的知識にもとづく理知の知識(知恵)でなく、
人問本来の浄らかな心あるいは浄らかな本性をさしているとのことである。あるいは理知
によらない体験的知とも分析的理知と違い、全体的な体験知ともとらえられている。叡智
のほうが近いのかもしれない。ともかく、わかりづらいのはこの全体的体験知というもの
で、分析的知の世界で生きてきた私にはなかなか歯が立たないものである。

 次の「波羅蜜多」も音写である。サンスクリッ卜語で「バーラミータ」という。向こう
岸にたどりついたということである。般若の完成といわれている。すなわち人間本来もっ
ている善性を修行により最善の状態に持っていき、その状態を保持していくこととの意味
である。また「心経」についても、心髄なのか心かいろいろ解釈の仕方があるようである。

 つぎに「観自在菩薩」である。一般には「観音菩薩」といわれている。時空をこえあま
ねく観ること、知ること、行うこと自在で、世の人々の苦しみを救済する仏の姿である。
玄奘は「観自在菩薩」としたが旧い鳩摩羅什の訳では「観世音菩薩」となっていた。唐代
では二世の皇帝が太宗「李世民」であったため避諱(ひき)の原則により「世」を使用で
きなくなり「観自在菩薩」が定着していって、玄奘をもってしても変えることがができな
かったようである。私は「観自在菩薩」のほうが本来の意味を保っていると思うが。さて
まず名称から解説を読まないとまったくわからない。

 つぎは五羅である。すなわち
一 色蘊 目にみえるもの変壊(へんね)もの。形をあらわす形色(ぎょうしき)と色を
  あらわす顕色(けんしき)がある。
二 受蘊 外からの刺激を受け止める作用 印象作用。
三 想蘊 受け止めた印象を頭にうかべる作用。表象作用。
四 行蘊 意志と行動の作用。
五 識蘊 意識の作用。
 この五つ、すなわち人間のいのち、生ける力そのものである。生きているかぎりこれら
の働きが持続しているが死んでしまえばそれらは残らない。すなわち五雄(我々自体)は
皆空なのである。(永久的持続性は無い)空は非永久的存在である。
 舎利子とは人の名前であり実際の仏陀の弟子であり、原語では「シャーリプトラ」これ
を音写したものである。この「心経」、大乗仏典であり仏陀(釈迦)の人滅後数世紀を経
て成立したものであり、仏陀の弟子である「シャーリプトラ」が実際にはこの般若心経の
成立にかかわったとは思えないが、その知恵、仏陀の弟子中最大の人といわれている。そ
の知恵をもってしても、「深般若波羅蜜多」の実践にはこの「心経」を理解するべき大乗
仏教の志向がみえる。

 つぎの「色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はすなわちこれ空なり、空はすなわ
ちこれ色なり」、このよく知られた言葉、おそらく仏典の中でもっとも有名な句であろう。
また「心経」の趣旨を表すとともに般若の哲学そのものの真髄をあらわしていると思われ
る。この解釈についてはおおくの仏教学者が現代語に写し説明をしている。ここではそれ
らを参照して、そこからじぶんなりの理解をすることが肝要と思うのでわたしのつたない
解釈はのべない。
 「色」とはなにか。
 サンスクリット語、パリー語ではともに「ルーパ」という。形、あるいは形として表れ
るものをいう。すなわち光に当たって反射しそれが目に入り脳のなかでなんらかのものと
して認識される。どうも物理的存在としての物質というより心理的に認識されたもの、あ
るいは性質といえる。これを中国の仏教翻訳家たちは「色」、「変壊(へんね)」、「変
擬(へんげ)」あるいは「示現(じげん)」と訳している。このうちカラー、明暗、光、
影、雲、煙、霧、そのように形としてとらえようがないものを「顕色」という。
仏教ではこれらを十三あげているが、あえて仏教の定義にとらわれる必要がないような気
がする。いっぽう長・短・方・円……の十を「形色(ぎょうしき)」という。この十も仏
教の解釈ではなく現代的解釈すなわち具体的な形としてとらえられるものと考えてよさそ
うである。さらに光として眼よりとらえられ脳で認識されるものに、運動または変化があ
る。仏教では取・捨・屈・伸・行・住・坐・臥の八つととらえているがこれも今日的に運
動、変化ととらえて問題がないと思う。これを「表色(ひょうじき)」という。
 また、「空」とはサンスクリット語では「シャーニャー」という。
 まず本来の言葉の意味は「空虚」「空無」すなわち○(ゼロ)を意味しているとのこと。
ここではさきほどの「色」が心理的に認識されたもので、認識され始めて実体となる。す
なわち、固定的にその実体が無い、すなわち変化しつづけている。これを「空」と表現し
たもの。また自我からの束縛より自由なる状態、さらにものへのこだわりからの開放。こ
こでものとは仏教では「因縁所生の法」とあるが、あまりそれにこだわることもないと思
う。ともかくこの「空」の概念、よくわからないところがある。
 まえに、五蘊は皆空であるとしたがここでまず色が空であることを前段でのべ、その後、
主観の「受、想、行、識」も同じであるといっている。以下……智も無く亦得も無し。無
所得の故に」まで、空の世界観をのべている。世界は自在に変化し、とどまることがない。
そのため生滅、増減、浄垢、老死もないといいきっている。そのあと般若波羅蜜多の効用
をのべている。心が曇ることも無く、それゆえ恐怖もない。れゆえ余計な妄想に惑わされ
ること無く悟りの境地の至るといっている。ここで阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさん
みゃくさんぼだい)はこれまた音写であり、無上・正等・覚ということである。無上の正
しい覚(さと)りということである。
 最後、これは呪である。般若心経は顕経の経典であるが、密教的要素を含んでいるとこ
ろがこの呪であろう。このところ、「智慧の完成は大いなる真言、大いなる悟りの他に比
べるものもない真言であります。般若波羅蜜多の真言は」「ガテー ガテー バーラガテ
ー バーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」(智慧よ、智慧よ、完全なる智慧よ、
完成された智慧よ、幸いあれ)。

 ここでふたたび「色」「空」について。
色を実在としそれを追求していく考えかたに西洋合理主義がある。そして実在のものの本
質を追求するため、ものを分析、細部へとすすんでいく。その結果量子というところにた
どりつく。その世界はもはや粒子の性質と波動の性質をもっているという通常の感覚では
理解しがたい結果となった。すなわち、ある観測では波動であり、またある観測では粒子
とみなせる。これは「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」という状態ともいえる。
大乗の知恵と西洋の知識がここにおいて一致した見解を有するにいたったともいえる。
 さらに粒子の位置と運動は正確に同時に求めることができない。これを「不確定性原理」
という。観測により粒子の状態は変化する。すなわち観測者という客体と被観測物という
主体との相互作用があり、主客の分離が不可であるということ。すなわち諸法は空相にし
て、不生にして不滅……面エの認識である。もちろん、古代ギリシヤで考えられた原子論
と現代物理学の原子理論、現実の世界を説明する試練のすえにいたった理論と単なる思惟
のうえの理論ではおおきな違いがある。その意味ではこの般若心経の説く空の理論と現代
物理学の量子論がある意味で接近しているといっても、般若心経が現代物理学をすでに超
えていたということではないと思う。ただ、この分析的手法ではなく総合的に物事を捉え
ていく手法、新しい知的パラダイムをひらいていくひとつの手段として見直していくべき
ものであると思っている。ついさいきんこの般若心経を読み出したところ、まだまだ理解
不足、わけのわからないところが多々ある。この小文もおそらくわけのわからない所だら
けと思うが、たわごととおもい勘弁ねがいたく。

参考としたもの【般若心経】
 『般若心経』 金岡秀友 講談社学術文庫 一四七九
 『般若心経』 玄侑宗久 ちくま新書 六一五

 その他、般若心経関係書籍は多数あります。
『不確定性原理』 都築卓司 講談社 ブルーバックス  などが参考になります。
 なお玄侑氏の本は今日的であり、かつ現代物理学との関係についても触れています。

 ともかく奥が深すぎ小生には無理、あたま混乱しそう。それでも般若心経を書き下ろし
 ただけでも少しはよかったかと思っています。

                 完

(斜光17号 2012)

般若心経 一巻
奈良後期(8世紀) 長保寺蔵(α編集部)



346

 

あきづき (前半)

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年10月25日(土)17時33分6秒
  .

               あきづき(前半)



          作品著者の斜光初寄稿は『 2.零式艦上戦闘機』でした。(2003年8号)
          それから11年、日本の技術力を振りかえる場が空から海へと移りました。
     日清戦争に始まり第二次世界大戦敗戦まで、辛口評価が随所にみられま
     すが、ゼロ戦同様、小さなアジアの国が欧米大国の技術を学びとり失敗
     の中で工夫を積み重ねていった技術力です。その力が未来の平和な日本
     に繋げていくはずだ、繋げていって欲しい、そんな確信と願いのような
     ものが伝わってきます。戦争に、帝国海軍に奔走され終戦1年前に沈没
     した「秋月」のためにも…。(α編集部)



 「あきづき」って知っていますか。我らが佐高十一期の秋月孝介兄のことではありませ
ん。これから書くのは日本帝国海軍、あるいは日本海上自衛隊に所属した、あるいは所属
している艦艇のことです。
 まず日本帝国海軍にかつて所属した「秋月」について。これを便宜上、初代としておき
ます。初代は漢字で「秋月」です。この初代艦種は駆逐艦となっています。帝国海軍にお
いては、駆逐艦はその戦略上きわめて重要な艦種でした。「帝国海軍艦船令」によると、
駆逐艦は狭義の軍艦の範躊に入っておりません。
 狭義の軍艦とは戦艦、巡洋艦、航空母艦、潜水母艦、水上機母艦、施設艦と練習戦艦、
練習巡洋艦です。これら軍艦は、艦首に菊の紋章がついていました。駆逐艦は軍艦ではな
いので、帝国海軍艦艇の象徴であるかのように思われている菊の紋章はついていません。
 ちょっと冗長であるかとも思いますが、まず駆逐艦とは何かということから入っていき
ましょう。駆逐艦は十九世紀末に誕生した艦種です。意外と新しい艦種と思われるかも知
れませんが、第二次世界大戦で使用された艦種のほとんどが十八世紀末から二十世紀初め
に出現しています。これは、産業革命から始まった重化学工業の進展と軌を一にしていま
す。

 駆逐艦の前史として水雷艇というものがあります。これは一八七〇年ごろ実用化され、
魚雷、それ以前には現在の機雷に近い外装水雷、連鎖水雷などを装備していました。この
水雷艇はI〇〇トン未満で外洋航行能力はなく、主として港湾などに停泊している大型艦
艇に対する攻撃に使用されました。事実、日清戦争では、日本海軍の水雷艇の攻撃により
清国の当時の最新鋭の戦艦「定遠」は擱座させられました。
 このような実績は、大型艦艇に対する深刻な脅威とみなされ、水雷艇というやっかいな
小型船を駆逐する艦艇が求められるようになりました。そこで登場したのが、水雷艇駆逐
艦という艦種です。要するに、これを駆逐するために砲力を強化し船体を大型化した水雷
艇です。その後、水雷艇の機能もこの水雷艇駆逐艦が担うようになり水雷艇という艦種は
なくなりました。その後、水雷艇駆逐艦という名称は次第に駆逐艦とよばれるようになり
ました。
 その駆逐艦、日露戦争で世界的に見て最初に実戦に使用されたようです。当時四〇〇ト
ン未満で、長さ七〇メートル足らず、幅七メートルくらいの細長い船です。エンジンはま
だレシプロ蒸気機関です。速力は三〇ノットと当時としては高速な船です。日露戦争以前
日本はこの駆逐艦を国産できなかったので英国より購入しました。いま考えると、四〇〇
トン未満の船をはるばる英国より日本まで回航してきたわけですが、大変なことだったで
しょう。また当時の駆逐艦艦橋は屋根がなく、露天です。四〇〇トン未満の小さな船で、
しかも三〇ノット、もっともこの値は最速であり通常は二〇ノットくらいで航行すると思
いますが、海がしけたら艦橋の指揮官以下、海水をかぶりずぶ濡れになることもあったと
思います。

 さてこの駆逐艦、日本帝国海軍は日露戦争時その特性を利用し有効に活用しています。
初期の旅順港封鎖作戦、これはうまくいかなかったようですが、日本海海戦では昼間の戦
艦による砲戦で傷ついたり逃れたりしたロシア戦艦群に対し、夜間肉薄し魚雷攻撃し葬り
去りました。この日露戦争の海軍の作戦の究極の目的は、日本と大陸(朝鮮半島)との補
給路を確保することでした。このため、バルチック艦隊を迎え撃った日本海海戦において
も、可能な限り、できれば全てのロシア艦艇を殲滅(せんめつ)させ、ロシアの根拠地ウ
ラジオストック(旅順はその前にほとんど壊滅)に到達させないことにありました。その
ため昼間の戦艦、巡洋艦による砲撃を逃れた艦船を夜間、駆逐艦による襲撃により殲滅す
る作戦を用いたのです。
 この日露戦争、帝国海軍にとって初期にはいろいろつまずきもありましたが、それらを
乗り越え工夫し、最後の日本海海戦は空前の勝利であり成功でした。当然、駆逐艦の使用
法もその成功の中に含まれます。この成功体験が、その後の帝国海軍の進行に大きな影響
を与えました。もちろんこの成功体験だけが帝国海軍を動かしたわけではありませんが、
その考え方に影響を与えたことは間違いないでしょう。武器体系、世界情勢、日本の国力
などにより時代は進んでいくのですが、その後の帝国海軍の駆逐艦はいわゆる艦隊駆逐艦
の方向へと進んでいきます。これは特に帝国海軍に限ったことではなく、米、英の二大海
軍国も同じく艦隊駆逐艦の方向に進んでいきます。艦隊駆逐艦とは戦艦、巡洋艦などの大
型の軍艦と外洋で行動を共にし、高速で敵艦隊の大型艦艇に接近、魚雷攻撃を行うことが
でき、一方では敵高速艦艇より味方の主力艦艇を守るものです。これを具現化したものと
して、一〇〇〇トン以上の大きさ、速度が三〇ノット以上のものとなっていきました。

 この発展途上に第一次世界大戦が発生します。このとき新兵器として潜水艦と飛行機が
登場、それに対抗するものが求められるようになりました。駆逐艦という艦種は、高速で
ありまた小回りが利くという所から、汎用的というか雑多な任務に適応しやすいものでし
た。このころから駆逐艦は、先にのべた艦隊駆逐艦と潜水艦の脅威から輸送船群を守るた
めの護衛駆逐艦の系統にわかれていきました。
 また艦隊駆逐艦であっても対空、対潜、哨戒、艦隊直営衛等多様な能力が付加されるよ
うになりました。特に英国はこの戦争で、ドイツ潜水艦群により多数の輸送船を攻撃され
息の根を止められそうになった経験よりこの護衛駆逐艦が発展しました。これは失敗経験
を生かして進化していった例でしょう。
 一方、日本は第一次大戦における過酷な総力戦あるいは消耗戦を経験することがありま
せんでした。また、その教訓を真剣に学ばうともしていないようです。帝国海軍は潜水艦
航空機の攻撃性については早くからその可能性について取り込む努力をしています。その
一方、これらの兵器に対する防御努力は不足したというのが実情でしょう。近代工業技術
を有している国、まして自国よりはるかに大きい工業技術を有し国力も大きな国において
自国の攻撃力が向上していくということは他国の攻撃力は数段上回って向上していくとい
う単純なことを軽視した、あるいは無視した、あるいは想像力の不足というべきか。
 さらには、軍縮条約による数の不足を補うべく個艦優秀主義へと進化していきます。ま
た帝国海軍の用兵構想のなかで、駆逐艦の用途があります。日露戦争のように、侵攻して
くる敵攻撃艦隊に対し潜水艦による雷撃、航空機による攻撃、さらに駆逐艦の夜襲による
雷撃等により敵主力艦を漸減させ、主力艦同士の対戦を有利にもっていくと言う考えかた
です。主力艦においても、敵より大きな主砲で敵の主砲の射程外より攻撃するという、い
わゆるアウトレンジ構想があり、巨大戦艦「大和」「武蔵」が建造されています。
 そのような考えで建造された帝国海軍駆逐艦は諸外国の駆逐艦に比べ雷撃に特化し、そ
の攻撃性は強いものの、対潜・対空能力において劣るものとなりました。またそのころ世
界で始めて実用化された六一センチ酸素魚雷などもあり、ますます雷撃に特化していきま
した。要するに、帝国海軍は戦争のあり方を見誤ったのです。太平洋戦争の結果をみれば
これらの特徴は全て裏目に出ているようです。個艦優秀は建造に手間がかかり量産できな
い、対潜・対空能力の不足は航空機・潜水艦の攻撃になすべくもなく撃沈されています。
 また特徴とした雷撃能力ですが、海戦の形態が変化し敵大型艦船に夜問肉薄し雷撃を行
うというような場而はほとんどありませんでした。

 さて、ここで初めて「秋月」が登場します。この秋月、従来の帝国海軍駆逐艦とは系列
がまったく異なる艦です。航空艦隊の直衛用として計画されたもので、雷撃能力より対空
兵装に重点を置いています。この秋月があったということは、魚雷攻撃一辺倒の偏った考
え方に凝り固まった中にも一片の涼風を感じますが、いかがなものでしょうか。
 このあたり、ちょっと複雑な感じもするのは、米英では防空に徹した駆逐艦は雷装を撤
廃しその雷装のための重量を対空兵装に当てているのに対し、秋月型においてはまだ雷装
を保持しています。保守的というか、あるいは貧乏人のしみったれ根性か、ともかく思い
切りが悪いように思えます。したがって、駆逐艦とされ従来型の魚雷戦に特化した駆逐艦
を甲型と称したのに対し、乙型と称しています。
 軍艦というものは、同じ性能形態のある、まとまった数が建造されるのが通常であり、
最初に建造された艦の名前をネームシップあるいは一番艦と称し「何々型」とします。秋
月もネームシップであり、昭和十四年より計画され、最後の艦は昭和十九年に竣工してい
ます。秋月型は全数で十二隻就役しています。計画では三十九隻でしたが、複雑・大型で
あり多量の資材が必要、絶対的な建艦能力不足など多多の原因がからんでいました。この
秋月型、優秀な対空能力でそれなりに活躍したようですが、レーダに連動した対空射撃管
制、近接信管の未実用化等システムとしての完成度は同時期の米英の駆逐艦に比べ劣るよ
うです。秋月型十二隻のうち終戦まで残存したものは六隻です。なお「秋月」は昭和十七
年六月竣工、十九年十月戦没となっています。合掌。
                      続く



           「秋月」駆逐艦  画像:M-Cubed I より
          

         1941年(昭和16年)5月15日、正式に「秋月」と命名、一等駆逐艦秋月型
           「秋月」として登録、7月2日附で佐世保鎮守府籍。1942年(昭和17年)
           竣工後ただちに実戦配備され、6月、第五航空戦隊の空母「瑞鶴」を護衛
           してアリューシャン方面に出撃し、24日に横須賀に戻った。(編集部)

308

 

チュルクのくに 後半

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年10月15日(水)09時56分34秒
編集済
  .

       チュルクのくに 後半




 中国では、南北朝末期の混乱が収束しつつあった隋建国のほぼ三十年前のこと。この突
厭は、隋とその後の唐の両帝国と複雑なからみがあります。唐時代半ば、安史の乱の頃ま
でつづきます。その後、同じトルコ民族のウイグル(回鶻)がモンゴル高原、ソグド地方
の覇権を手にします。その頃ソグド地方にアラブイスラームの勢力が浸透、唐帝国とアラ
ブアッバース朝勢力との間の戦い(ダラス河畔の戦)等、唐とアラブイスラーム勢力との
間に、中央アジアにおける覇権争いが起こります。
 この覇権争いにチュルク民族(ウイグル)が大きな係わり合いを持ち、かつこの覇権の
帰趨を決めるのに決定的役割を演じたようです。ともかく結果として中央アジアの覇権は
アラブの手中に、アラブの力が唐を凌駕し、この地方のムスリム化が始まります。当時の
トルコ民族の覇者ウイグルにはマニ教徒が多かったようです。しかしこのウイグルは分裂
し、その一部は西方に進出します。いわゆるソグディアナあるいはトランスオクシアナと
いわれる地方が、その後今日のトルキスタンと呼ばれるようになっていく嚆矢(こうし)
です。
 そのなかでトルコ民族は、ムスリムとの接触を通じて徐々にムスリム化していきます。
奴隷、軍人としてイスラーム世界に入っていくのです。突厭、ウイグルなどのチュルク民
族は遊牧生活が基本ですが、ソグド人など商業民族を支配下におき、東西貿易による膨大
な利益を手にすることができました。そのなかで、中央アジア西方に進出したチュルク民
族の一つにセルジューク族がありす。このセルジューク族の国セルジューク朝は、アッバ
ース朝のカリフの権威のもとにスルタンとして君臨、十一世紀の最盛期にはイラン、イラ
ク、中央アジア、シリア、パレスチナ、アナトリア半島まで支配領域とした大帝国です。
 もっとも一円的支配は長く続かず、地方政権に分裂していきます。アナトリア半島では
ルームセルジュークの名で地方政権として存続。この政権は、モンゴルの侵入、あるいは
十字軍などにより、中断したり復活したりします。ともかく、アナトリアがトルコ化され
始めたのです。そのセルジュークが滅亡した後がオスマンということになります。
 ここで筆者の大いなる誤解のもとがあった。オスマンとは、はるかアルタイより長駆遠
征してきたチュルクの部族と思い込んでいた。ところがオスマンは、セルジュークトルコ
の一戦士集団で西方に位置したものの一つである。日本でいえば戦国期辺境の名もない土
豪である。互いに抗争、集合離散繰り返しながらしだいに頭角を現わしてきたものである。
 もともとアナトリア半島は、中世ではビザンティン世界の東半分を占めたギリシャ世界
であり、ギリシャ語が話されていた。それが、セルジュークの侵入よりしだいにチュルク
化していった。当時アナトリアの人口が幾ばくかは知る由もないが、侵入してきたチュル
ク人に対し圧倒的多数のギリシャ人がいたと思われる。それらの人々が、侵入者にして権
力者のチュルク人に同化していったのであろう。今日と違い、民族としての自覚・誇りな
どという教育はなされず、ともかく権力者に同化していくのは生きるうえに何かと便利で
あるからである。
 一方、侵入したトルコ民族にしてからが、もはや中央アジア、アルタイの騎馬民族とは
遠く離れた人々であったろう。中央アジア、アルタイからトランスオクシアナヘ、ここの
先住民であるイラン系の人々との混血、続いてのメソポタニア、イランヘの進出、また先
住民との混血など、とくにセルジュークトルコ王朝トップはトルコ人であるが、宰相以下
ほとんどの要職をイラン系の人々が占め公用語としてペルシャ語が使用されていた。現代
トルコ語にも、このペルシャ語からの借用語がかなりあるとのこと。同じように、アナト
リアに進出してからは原住のギリシャ系の人々との混血があり、もはやアルタイに住んで
いた初期のチュルク民族とは相当違った外見を持った人々であったと思われる。オスマン
最盛期にはアナトリア、バルカン、ハンガリー、アラビア半島、エジプト、アフリカのマ
グレブと広大な版図を有するに至った。
 このオスマン帝国は、第一次世界対戦終了までおよそ六百年の命脈を保ったのである。
これだけの命脈を保った帝国は世界史上あまり見当たらない。あのローマ帝国でさえ、帝
国としては五百年である。今、このオスマン帝国の長い命脈について日本でも色々解説、
あるいは歴史についての書物が出版されている。興味のある方は、そちらのほうをお読み
になってください。
 この世界史上でも稀な長命な帝国は、思われているような野蛮で残忍な国ではなかった
ようです。むしろ最盛期を見ると、ヨーロッパ諸国のほうが後進地域であったというべき
でしょう。これは宗教の違い、すなわちイスラームとキリスト(仏教的多神教の世界観の
文化世界から見て)近親憎悪のような世界観も影響しているようです。もっとも、同じム
スリムでも、このトルコとアラブの間には相互不信があるようですが。ともかくトルコが
遅れ出したのは十八世紀後半、ヨーロッパに始まった産業革命以降です。

 このオスマン、イスタンブールのトプカピ宮殿や壮大なモスクにその盛時の姿を見出す
ことができます。とくに私にとって興味深いものは、展示されている中国・日本の陶磁器
中国は宋、元、明、清時代のもの、日本のものとしては伊万里焼(有田焼)の華麗な磁器。
当時日本、中国ともに半鎖国状態。日本は中国、オランダとのみ通商、これらの磁器は、
オランダ、ヴェネツイア経由で入手したものか、あるいはアジア内陸のいわゆるシルクロ
ード経由か、いずれにしても極めて高価であったと思われます。その財力が偲ばれます。
 また壮大なモスク群は、いわゆるオスマン様式モスクです。壮大な石造建造物は、今の
ような重機もなくどうやって建造したのだろうと思いますが、逆に考えると、ともかく人
間というものは必要となればその時点での可能なあらゆる手段を動員して、たいていのこ
とは成し遂げる、そんな動物なのだろうと思います。このイスタンブール、約千年の間ビ
ザンティン帝国の首都でありながら、今はその関連のもの、城壁、水道橋、地下貯水池、
それとアヤ・ソフィヤ(寺院)美術館など壮大なものが残っているが、オスマン時代に建
造された壮大なものの影に隠れて目立たないのも事実である。さらにビザンティンの人々
の生活の匂いを感じるものも、ほとんど残っていない。
 ビザンティンは、私にとって謎の国であり、興味があるところである。クセジュ文庫に
ビザンティンについての本があるが、この「クセジュ」、たいていはヨーロッパの学者の
著作を日本の研究者が翻訳したものであるが、専門家でないと解りにくい。あるいは、訳
した日本語がこなれていないなど、読むのに苦労するものが多いこともあり、購入はした
が読み終えていないものが多い。
 私の好きな博物館に、アスキリミュージアムというものがあります。日本語でいうと陸
軍博物館。ほとんどオスマン関連のものばかりで、アジア北方の遊牧生活を物語るような
武器、武具、セルジューク関連、あるいはビザンティンの武器、武具の遺品などはほとん
ど見当たりません。ただ、金角湾を封鎖していた鎖が展示されていました。
 といったわけで、東西文明の接点といわれるところ、そのたたずまい、人々などの雰囲
気のなかに感じ取るのみ。そう思ってイスタンブールの街中を歩いてみると、そこで行き
かう人々の中にはギリシャ彫刻から抜け出たような風情の美女、中にはアジア人の風貌を
残した人も。さてまた、バザールを歩くと、まさに東洋的喧騒の只中、ここでも例のチャ
イがふるまわれる。そういう意味ではまさに東西の接点である。

 最後になるが、イスラームという宗教について彼の国で私が感じたこと(彼の国では、
信教の自由は法律で保証されていますが、九〇%以上の人々がムスリムです)。
 私がトルコに行き来していた頃、イスラーム世界と西ヨーロッパ世界との、文明の衝突
とも思える事件が世界で頻発するようになりました。そこで、ほんの少しだけイスラーム
について勉強しました。そこで思うことは、イスラームという宗教は宗教としては厳密な
一神教であり、唯一神への絶対的帰依を要請しています。ただ、自分の考えていた宗教と
いう範疇とかなり違うなとの認識である。まず神秘性が少なく理知的であり、あえていえ
ば世俗的。日常生活に対する指導書といったところがあります。生活指導といっても、そ
の背景は七世紀当時のアラブ部族社会の中でのあらまほしきルールといった面があり、そ
れがそのまま現代社会に適応しないところもあると思われます。
 また別の見方では、キリスト教のバージョンアップのようにも思えるところがあります。
この宗教はキリスト教、仏教のような、いわゆる聖職者は存在しません。今、何々師とい
われる人々が話題になることがありますが、彼らは聖職者ではなくイスラーム法学者であ
り、「クルアーン」「ハディース」などの聖典とされるものを研究している学者、という
位置付けが正解です。もっとも、これらの聖典を研究することでイスラームに対する正確
な知識を有するということで尊敬され、導師の役割をはたしているようである。この世俗
的神秘性の少ない合理的教えは、その世界が活力を保っていた時代には時に応じ内容も時
代に合わせて変わっていくダイナミズムを有していた。ところが近代以降、いわゆるイス
ラーム世界が西ヨーロッパの膝下に屈し、かつての先進地帯が後進地帯となって停滞した
あと、急激な現代思想にさらされ、民の誇り、かつての栄光の歴史などを再認識したとき、
拠って立つ思想として、進化を止めていた七世紀のイスラームに辿り着いたとき、いわゆ
るイスラーム原理主義となって現代社会の不安定要素となっているようです。
 このような封鎖されていた一つの文明が、他の文明と急激に接触を開始した時によく起
こる現象でしょう。たとえば、日本の江戸末期から明治維新の頃、極端な神国思想に基づ
く尊王攘夷、それに根拠を置くテロなどが思い浮かびます。日本においては明治維新とな
って開国し、攘夷論者は現実を認識して急激に開国へと考えを変えていったようですが。
ところが、イスラーム原理主義の場合、背景にあるのが一神教、神の指示となると、それ
に帰依する人々にとって抗うことは極めて困難です。ちょっと厄介な現代の問題です。
 これらの問題とは別に、トルコ共和国固有の問題として、この国のようにその構成人員
がほとんどムスリムという場合、ほんとうにその標榜している世俗主義(宗教とは一切か
かわらないという現代トルコ共和国の国是)がほんとうに成り立つか、先ほど述べたよう
にイスラームは極めて世俗的な要素があり、政治上の世俗主義とうまく融合できるか。現
在トルコは、イスラーム主義政党が議会でも多数派となり首相もそこから出ています。一
方、政治上の世俗主義、これはトルコでは軍が支持しています。今、その間の緊張が高ま
っているようです。
 また建前上、トルコはチュルク民族単一で成り立っているということになっています。
実際上は多民族国家であり、特にクルド民族が東方では相当有力、それに伴う民族対立、
紛争もかなりあるようです(アラブイスラームの英雄サラディーンはクルド人とのこと)。
 いろいろ現代トルコ共和国に問題はあるようですが、ともかく極めて親日的な国です。
 さて、トルコとチュルクの区別は、トルコとは今のアナトリア半島とトラキヤ地方にあ
る国であり、チュルクとは民族としての名称としました。このチュルク語は、中央アジア
からアナトリアまで非常に広範囲の人々が話す言葉で、方言も多岐にわたると思いますが、
トルコ共和国の人々は、中央アジアの人々の話していることをおおよそ聞き取ることがで
きるとのこと。

 最後に三都の印象。
 イスタンブール。ここは国際都市。東西の接点地で、どちらかというとヨーロッパに顔
を向けている風情がある。
 アンカラ。土俗的、トルコ的。ローマ時代の遺跡あるいはセルジュークの遺跡、またそ
れ以前のアナトリアの遺物を集めた考古学博物館などがあります。
 イズミール。エーゲ海に開けた港湾都市。近郊にギリシャ(イオニア)の遺跡あるいは
ローマ時代のエフェソス遺跡などあり、開放的な都市です。
 今のトルコ共和国の人々は、自分達のことをトルコというかチュルクというか、その発
音はどちらかというとチュルクに近いようですが、トルコとも聞こえます。どちらにして
も、日本語のかな表記ではうまく表せません。

*参考書一覧
 古代遊牧帝国  森 雅夫  中公新書
 オスマン帝国  鈴木 薫   講談社文庫
 オスマン帝国五百年の平和   林 佳世子 (興亡の世界史)講談社
 ビザンツ帝國史        ポール・メルル(西村 六郎訳)  文庫クセジュ
 ビザンツ文明         ベルナール・フリューザン(大月康弘訳)文庫クセジュ
 ローマ亡き後の地中海世界(下)塩野 七生 新潮社
 コンスタンチノープルの陥落  塩野 七生
 海の都の物語(下)      塩野 七生
 ロードス島攻防記       塩野 七生
 その他、トルコ関連の書籍は多数あるようです。

                 完
(斜光15号 2010)


※この作品の後、著者はトルコを取り上げた作品を同人αで発表しています。
題名の上をクリックしてみてください。(編集部)
『三点セット』同人α 第26号  『イスタンブール追憶』 同第30号

295

 

(無題)

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年10月15日(水)09時21分24秒
編集済
  .

       チュルクのくに 前半




   親日国で知られるトルコですが、意外と知られていないことがたくさんあ
   ることに気付かされます。
   古代より東西の様々な要素が混じり合うトルコを、食文化を皮切りに、遠
   い昔の遊牧トルコ系諸族〔丁零〕や〔突厥(チュルク)帝国〕に遡って取り上げ
   ていきます。著者が親トルコ派であることの理由のが分かるような作品で
   す。 (編集部)




 仕事であったが、世界各地いろいろ行った。そのなかでもトルコ共和国が一番回数も多
いし、滞在期間も一番長い。およそ十回以上、滞在期間合計一年を越えていると思う。し
かもほとんどの場合一人であったが、そこで、休日は街中を歩き回り楽しんだ。足跡を残
したのはアンカラ、イズミール、イスタンブールのみであるが、それぞれの街、かなりの
ところは目をつぶっても歩けるようになった。

 彼の国、象徴的な物は私にとって「チャイ」「アイラン」「ラク」である。これを自分
で(私の)トルコ三点セ。トと呼んでいる。
 「チャイ」、これは最近トルコツアーも盛んであり、彼の地で経験された方も多いと思
う。解説するまでもなかろう。ただ現地の人々と一緒に仕事をすると、観光ツアーでは見
えないところが見えてくる。オフィスの中にもチャイのサービス拠点が多数あり、電話す
ると運んでくる。多分、当時一杯五円くらいだったかと思う。これは日本円換算であり、
現地の人の感覚ではいくらぐらいだつたのだろう。このほかにも事務所の内部に湯沸かし
器を用意し、自分たちで用意する分もあった。なにかと「チャイ」を飲まないと始まらな
い。日本でもコーヒー等の自動販売機が設置されているが、日本では個人的嗜好であるが
トルコにおいては集団的嗜好とでもいえるようである。当時から私、インスリン浸けの身。
「チャイ」とともに使用する角砂糖が最初気になったが、砂糖なしの「チャイ」は考えら
れないくらい密接な関係があり、頑張って飲むことにした。そのうち砂糖のことはあまり
気にならなくなり、なにかと「チャイ」がないと始まらないような気分になった。
 次の「アイラン」、これは水溶きヨーグルトである。水に塩、ヨーグルトでできている。
最初はなんとも異なる味と思ったが、慣れると悪くないものである。時とともに積極的に
注文するようになってきた。主に昼食時が多い。
 三番目の「ラク」であるが、これは強烈な蒸留酒である。アニスの匂いとほのかな甘さ
がある。通常水で削るが、そのとき無色透明のものが白濁してくる。これを「ライオンの
ミルク」というそうである。この「ラク」、地中海沿岸に沿ってあるそうだ。ギリシヤで
は「ウゾ」というそうである。南フランス地中海側でもあるとのこと。この「ラク」を飲
む習慣があるトルコの人々を、ムスリムでありながら酒を飲むとは怪しからんということ
で、イスラーム原理主義者より強く非難されているとのこと。
 ここでトルコの人々の名誉のために言っておきますが、イスラームに従い、飲酒一切お
断りという人もかなりいます。この三点の他にも、独特なものが多々あります。

 最近日本でも街角の屋台で見かける「ケバブ」、これも各種いろいろあります。日本の
焼鳥のようなものから、焼肉のようなものまでいろいろあります。日本でも最近街角で見
かける、肉の塊に一方向から熱を加え、それを回転させながら焼いていくものは、たしか
「ドネルケバブ」といったようです(記憶たしかならず)。その他、いろんな名前のケバ
ブがあります。人によっては、この「ケバブ」のほうをトルコの象徴とされるかもわかり
ません。 このケバブには各種あり、一概にこうと言い切れませんが、焼いた肉、トマト
(焼き)、パプリカ(なかには恐ろしく辛いものあり、一見してわかりませんが一度これ
にめぐり介い、涙が出るどころの騒ぎではなかった記憶があります)などと、一緒に食べ
るものが多い。残念ながら筆者はあまり「ケバブ」好みでなく、あまり食べたことがない
ので代表としてあげていないだけ。
 ところでこの「ケバプ」、焼鳥のようなものから……と書きましたが肉は全て羊。街角
の肉屋には皮をはいだ羊の半身がぶらさがっています。われわれは、まず羊というと、羊
毛を採るおとなしくやさしい動物というイメージですが、たぶん彼の国では食べるものと
のイメージではなかろうかと思います。いちど聞いてみようと思っていたが、記憶にない
ところを見ると質問したことがないと思います。彼らの家庭において肉をどのように購入
しているのか、これも不思議です。少なくとも、日本のようなスライスした肉は店頭では
見たことがありません。それと鶏、よく生きた鶏の縛った足を持って歩いている人を見か
けましたが、多分その鸚はその日の食卓に並ぶのでしょう。要するに鶏肉を販売するとい
うことでなく。生きた鶏を販売しているようです。
 この他、いろいろ日本と異なるものがあると思いますが、まずは第一印象といったとこ
ろです。
 この国の食は世界三大料理のひとつといわれるくらい豊かでおいしいものです。羊の肉
で思い出したものに、羊の頭(骨付き)のスープ、これはイズミールで経験したもの。当
時はアンカラから出張の人々と日本からの自分とが同じホテルに滞在し仕事をしていまし
たが、一緒に朝飯屋に行き経験したもの。羊の頭の半分と記憶していますが、目玉がにら
んでいました。うまいのですが、ちょっと抵抗があります。もっとも日本でも鯛の頭の兜
蒸しなどあり、獣と魚の違いはあるが同じようなもの、食習慣の違いから最初はなんとも
気味悪く見えます。ともかくこのような異質なもの、一度咀嚼とまでいかなくとも、通過
してしまえばあとはなんともないものです。

 このトルコ、一度は行ってみたいと思っていた所でした。しかし当時は軍政下、さらに
直通の航空便はなく、とても行けるとは思っていませんでした。ところが、ひょんなこと
からトルコ行きが実現、しかも長期に滞在することとなり、休日も十分とれ、あちこち歩
き回れることができた。アンカラ、イズミール、イスタンブール、この三都市のみ(地中
海、黒海側は行ったことがない)であるが、充分楽しんだ。なぜトルコか、東西文明の接
点、はるか東方アルタイより移動していったチュルク民族などロマン漂う雰囲気、どうし
てもこの目で見てみたいという気持ちがあった。現実にそこに赴き、そこの雰囲気に浸る
と、今までの自分の思いと相当違うという実感でした。これらについてこれから少し書い
てみたい。

 チュルク民族の歴史上のデビューは漢の時代、北方匈奴王国の一部族としての丁零(て
いれい)であろう。このデビューとうこと、あえていえば、なにも当時のチュルクの人々
が忽然と地上に出現したとかそういうことでなく、ただ、中国の文書のなかであるが、文
字でその存在が記録されている最初であるということ。中国、魏の地誌か歴史書「倭人伝」
に言及されている「邪馬台国」のようなものである。その後、北アジアは、匈奴の分裂、
後漢の滅亡などを経て、いわゆる南北朝時代になる。このころ中国北方では鮮卑族が興隆
し、チュルク民族はその北方に高車丁零といわれ遊牧生活をしていた。この鮮卑が中国内
部に侵入して中国の北朝「北魏」となると、こんどはこの高車、丁零が中国と接すること
となる。このあたり、まだはっきりしないところがある。
 以上は「古代遊牧帝国」(森雅夫)によった。その後、トルコ民族は突厭(チュルク)
という壮大な遊牧国家をつくりあげた。これらの交代ではいろいろ曲折はあったろうが、
ともかく平和裏におこなわれたものではなさそう。すべて、攻めたり滅ぼしたり隷属させ
たりの連続である。この突厭の建国は、時に五五二年となっている。この年を、現在のト
ルコ共和国では建国記念日として認識されているとのことである。

 中国では、南北朝末期の混乱が収束しつつあった隋建国のほぼ三十年前のこと。この突
厭は、隋とその後の唐の両帝国と複雑なからみがあります。唐時代半ば、安史の乱の頃ま
でつづきます。その後、同じトルコ民族のウイグル(回鶻)がモンゴル高原、ソグド地方
の覇権を手にします。その頃ソグド地方にアラブイスラームの勢力が浸透、唐帝国とアラ
ブアッバース朝勢力との間の戦い(ダラス河畔の戦)等、唐とアラブイスラーム勢力との
間に、中央アジアにおける覇権争いが起こります。
 この覇権争いにチュルク民族(ウイグル)が大きな係わり合いを持ち、かつこの覇権の
帰趨を決めるのに決定的役割を演じたようです。ともかく結果として中央アジアの覇権は
アラブの手中に、アラブの力が唐を凌駕し、この地方のムスリム化が始まります。当時の
トルコ民族の覇者ウイグルにはマニ教徒が多かったようです。しかしこのウイグルは分裂
し、その一部は西方に進出します。いわゆるソグディアナあるいはトランスオクシアナと
いわれる地方が、その後今日のトルキスタンと呼ばれるようになっていく嚆矢(こうし)
です。
 そのなかでトルコ民族は、ムスリムとの接触を通じて徐々にムスリム化していきます。
奴隷、軍人としてイスラーム世界に入っていくのです。突厭、ウイグルなどのチュルク民
族は遊牧生活が基本ですが、ソグド人など商業民族を支配下におき、東西貿易による膨大
な利益を手にすることができました。そのなかで、中央アジア西方に進出したチュルク民
族の一つにセルジューク族がありす。このセルジューク族の国セルジューク朝は、アッバ
ース朝のカリフの権威のもとにスルタンとして君臨、十一世紀の最盛期にはイラン、イラ
ク、中央アジア、シリア、パレスチナ、アナトリア半島まで支配領域とした大帝国です。
 もっとも一円的支配は長く続かず、地方政権に分裂していきます。アナトリア半島では
ルームセルジュークの名で地方政権として存続。この政権は、モンゴルの侵入、あるいは
十字軍などにより、中断したり復活したりします。ともかく、アナトリアがトルコ化され
始めたのです。そのセルジュークが滅亡した後がオスマンということになります。
 ここで筆者の大いなる誤解のもとがあった。オスマンとは、はるかアルタイより長駆遠
征してきたチュルクの部族と思い込んでいた。ところがオスマンは、セルジュークトルコ
の一戦士集団で西方に位置したものの一つである。日本でいえば戦国期辺境の名もない土
豪である。互いに抗争、集合離散繰り返しながらしだいに頭角を現わしてきたものである。
 もともとアナトリア半島は、中世ではビザンティン世界の東半分を占めたギリシャ世界
であり、ギリシャ語が話されていた。それが、セルジュークの侵入よりしだいにチュルク
化していった。当時アナトリアの人口が幾ばくかは知る由もないが、侵入してきたチュル
ク人に対し圧倒的多数のギリシャ人がいたと思われる。それらの人々が、侵入者にして権
力者のチュルク人に同化していったのであろう。今日と違い、民族としての自覚・誇りな
どという教育はなされず、ともかく権力者に同化していくのは生きるうえに何かと便利で
あるからである。
 一方、侵入したトルコ民族にしてからが、もはや中央アジア、アルタイの騎馬民族とは
遠く離れた人々であったろう。中央アジア、アルタイからトランスオクシアナヘ、ここの
先住民であるイラン系の人々との混血、続いてのメソポタニア、イランヘの進出、また先
住民との混血など、とくにセルジュークトルコ王朝トップはトルコ人であるが、宰相以下
ほとんどの要職をイラン系の人々が占め公用語としてペルシャ語が使用されていた。現代
トルコ語にも、このペルシャ語からの借用語がかなりあるとのこと。同じように、アナト
リアに進出してからは原住のギリシャ系の人々との混血があり、もはやアルタイに住んで
いた初期のチュルク民族とは相当違った外見を持った人々であったと思われる。オスマン
最盛期にはアナトリア、バルカン、ハンガリー、アラビア半島、エジプト、アフリカのマ
グレブと広大な版図を有するに至った。
 このオスマン帝国は、第一次世界対戦終了までおよそ六百年の命脈を保ったのである。
これだけの命脈を保った帝国は世界史上あまり見当たらない。あのローマ帝国でさえ、帝
国としては五百年である。今、このオスマン帝国の長い命脈について日本でも色々解説、
あるいは歴史についての書物が出版されている。興味のある方は、そちらのほうをお読み
になってください。
 この世界史上でも稀な長命な帝国は、思われているような野蛮で残忍な国ではなかった
ようです。むしろ最盛期を見ると、ヨーロッパ諸国のほうが後進地域であったというべき
でしょう。これは宗教の違い、すなわちイスラームとキリスト(仏教的多神教の世界観の
文化世界から見て)近親憎悪のような世界観も影響しているようです。もっとも、同じム
スリムでも、このトルコとアラブの間には相互不信があるようですが。ともかくトルコが
遅れ出したのは十八世紀後半、ヨーロッパに始まった産業革命以降です。
 つづく
(斜光15号 2010)


山川出版社『世界史図録ヒストリカ』(2005年)より(編集部)

295

 

レンズの向こう 秋 2013

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 9月23日(火)21時38分48秒
                 レンズの向こう
 




        




       






    




    



    

274

 

夏の散歩道

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 9月17日(水)13時19分24秒
  .
                 レンズの向こう
 




 夏の散歩道 





         散歩道
        

 蝉
    






 空に咲く花
    
 『夏』より Photo by I.Takeuchi

266

 

レンズの向こう/夏の色

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 9月 5日(金)13時46分39秒
編集済
                 レンズの向こう
 




        夏の色 



だいだい色

        

カンナ
    

カンナ 2014/7/8
本日梅雨の晴れ間の散歩、路傍でみかけた花です。名前わかりません。ただしオレンジ色の花は「カンナ」
に間違いありません。佐賀の我が家で夏になると咲いていた記憶があります。母を思い出しました。
I.Takeuchi


黄色

ハイビスカス


        ひまわり
        


ピンク・桃色


 


         ? ムクゲ?
         

                            ケシ
    
 『夏』より Photo by I.Takeuchi

ケシ、ハイビスカス、ムクゲ 2014/7/22
先ほど「ニューロンカフェ」掲示板をみました。はなの名前が話題ちょっとありました。
撮影した本人最初は「ケシ」と思っていました。それにしても巨大な花とおもっていました。何しろ花の
直径20センチくらいあります。しかも庭にあり丁寧に育てられているという風情でもありません。
畑のスミのほうになにかの間違いで芽が出てきたような感じでさいていました。

ハイビスカスならたいていは寒さに弱いため鉢植えで育てられています。
ムクゲというのは少生は存じません。いったい何という花なんでしょう。よく似た3種の花添付します。

最初は「ケシ」、次が話題の「?」、さいごの黄色い花が「ハイビスカス」です。
本日梅雨があけたようだとのこと。これから暑さのさかりとなります、ご自愛のほど。
I.Takeuchi

243

 

梅雨の晴れ間

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 7月30日(水)14時06分32秒
            レンズの向こう
 





               梅雨の晴れ間


     梅雨とはいえ晴れ間もあります。
     アジサイと五重の塔は晴れた日高幡の金剛寺(高幡不動)にて撮影したものです。
     (2014.6.18 竹内一郎)


  

        



  

        
          『梅雨の晴れ間』 Photo by I.Takeuchi

207

 

花菖蒲いろいろ

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 7月30日(水)11時21分0秒
          レンズの向こう
 




                梅 雨
                花菖蒲いろいろ



「花菖蒲」「あやめ」「かきつばた」、所詮みな“アヤメ科”アヤメ属ですから風貌は
よく似ています。アヤメと聞けば、梅雨時期のすっと伸びた緑の細長い葉と青紫の花を
浮かべます。そして思い出すのが美術の教科書に載っていた尾形光琳の燕子花(かきつ
ばた)図屏風です。これはちょっと絢爛豪華すぎて、やはりひっそり静かに咲くアヤメ
が庶民にはしっくりきます。(編集部)



黄色でしょうぶ



       




ノーマルな薄紫



                      







  
Photo by I.Takeuchi

207

 

梅雨入り前の猛暑

 投稿者:編集部  投稿日:2014年 7月30日(水)11時16分17秒
            レンズの向こう
 




             梅雨入り前の猛暑



       このところ暑い日が続きます。昨日は東京でも30度超え。
       大分日田では35度を超える猛暑日となりました。
       緑の画像で一休みです。
       (2014.6.1 編集部)



涼む


  

     
        『色々』 Photo by I.Takeuchi


207

 

終わりの始まりあるいは 「錦秋期」

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 7月21日(月)15時33分18秒
  .

    終わりの始まり あるいは 「錦秋期」



   音を楽しむことより自分の頭と手で音を奏でる装置を設計することが好き。
   歴史に登場するヒーロー達の心情を想像したり共感することよりも、歴史書
   の中から真実を探り出す事が好き。著者が理論屋、実験屋、計算機屋、本屋
   であることは間違いないだろう。それでいて人生終盤にさしかかった季節を
   さして「錦秋期」という言葉を思いつく詩人でもある。とにかく何でも納得
   がいくまで熱中し続ける科学少年、歴史少年のように見える。(編集部)






 自分で思っているだけか、かなり長い間生きてきた。あとどのくらい生きながらえるか
予想がつかない。人呼んで熟年というが、これは表立っての呼び方で実はくそ爺である。
ま、そんな歳になったということだ。仕事を辞め十ヵ月あまり、最近は生活のペースがつ
かめるようになってきた。収入は年金のみ、貧乏生活にもそれなりに慣れ、特に不自由す
ることはない。がやはり何かしようとすると先立つもの不足というところである。

                                *

 これまで物造りに懸命になってきた。色々な製品の開発にかかわってきたが、一番長い
間かかわってきたものはTVカメラである。これに対しては技術的愛着がある。
 一方ではこの仕事より離れてほっとしたとの思いもある。TVはあまり見ないことにし
ているが、コンテンツのくだらなさバカバカしさに腹が立つ。世の中に害毒をまき散らし
ている。そんなもののために仕事をしてきたかと思うと情けない。しかしながらこの仕事
現役を離れ早十年、最近の技術については詳細、もはや手がとどかないという思いがある。
なにも基本的なことが変わったわけではない。その基本原理を実現する手法が大きく変化
したのである。昨今、手のひらサイズのHVカメラが家電製品としてあるが、我々が最初
のHVカメラを設計したときは、カメラだけでも、およそ30㎏近く、さらに装置全体の
重さは100㎏近くあったと思う。およそ三十年前の話だ。この三十年、技術は固体化、
ディジタルと驀進した。これにより小型軽量かつ安定な商品が安価で大量にできるように
なったわけだ。いわゆるディジルカメラ、これもその延長にある。

 さて、生来の貧乏性というか、何か物造りをやってないと居心地が悪いというか、落ち
着かない。理由はわらないが何かイライラがつのる。そこで何か作ってやろうと思い巡ら
すのであるが、出来る事は限られている。せいぜい今までやってきた電子機器である。
ところが現在の電子機器、先端レベルはもはや無資本の素人には手が出せない。設備と製
造装置無しではどうしようもない。何か自分でも手が出せる所と考えた結果、これならい
けると思ったのがオーディオの分野である。これもある部分、もはや素人が手を出すとこ
ろではない。やる以上は自分の設計としたい。
 そして自分のオリジンリティを出したい。この世界の、マニア向け雑誌として『無線と
実験』、『ラジオ技術』がある。この二誌を調べてみるとまだ隙間があり、何とかいけそ
うだと思えた。なにしろマニアックな世界であり、色々な迷信(?)がはびこっているよ
うである。昨今の固体化された世界において、まだ真空管信仰が風靡している。なにも真
空管が悪いというわけではないが、各種データをみるとTRのほうがすぐれていると思わ
れるがなぜだかは不明。とはいっても何しろ希代の音痴、小学校以来音楽から逃げてきた。
音の良し悪しが本当にわかるだろうか、不安はある。とはいっても何とか手がかりをと、
まず極めて安易な方法であるが簡単な既成のキッ卜を組み立ててみることにした。
 既成といっても先端技術であるディジタルAMPである。これは従来のAMPと違う原
理で動作するものできわめて効率が高い。今回組み立てたものは出力二〇Wであるが手の
ひらにのる大きさ。従来の構成のAMPであれば一抱えぐらいになるであろう。このAM
Pに対し音源はCDである。これをパソコンのCDベイよりドライブすることにした。
パソコンの組み込みオーディオ機能では、音そのものはあまり芳しくない。そこでサウン
ドカードを追加した。マニア向けの書籍をみるとまだ色々あるようであるが、とりあえず
それなりの音が出るはずとの想定である。火をいれてみるとそれなりの音である。いまの
ところ測定器を持つていないので、出来上がったものの本当のところは不明であるが、デ
ィジタルAMPなど調整箇所もなくメーカー発表のデータとそれほど変わらないはずであ
る。下手な真空管AMPよりましと思われる。

 これで音楽を聴いてみるとおよそ音楽なるもの、技術用語で言うとすれば音のバースト
組み合わせである。ここで考えるといままでAMPの性能指標として言われていた周波数
特性、直線性(歪み率)だけではどうも全てではないようである。いままでやってきた映
像の世界ではなんと言っても位相特性が重視されてきたが、音の世界においてもこの瞬時
の変化を考慮すれば、位相特性を考える必要がありそうだ。さらにバーストの塊であると
すれば、いわゆる周波数特性を考え直す必要もありそうだ。バーストであるということは
そのスペクトルが連続であり、0から無限大の周波数まで含んでいるということになる。
とすれば、耳で聞こえる周波数は二〇キロヘルツが上限ということになっているが、高い
周波数まで必要のはずだ。もっともバーストといっても、所詮人間が楽器を操作している
のであり、その持続時間たるや少なくとも〇・一秒はあるだろう。 とすれば、たとえば
「A」あるいは「い」の音は振動数四四〇ヘルツであり、これが〇・一秒持続する。とな
ると、四四サイクル存在することとなる。とすれば、そのスペクトルの広がりはたいした
ことはない。 ましてや二〇キロヘルツともなれば〇・一秒では二〇〇〇サイクルあり、
スペクトルはほとんど線スペクトルとみなせる。

 このようなことをいろいろ検討し、設計仕様を決定し自分のAMPを設計製作しようと
思っている。この過程で各種計算を行う必要があるが、数式をたてることは自分でできる。
そして答えは数式処理ソフトを用いて得ることができる。ところが、PCに頼らないで紙
と鉛筆を用いて行おうとすると、お手上げになるものが結構ある。例えば次の定積分(計
算式)だ。
     
ここの結果はわかっているが、どうして解くのかさっぱりわからない。現役でやっていた
ときは結果がわかればよかったのでその過程に立ち入ることがなかったが、時間がある今
なんとか理解してやろうという気になる。このようなことを調べてみると結構根が深く、
いろんなことに関係してくる。

                                *

 さて、終わりの始まりである。気持ちはあってもなかなかことは運ばない。若いときか
ら、こと記憶力となると全くだめである。ましてや昨今である。記憶といっても、数少な
いことを基に論理的に関連する事柄を記憶することについてはそんなに苦労はしない。
ところが全く関係ない数多くの事柄を記憶する、いわゆる暗記については自信がない。

 その暗記力である。読書は好きなほうであると思っている。特に歴史小説好きであるが
登場人物の名前がなかなか頭に入らない。宮城谷昌光の中国の春秋戦国時代を題材にした
ものが好きである。ところがその登場人物は馴染みのない中国名であり、主人公とその周
辺の数人しか頭に入らない。そこで何度も前にもどり読み返す。この中国ものは、物語の
面白さもあるが中華(夏)ということを考えさせてくれる。現在の中共の鼻持ちならない
中国共産党独尊主義につながると思う。中国の歴史を調べてみるとおもしろい。もともと
の中華の「華」は「夏」であり、いわゆる殷(商)の前の「夏」をさす。この「夏」は、
司馬遷の『史記』に記述があるが、直接考古学からの証拠は見つからず存在を疑われてい
たが、近年の発掘でやはり存在したとの見方が有力になっている。
 春秋戦国のころ、かの世界は自由競争の世界であり中華独尊などなかったようである。
中華(世界の中心で文化が周囲に比べ高く高貴)という概念は多分その後秦帝国、あるい
は漢帝国あたりから出てきたようである。もっとも中華民族なるものは、いわゆる黄河中
流域に住んでいた部族の中から発生したものであるが、色々な部族が混合して出来上がっ
てきたものらしい。たとえば「周」、これは彼らが言う西戎、秦もしかりである。漢帝国
崩壊後の異民族侵入により相当な部分が入れ替わり、当時の五胡といわれた北方民族モン
ゴル系、あるいはトルコ系がメジャーとなったようであるが、中国最盛期のひとつといわ
れている隋・唐帝国、その系譜はどうもトルコ系鮮卑族にあるらしい。彼らが言う正しい
歴史認識なるもの、それは常にその王朝が認めたものであり、前王朝の諸事実を自分たち
の都合のいいように取捨選択したものであり、なにも真実を言っているわけではない。
 現在、中共政権が何かと日本にいいがかりをつけてくる歴史認識、それは彼らが自分に
都合のいいように解釈したことであり、あまり本気で受け止めないほうがいいようである。
この中華なる概念、漢民族が北方民族に圧迫された宋時代に朱子学となり自尊独善の度合
いを高め、それが李朝朝鮮に入り小中華となり、今ごろその亡霊が、正しい歴史認識だ妄
言だとか日本に向かって叫んでいる。全く迷惑このうえなしである。

 話が変わるが、塩野七生氏の「ローマ人の物語」という大作がある。十五年がかりで全
十五巻が昨年完結したのであるが、これがまた読むのに苦労した。何しろ膨大なローマ人
が登場してくる。ローマ人の名前など高校の歴史で出てくる数人しか頭のなかになかった。
一応読み終えたことになっているが、頭の中に残つていない。いま二度目に挑戦中だ。
さらに数回読み直しが必要だろう。
 この小文の表題のひとつ「終わりの始まり」は、『ローマ人の物語』第十一巻より借用
した。この巻は、五賢帝の最後の人マルクス・アウレリウスである。このあたりにローマ
の終焉へのスタート地点があったとの著者の思いが題名になったのだと思う。このマルク
ス・アウレリウス帝は哲人皇帝として特に西欧社会では評価が高い。実はこのマルクス・
アウレリウス帝をどのように著者が評価をするか興味津々であった。その前々巻が「賢帝
の世紀」あり、この巻において五賢帝のうち四番目のアントニウス・ピウスまでの記述で
あり次巻を期待して待っていた。ところが次巻は「全ての道はローマに通ず」であり、肩
すかしを食ったかたちとなった。二年間待って出てきた表題「終わりの始まり」を驚きと
ともに目が覚める思いで読んだ。この表題はまさに虚をつかれたというかすばらしい発想
であると思う故にここに借用した。
 学生時代に『ローマ帝国の滅亡』という映画を見たことを思い出したが、内容がほとん
ど思い出せない。本巻にこの映画のことに触れている。この賢帝マルクス・アウレリウス
がその息子である悪名高いコモドウスに何故後を託したか、そのあたりが主題になってい
る。映画では、かの賢人が不肖の息子に跡を継がせるわけがないとの思いがあり複雑にな
っているが、著者はさりげない。これ以外の選択肢がなかったからとしている。このあた
り、じつに塩野七生氏の魅力である。
 ついでに言うと、『ローマ人の物語』四巻「ユリウス・カエサル(ルビコン以前)」を
読んでから、ユリウス・カエサル著『ガリア戦記』を読むとわかりやすい。
『ガリア戦記』はまず、非常に文章がジャーナリスチックというか同時代の人ならわかっ
たであろうが、後世の人にはわかりにくい各々の事件の背景がある。 また当時のガリア
(現在のフランス)の各地名は当時のラテン名だし、さらにいろんなガリアの部族名が加
わり、とてもじゃないが頭に入らない。塩野七生氏の「ユリウス・カエサル、ルビコン以
前」においては、それなりの背景の解説と現代の地名が書いてあり理解しやすい。もっと
もこれだけでは不足で、武器についても多少の知識が必要のようだ。
 『ガリア戦記』によると、ガリアは当時三つに分けられたようで現在もその傾向にある
ようだ。ベルギュム、これは現在のベルギーおよびその周辺で、ガリアとゲルマンの接点
となっている。(現在ラテンとゲルマンの接点である)アキテーヌ、そしてその他のガリ
アとなっている。
 また佐藤賢一という作家による『カエサルを撃て』という小説がある。これはかの『ガ
リア戦記』のハイライトであるアレシアの戦いを、ガリア側の総大将「ウェルキンゲトリ
クス」の立場より書いたものである。 塩野氏はカエサルにぞっこんほれ込んでいるが、
佐藤氏のほうはカエサル(シーザー)を矮小化している。両方読んでみると面白い。
佐藤賢一の西洋時代小説、これもまたおもしろい。『オクシタニア』『双頭の鷲』『傭兵
ピエール』、これらはフランス中世を描いたもので、最初のひとつはカタリ派異端に関す
るもの、あとのふたつは英仏百年戦争に関するもので『双頭の鷲』が初期の話、『傭兵ピ
エール』はジョアンヌ・ダルク(ジャンヌータルク)もの。『二人のガスコン』、これは
有名なアレクサンドル・デュマの『三銃士』のダルタニアンと、日本では島田正吾演じる
『白野弁十郎』として知られている「シラノ・ド・ベルジュラック」が活躍する物語だ
(両者とも実在の人物)。これらを読むと、いまのフランスは、中世以来の南部のラング
ドック地方、アキテーヌ地方、プロバンス地方、アルザス・ロレーヌ地方、それにブルゴ
ーニュ (これは、現在のブルゴーニュ地方とちょっと違い中世初期のブルゴーニュ王国
[公国]公国をさす)地方が北部フランスの主導により併合統一されて成立しているよう
であると思われるが、これは自分ひとりの勝手な極めつけか。このあたり、あまり日本の
歴史教育では触れていない。

 同じ歴史物でも、日本のものは登場人物がお馴染みの場合が多いので読みやすい。特に
源平、戦国、幕末などは馴染みの人々が登場するのでわかりやすい。ところが室町時代と
なるとほとんど馴染みがない。
 最近「悪党の戦旗」(岩井三四二著)を読んだ。室町中期の嘉吉の乱始末記であるが、
登場人物にほとんど馴染みがなく読むのに苦労した。せいぜい赤松氏そのものと、嘉吉の
乱(将軍足利義教が赤松満祐により殺害され、それにより赤松家が討伐され滅亡するに至
る)とその後の赤松家の復活についての知識はあったが、何故赤松家の復活が可能だった
のか、その間のいきさつについては全く知識がなかった。応仁の乱直前の話である。ここ
で思ったのは、現在の日本文明の源流は室町時代にあると言われているが、意外とその時
代の知識がないということだ。どうも室町時代というのは印象が薄い。

                                *

 寄り道をした。よけいなことを書いてしまった。「錦秋期」である。世の中、青春期と
いう言葉がある。若々しく溌刺と伸びていく、すがすがしい言葉である。今となってはも
はや取り戻せない時間である。戻らない時間を懐かしむばかりではおもしろくない。これ
から先、未来の時間を充実させようと思っている。世に言う熟年、悪くはないが何か明る
さ、華やぎがない。日本には秋の紅葉を楽しむ風習があり、錦秋という言葉がある。これ
にヒントを得て錦秋期なる造語を使用した。遠くない将来に死を迎える前の華やぎを大切
にしたいと思っている。
                 完

(斜光12号 2007)

191

 

無用のこと

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 6月14日(土)11時59分48秒
編集済
  .

                   無用のこと




    日常の暮らしのなかで科学的な考察や実験を試みるのは、現実だけに
    生きる人には理解できない姿に映るのでしょうか。大分先に進んでし
    まった電子機器について学びなおしたり、日照時間の変化を数値化し
    てみたり、高校を巣立った同窓の拡散を分析してみたり等々、著者の
    興味は尽きないようです。金にもならず、ひたすら好奇心にかられて
    色々なことに挑戦すること、一見無用なことの中に、人間らしい、人
    間だからこその価値、煌めきがあるように思えます。(編集部)




 気がついていて見ると六十四歳となってしまった。青春のころ六十歳とははるか遠くの
存在であった。六十まで生きていくことなど想像の範囲を超えていた。しかし、ここにき
てみると、これまでの時間の長さが瞬時の出来事のような気がする。特に大きな波乱なく
今日まで通りすぎた。これからもこのような日常がつづくのだろう。
しかし、時代は動いていくというか、電子機器の開発を長い間続けてきたが、この四十年
間の変化、とてつもない大きさであった。最初はまだ真空管の時代であった。それからト
ランジスタICとつづき、最近、これなんと言っていいのか、ICではあるがもはやそれ
をはるかに越えた超ICすなわちLSIの時代である。設計、開発の方法も大きく変化し
た。これらについていくのはこの歳になると大変であるが、あと少しと思って頑張ってい
る。新しいことを色々勉強しなくてはいけないが、なかなか頭に入らず苦労している。そ
れでも何かやっている限り頭脳に刺激があるのか、まだボケそうにない。


 其の一

 日照時間・季節により、日の出、日没時刻が変化する。これは誰もが知っていることで
あるが、何とか数値化できないか考えてみた。これ、自然の変化であり人為的なものでは
ないので解けるとみた。こんなもの、なにもいまさら、分かっていることであり全く意味
がないことであるが、自分のなかで前から何とか解いて見ようという思いがあったので考
えてみることとした。たいした計算ではなかったが結果がでた。
 これを示したものが第1図である。これは北緯三十五・七度のところで、ほぼ東京と同
じ緯度のところである。実線が計算値、点線が理科年表よりプロットしたものである。こ
れくらいの誤差なら計算式は多分間違いないと思う。これに悪乗りし、緯度の異なる地域
における日照時間を表示したものが第2図である。
 第2図は緯度十、二十、三十五.七、四十、五十、六十度の地点におけるものである。
 振幅の小さいほうが緯度の低いところである・なおヽこれらの図の横軸は夏至から始ま
り次の夏至までの一年間である。縦軸は日照時間である。十二時間のところが秋分、春分
である。

     

 図で示していないが、赤道すなわち緯度○のところは十二時間の直線となる。 一方、
極点では夏至から秋分までは二十四時間、そこから冬至を過ぎ春分までは○時間となる。
これを見ると、緯度の高いところほど夏と冬の日照時間に差があることがわかる。これか
ら見ると、地球上の各地点での年間の日照時間の合計は同じである。
正確にはこれらを積分してみる必要があるが、両極端、すなわち赤道と極で考えてみると、
一年間十二時間で変化しない赤道では十二の三百六十五倍であり、極では二十四の三百六
十五の半分倍であり結果は同じである。これはあくまで日射時間であり、地表の受ける日
射熱量は違う。すなわち日射の角度によるからである。これらの曲線は皆さんよくご存知
の正弦波(サイン波)のように見えますが、違います。低緯度地帯では正弦波に極めて近
いのですが、高緯度地域にいくに従いはずれは大きくなります。

 其の二

 分散、あるいは拡散とは、いわゆる固まっていたものがばらばらに散らばる現象のこと
です。自然科学ではよく使用する単語です。これを記述する拡散式なるものがあります。
ある面から見ると、エントロピーが増大していく現象です。
 さてそれはさておき、一九六〇年三月まで佐賀市およびその周辺ほぼ10キロメートル
四方に集中していた高校三年生は、四十五年経ってこんなに分散してしまいました。
これ、エントロピー増大と違い、各人の可能性を追求していった結果であろうと思います。
多分エントロピーは減少したと考えられます。
御託はそれくらいにして、結果を示す3、4、5、6図を見てください。 3図は女性、
4図は男性、5図は全体、6図はクラス別です。

     

     

この基資料は一部不正確なところがあり不明者がかなりありますが、最新版ではもっと正
確になっており不明者の数は減っているようです。物故者の方がかなりいらっしゃるよう
です。
 これを見ると、女性と男性では女性のほうがやや佐賀在住の比率が高いようです。それ
と四国、中国および中部地方の在住が少ないですね。また関西、意外とより少ない。大阪
を中心とする関西の地盤沈下ですか。それよりはるかに離れた関東、関東といっても実態
は東京およびその郊外ですが、現在の日本における関東(東京)の圧倒的力というものが
感じられます。
 いわゆる東京一極集中です。たったこれだけのことですが、それでもここ半世紀の日本
の動きの一端がかいま見えるような気がします。
 この図を作成しながら、現生人類(ホモサピエンス・サピエンシス)がアフリカ大陸を
出発し未知の大陸へと拡散して行ったこと。およそ二十万年前とか。そのとき、きたるべ
き地についての情報は何もなく、なにゆえに、どんな思いで人々は移動していったのでし
ょう。そのことにより現在の我々があるのだが。
二十数年前の人達と比べ、我々が移動していった時には、移動先についての豊富な情報が
あり、移動手段が多々あり、未知の世界に踏み込んでいくという気持ちの高ぶりはなかっ
たのだが。

                 完

(斜光11号 2006)

157

 

デ・ジ・タ・ルということ (後編)

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 6月 5日(木)09時15分29秒
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    デ・ジ・タ・ルということ (後編)




 いろいろ思いつくまま書きましたが、我々が感知するもの、あるいは扱う量というもの
の表現のしかたにアナログとディジタルという二通りの方法があり、そのどちらを用いて
も現実に問題となるようなことはないということです。現時点ではディジタルで処理する
方がすべてにおいて利便性があるということです。しかし現実にある量のほとんどが、連
続なアナログ量と考えられます。技術者の立場でいうと、アナログで考え処理することは
物理現象を見ているということになります。
 一方ディジタルで考え処理するということは、抽象的思考を行っているということにな
ります。もはやその物理的意味は消えています。これはこれで貴重なことだと思いますが
その物理的意味が薄れているため、現実の物に即して考えることがどうしても少なくなり
ます。このため、現在よく言われている子供たちの理科離れにつながるような気がします。
たとえば私など、中学のころ真空管式のラジオなど自分で部品を買ってきて組み立て、な
んとか使える物にしたものです。またそのレベルは当時のメーカー製のものと同等、ある
いはもっと上のクラスのものも可能でした。もっともそのときには理屈のわからないとこ
ろもありましたが、ともかくそんなことをしながら、いろいろと覚えまた考えていったも
のです。
 現在このようなレベルで子供たちがものと向き合えるかというと、はなはだ疑問です。
現在ラジオを製作しようとしても、あるレベル以上のものは自作することは不可能に近い
といえます。まずほとんどICを用いるわけですが、これがまた小さく、数センチ角の中
に数百本の端子が配置されています。昔のように半田付けを行うことなど不可能です。さ
らにそれらの中にたくさんの機能が集約されていて、たとえ組み立てたとしても人口と出
口だけで中がどうなっているかまったくわかりません。これではものの中身を知りたい理
科好き少年の挑戦の精神を刺激できません。現在の理科少年にとってできることは、もの
を買ってきてその使い方、すなわちソフト的工夫をすることくらいでしょう。しかしこれ
はその物理的好奇心を刺激することにはならないように思えます。

 昔はちょっとした知識があればたいていの家電製品、ラジオ、テレビ、洗濯機など自分
で修理できたのですが、最近はまったく手に負えません。すべてICあるいはCPUが制
御しており、外部からはどこがどうなっているのかさっぱりわかりません。せいぜい現象
から推定し、多分このあたりのブロックがおかしいらしいとしかいいようがないのが実情
です。これは電器店でもまったく同じで、修理に持ち込んでも基板交換しかできません。
もちろんメーカーの修理部門でも同じこと。そのため修理費が高くなり、新しいものを購
入した方がある場合安くつくということがおこります。
 もちろん昔から、中身が詳しくわからなくても、ある刺激を与え、それに対する応答を
みてその内容を推定するという方法があり、これはまた極めて洗練された数学的に美しい
理論があります。このような方法に、たとえば新幹線のトンネルのコックリートのはがれ
がありましたが、これを調べるのに、コックリートの壁をハンマーで叩いて、その音を聞
き状態を調べていくのが確かニュースになりました。あれは確かに手間と時間がかかる方
法ですが、熟練者が作業するならば有効な方法なのです。また地球内部の様子を調査する
のに爆薬などを用い、その爆発による地震波を調べることがありますが、これも同様な考
えかたです。このような手法はブラックボックス応答による解析として確立されています。
しかしながら、これらはきわめて洗練された感覚と経験と知識がなくては意味がありませ
ん。子供たちがこのような方法でものを理解していくのは、大変むつかしいのではないの
でしょうか。

 このように考えると、子供たちの理科離れ現象はしばらく続きそうです。これからの日
本が生きていくにはもの造り、しかも独創に満ちたものを造っていくしか道がないように
思えますが、この理科離れ、何とか食い止める方法を考えなければとんでもないことにな
るような気がします。



 最近よく秋葉原でいろいろ仕入れていますが、ここも昔とかなり変わったようです。
昔は部品屋といわゆるジャンク屋が結構ありましたが、最近特にジャンク屋が減ったよう
に思えます。増えたのはパソコン屋、また部品屋もパソコン関連のところが多くなってい
ます。とはいっても中には昔ながらの真空管、あるいは真空管式オーディオセットを販売
しているところやら、青春時代に手作りで楽しんだ真空管式ラジオの組み立てキットを販
売しているところもあり、思わずほっとするというか、頑張ってるね旧友、と思わず言い
たくなる気持ちになることもあります。しかしこれらのものは、いわゆるレトロなものと
してマニアを対象としており、とても高価なものです。とても子供たちが簡単に購入でき
るものではありません。多分六〇年代だと思いますが、当時のTRラジオの製作キットの
ようなものがあればいいなと思っていたら、最近の工作読本という雑誌にそのようなもの
がでていました。もっともこれは大人のマニア向けの雑誌です。このようなものが安価に
教材として普及すればと思います。 要は現在のディジタル技術はきわめて高度であり、
その途中がすっぽり抜けているといえます。そのため容易に近づけないのです。

 昨今、日本経済はやっと上向きになってきたようです。これを牽引しているもののひと
つにデジタル家電、すなわち薄型TV、デジカメ、DVDなどがありますが、これらはす
べて日本が育て上げたもの、独創技術です。これからもこのような独創技術に基づく製品
を作り続けないと、日本の将来はありません。
 これらを作るのは人です。今日のように子供の理科離れが加速していったのでは、日本
の将来はありません。それにはどうしても、先端と入門の間を継ぎ目なしでスムーズにい
ける広い道を、検討する必要があるのではないかと考えます。現在はまさに初歩の算数か
らいきなり微分、積分以上の世界へ行くような状態のようです。これでは子供たちが興味
をもてず、食わず嫌いになるのもわかるような気がします。
 たしかにものを作る立場からいえば、今日のディジタル技術も、ある技術レベルがあれ
ば簡単に模倣し同じようなものが作れます。そのためどうしても簡単に中身がわからない
ブラックボックス化する必要があります。それが、入門者には容易に近づけず、また近づ
くきっかけさえ塞いでいるようです。この点をよく考える必要があります。

 現在の日本の産業をリードしている産業に自動車とデジタル製品があり、これらはどち
らも技術の塊ですが中身は大きな違いがあるようです。自動車はいわゆる組み立て産業の
典型。かつ機械技術ということです。これは長い経験のノウハウの積み重ね、さらに幅広
い裾野が必要な産業です。見かけや形は同じようにできても、乗り心地その他、おいそれ
とまねのできるものではありません。地道な努力の積み重ねにより成り立っている産業で
す。
 一方デジタル製品、これも組み立て産業には違いありませんが、規格化された部品をあ
る目的に向かってつないでいくものです。ある技術レベルであれば誰にでもできますし、
同じようなものは簡単に作れます。そこで常に新しい独創技術、製造方法の追求がすべて
という産業です。書店の技術書のコーナーを見ればよくわかります。ディジタル技術関連
の書籍はくさるほどあります。一方自動車関連のまともな技術書はほとんど見当たりませ
ん。なぜかといえば、一方は簡単に公開できる技術であるということ、片や公開すること
が簡単でない、という技術の違いがあるからです。



 デ・ジ・タ・ルについて書こうと思ってキーを打ち出したら、いつのまにかとんでもな
い方向に行きました。ここで最初から構想を新たに書き直すには、とてもじゃないが時間
がなさそうだ。実はデ・ジ・タ・ルの文明論的側面を書いてみようと思ったのですが、力
不足でこんな面白くないものになってしまいました。

 若いころからTVカメラの設計を行ってきましたが、当時その分野はアナログ技術全盛
の時代でした。そのころは我々セットメーカーのほうが部品メーカーより優位にあり強か
ったのですが、多分私が五十歳代に入ったころ、TVカメラの世界でもディジタル技術が
浸透し、部品メーカーの優位さが目立ちはじめ、最近では完全に部品メーカー主導という
時代になりました。アナログ技術の時代には部品点数一万点くらいを使用していました。
各部品はワン・オブ・ゼムであったのが、ディジタル技術により部品点数が大幅に減少し
その代わりに規模が大きくなり製品の基幹部分をになうようになったのです。そうなると
セットメーカーとして部品を内製できない限り、部品メーカーの言い分を承諾する意外に
方法がなくなってくるわけです。
 その善し悪しは別として時代の流れでしょう。最近では第二の就職先で、ディジタルで
もなく、さりとて完全にアナログでもないが、どちらかというとアナログ寄りのメカトロ
のちょっとした分野に足を突っ込んでいます。アナログで食った人間の最後の砦ですかね。
 また少し余裕がでてきたら、オーディオの世界にも足を突っ込んでみるのも面白いと思
っています。この世界も、そろそろディジタルアンプの時代になってくる気配が感じられ
ます。このディジタルCDは、DVDと意味合いが多少違います。CDなど確かにディジ
タル記録媒体ですが、その出力はすぐにアナログ信号に変換され、そのあとスピーカーを
鳴らすまでアナログです。ディジタルアンプとは、スピーカーを鳴らす直前までディジタ
ル信号で処理するものです。そのメリットは、同じスピーカー出力ではアンプ側の消費電
力が少なくてすむことです。すなわち省エネルギーであるということです。これも信号処
理部のほとんどがIC(集積回路)であり。我々セット制作側には手が出ませんがいかに
していい音を雑看を押えて出力するか、いろいろ工夫の余地があるところです。新たに挑
戦するには面白い分野だと思っています。またマニアむけの真空管アンプの製作、これも
面白そうです。

 最後に小生はデジカメも携帯も有していません。デジカメは欲しいけれども、もうすこ
し待ったほうがいいのではないかと思っています。ちなみに35ミリ銀塩フイルムカメラ
の画質は、ていねいにプリントされたものでおよそ500メガピクセルに相当すると言わ
れます。デジカメもそろそろこのレベルになってきたようですね。買い頃かな。
携帯、あれは必要と思っていません。大体、電話を受けるのが嫌いですから。必要があれ
ば、公衆電話からかければ今のところ間に合います。いつまで公衆電話あるのでしょうか
かなり減ってきたようです。そのうちなくなるでしょう。また小生の生命も消滅するでし
ょう。どちらが早いか見ものです。
 ちなみに小生の予定表では、九十歳まで足腰達者で減らず口をたたき続けることになっ
ています。
                   完

(斜光9号 2004)

137

 

デ・ジ・タ・ルということ (前編)

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 6月 2日(月)10時41分32秒
編集済
  .

     デ・ジ・タ・ルということ (前編)




    同人αの竹内氏の作品のなかに、掃除機が動かなくなり分解してあれこれ
    調べあげる様子が書かれてあった。この人はやっぱり科学少年だと思った。
    この作品もしかり。アナログとデジタルという言葉からは、長い針と短い
    針が刻々と移動していくゼンマイ仕掛けの時計と、時間と分の間の「:」
    マークが常に点滅して、 時刻と分と秒の数字がパチパチと変わっていく
    電子時計が思い浮かぶ。あっという間に後者が前者を席巻した。
    それでも著者が述べるように、科学少年が物を分解し時にぶち壊し何かを
    掴み取り、新しいものを創り出していける機会だけはあった方がいいとも
    思う。元バリバリの科学少年、今も科学少年であり続ける著者からの箴言
    の作品だ。(編集部)




 昨今ディジタルというフレーズに満ち溢れています。デジカメ、ディジタル電話、デジ
タルテレビ、ディジタル時計。など。はたまた、あえてディジタルと名前のついていない
ものでもその代表はいわゆるパソコン、さらには最近のいわゆる白物家電製品、洗濯機、
冷蔵庫、炊飯器、掃除機、冷暖房機など。さらには銀行カードに代表されるカード類、定
期券、乗車券その他ありとあらゆる領域にディジタル技術は入りこんでいます。このよう
ないわゆるハードなものに対し、最近ではディジタル人間、ディジタル思考などなんだか
はっきりわからないが、なんとなくわかるような概念もあります。
 いまやディジタル抜きには生活できないような状態になっています。このように深く生
活に入りこんでいるディジタルとはいかなるものか、正面から議論する能力もないが斜か
ら見てもそれなりに面白いと思い一言述べてみました。以下一般用語として定着している
言葉は[デジタル]と記し、専門的用語としては[ディジタル]と表記します。



 ディジタルとは、もともとこれは英語のdigitalがオリジナル、そこでCODを調べて
みるとないのであります。 小生のCOD(1996年リプリント版で元は1964年第5版)な
ので、多分そのころはまだ言葉として確立していなかったのでしょう。しかしdegitなる
単語があり、これには1.手足の指、2.0~9までの数字、3.太陽、月の直径の12分の1
とあります。Degitalなる言葉のもとは明らかにdigitでありますが、このなかの1.指
から派生したようです。

 それにしてもちょっと不可思議なのは一九六四版のCODに載っていないということ。
この年、小生、大学工学部電気工学科に在学中で、そのころすでにディジタルなる言葉を
盛んに使用していたように思います。
 そのころディジタルといえばディジタル電子計算機であります。そのころは電子計算機
として、ほかにアナログ電子計算機というものがあり、それぞれの得意とするところで住
み分けていたようです。まだ電卓なるものは登場しておらず、ちょっとした計算は計算尺、
あるいは数値が必要な場合、リレー式計算機など使用したものです。また電気工学科の中
での教育では、ディジタルについて、多分電子回路の中で計数回路としてそのさわりがあ
ったように記憶しています。
 当時まだICなるもの、あるにはありましたが、今日の目でみるとひよこ以下のもので、
ディジタルのよさは認識されていたものの、その構成が実に膨大なものとなり、とても簡
単に使用できる代物とは考えられませんでした。せいぜい会社、大学、公共機関などの大
規模な組織において専門家が使用する特殊な機械と位置付けられるもので、今日のデ・ジ
・タ・ル時代の到来を予測することはかなり難しかったようです。
 そのようにディジタルなる言葉は、たぶん六〇年代後半ごろより一般に認知されていっ
たように思います。

 このディジタルとはいったい何なのか。このディジタルに対応する言葉としてアナログ
なるものがあります。こんにち使用されているデ・ジ・タ・ルは、本来のディジタルの類
推的自己肥大的意味として用いられています。本来、ディジタルとは単に数値で表現でき
るものということです。ディジタル表現とアナログ表現とはどう違うのか、ここで考えて
みますに幾何学的なものとします。通常このようなものは存在しませんが、考える上では
「在る」として問題ありません。この長辺の長さは、ということにします。
 さてどうするか、通常、人はたとえば30センチの物指しを持ってきて測り、10.2
センチであるという結果を得ます。またもっと正確に測ろうとするならノギスをもってき
て102.4ミリであるという結果を得ます。現代の最高の測定技術をもってすれば、そ
の精度は100万分の1ミリまでは測定できるはずです。それでも厳密にいえば測定器の
目盛の最小の半分の誤差は含まれるのです。他の測り方としては測定対象の長方形の長辺
にコンパスを当て、その長さを正確に写し取る方法があります。これとて、コンパスの先
端は極めて鋭くかつ正確に写し取ることが可能である、という仮定を入れてのことですが。
そしてこれだけの長さであると認識します。厳密にいうとコンパスであろうと、その他な
んであろうと測定器というものを使用する限り、そのものを構成している原子レベルでの
不確定性を逃れることはできませんからその精度に限度はあります。もちろん第一の物指
しを用いるにしても、その測定の精度は原子レベルの不確定性を逃れることはできません。
 ディジタルとはこの場合の前者、すなわち数値で表現するという立場です。 すなわち
102.4ミリであろうともっと精度をあげた測定値であろうと、数値表現をするという
ことです。当然誤差が含まれますが、測定方法なりを工夫することにより実用上問題がな
いという立場です。
 一方アナログの立場は、コンパスでその長さを正確に写し取るという立場です。これは
ある意味では極めて正確ですが、その値を解釈するという行為が伴い、そこに含まれる誤
差についてはなんとも評価できないものです。もともと自然界のあらゆる量はそれ自身の
都合で決まっているもので、人が自分の都合で決めた単位により規定されるものではあり
ません。それゆえ、ある単位で測ってそれにぴたりと一致することは確率的にはありえて
も日常経験ではありえないことなのです。すなわち数値で表現するということは、厳密に
いえば膨大な桁の数字が必要であるということですが、実用上問題のないところで打ち切
りを行っているということです。人はものの量をディジタルの数値で認識しているのか、
あるいはアナログの類推で認識しているのか、多分本来はアナログ認識であったと思えま
す。しかし時とともに数学が発生し、教育が普及するとともにディジタル数値の認識が普
鳶になったように思えます。それでもやはりその本質はアナログ認識ではないかと眉いま
す。
 たとえばある長さを10.2センチとします。このとき頭の中に1センチの長さのイメ
ージがあり、はじめてその長さが理解できるように思えます。数値で認識するということ
は教育訓練により獲得したものであり、またそれが極めて便利である、ということがこれ
また教育により認識された結果だと思います。数値で認識することにより比較、あるいは
加算、減算など、もっと進むと数学的抽象思考までできるようになったのです。
 ディジタル的でもっとも初歩的かつ有用で日常的なものに算盤があります。現在算盤が
日常的であるかは大いに疑問がありますが、この表現方法はまさにディジタルなのであり
ます。もっとも現在の電子技術の立場は、たとえ数値化されていても、まだそれはディジ
タルとは言いません。現在の電子技術でいうディジタルとは、すべての数値を二進法で表
現することから始まります。たとえば十進法でいう十一という値は二進法では【1011】と
いう表現になります。なぜ二進法を使用するかといえば1と0という二つの状態ですべて
が表現できるからです。たとえば0という状態をスイッチが閉じている状態とし、1とい
う状態をスイッチが開いている状態に対応させます。もちろんこの逆であってもかまいま
せんが、この二つの状態ですべてを表現できるということが極めて都合がいいのです。
このため現在のディジタル装置のなかは、膨大な数のスイッチがつめこまれていると考え
てください。これらのスイッチは、なにも人間の手で動かす必要はありません。そのため
個々の大きさはきわめて小さくてすむのです。さらにこれに加え、メモ紙に相当するもの、
すなわち記憶装置(メモリー)が含まれています。

 ここで現在のディジタル機器と、先に述べたディジタルとの関係ということについて考
えてみます。すなわち音声機器、テレビ、カメラなど直接に人の感覚に関与するもの。あ
るいはいわゆる白物家電といわれる人の仕事を補助する機器、これとて最近は単なる補助
からインテリジェント機能を有するものとなり、ある部分の人の判断指示能力まで有する
ようになっています。皆さん意外とご存知ないかもしれませんが、自動車、これは現在電
子的ディジタル技術がないとまともに動かないものとなっています。その他、現在ほとん
どの工業製品にディジタル技術が使用されています。ここでもう一度ディジタル表現につ
いて考えてみましよう。以下極めてわかりやすいようにあるグラフを示します。

    

図aはアナログ表現、bはディジタル表現、cは現在のディジタル電子技術で使用されて
いる二進法による表現です。皆さんよくご存知の(χ)=χ²
いう関数です。この図を見てわかるように、ディジタル表現はなんとなくごつごつとして
不連続で滑らかさがないように見えます。今日この特徴をもって、いわゆるデ・ジ・タ・
ル的という言葉が出てきているように思います。
 このようななにやら不連続でゴツゴツしたもの、あるいは0と1の羅列したもので、よ
くも音楽や映像のような滑らかなものが表現できるものだと不思議です。
またcで示したなにやら0と1が並んでいる表現、これがまさにディジタルの面目躍如で
す。マルチメディアなる言葉が世間に氾濫した時期があります。今日では当り前となって
あまり聞きませんが。これはなにかというと、データを0と1の二進数で表現することに
より可能になったものです。 従来はTV、VTRで使用されている映像信号、また電話
ラジオ、テープレコーダで使用されていた音声信号などがあり、それぞれアナログ信号と
してまったく別ものであり、互いの乗り入れなど不可能であったのです。しかしデータが
ディジタル化され0、1のデータとなったことでこれらの区別がなくなり、同じ土俵の上
に乗っかることが可能になりました。携帯電話において音声、文字、映像が送受できるよ
うになっていますが、まさにディジタルならではのことです。これはたとえば同じ数でも
1個、2個……、と1枚、2枚……とは違うものを表していますが、これをすべて1、2……
として処理することと同じようなことです。 これにより、数学が形成され抽象的思考が
可能になったように、信号処理の世界も新たな世界が開けました。 いまでは映像信号と
音声信号では、単にデータ量の違いだけということになっています。

 さて次に不連続でごつごつしたもので、なぜ音声あるいは音楽のような滑らかのものが
表現できるかということについて考えて見ます。
 人が感覚器官を通じて受け取る情報は。どうも連続したアナログ量として認識している
ようです。音についていえば空気の振動を音として感知しています。これは明らかに連続
した量です。ではなぜCDなどに記録されている0、1のディジタルデータがあのように
連続量として再生されるのか。これは、フィルタというものがあり、不連続でごつごつし
たものを滑らかにしています。 これはたとえば、PCのソフトにEXCEL(エクセル)とい
うものがありますが、ここでグラフを書く場合を考えます。各々のセルのなかに数字を入
れそれを各種グラフにして表現することができます。ここでまず棒グラフを選びます。
そうすると図bに示したようなグラフがでます。次に同じデータで折れ線グラフを選び、
その中で滑らかな表示をするものを選択します。そこでは図aに示したようなグラフが出
てきます。このような仕事をするものをフィルタと言いますが、CDのディジタルデータ
を滑らかな音にするのに、 このEXCELで使用されているものと同じようなフィルタが使用
されています。さらに付け加えますと、このフィルタがある条件のもとでは完全にもとの
連続データを再現できるのです。ためしにEXCELで試みてください。たとえばEXCELの関数
としてsin(πχ/180)をとり、 χを0度から360度まで20度ごとに入れて結果を折れ線
グラフの滑らかなもので表すと、 正弦波曲線が現れます。 これは近似曲線でなく完全な
正弦波なのです。 このように飛び飛びの不連続データから連続データに変換するとき、
まったく誤差を含むことなく元の連続データが再現できることが保障されていることによ
り、連続アナログデータをディジタルデータに変換し安心して処理することが可能になる
のです。もっともこれには保障制限があります。それは元のデータに含まれる最大の周波
数の倍の標本化間隔が必要であるということです。 標本化間隔とは、連続データを ある
間隔で切り取り不連続データとしますが、 その切り取り間隔です。 図bでいいますと、
(χ)=χ²をχ=1,2,3,4,…… の各点で表していますが、この場合の標本化間隔は1です。
 CDの場合この間隔は44.1キロヘルツ(約22.6マイクロ秒、すなわち100万
分の22.6秒間隔)となっています。音の場合、人が感じる最高周波数はおよそ20キ
ロヘルツといわれておりCDでは理論上22キロヘルツの音までは完全に歪みなく再現す
ることができるのです。最高可聴周波数というのはかなり個人差があり、また年とともに
下がっていきます。もともとひどい音痴のうえ歳も重ねましたので、筆者など多分15キ
ロヘルツでも聞こえないのではないかと思います。このように20キロヘルツまで歪みな
く再現できれば、ほとんどの場合問題はないようです。このようにして、一見不連続のデ
ータが滑らかな連続のものとして再現されるのです。

 一方TVの場合。若干違う方法がとられています。最近の液晶あるいはプラズマなどの
画面は、画素といわれる規則正しく並べられた小さな発光体でできています。これを点滅
させてひとつの絵を構成させていますが、これは明らかに不連続なものです。それを各々
の画素が判別できないような距離より見ると、連続したもののように見えるというわけで
す。ためしにTV画面に近づき虫眼鏡で画面を見てみると、小さな点々が見えると思いま
す。それなんです。この場合目がフィルタとしての働きをしているのです。最近のTVで
はそれらの画素が100万を超えていると思います。

 また画像ではデジカメなるものがあります。このスペック(仕様)によく100万ビク
セルなどとありますが、これがいわゆる画素です。もっとも最近の製品などビクセルはと
っくに100万を超え、400万画素近くまできているようですが。これも一枚の画像を
規則正しく画素数に分割し、その各々についてディジタル処理を行って記録媒体に取り込
んでいます。 もっとも旧来のフイルムカメラについても、実は画素という概念はありま
す。ただしこの画素はデジカメと違い、規則正しく並んであるのではなく不規則で、大き
さもかなりのバラツキがあります。すなわちフイルムの粒子の並びです。

 また印刷された画像、これも規則正しく配列された画素によってできています。印刷さ
れた画像を虫眼鏡で見るとよくわかります。でもこれらは今日の用語でのデ・ジ・タ・ル
の範疇に入らないようです。なぜか、多分その処理方法が電気的ディジタル処理を経てい
ないからでしょう。このようにデ・ジ・タ・ルとは、どうもディジタル処理され、しかも
PCとの親和性がある製品のカテゴリーを含むようです。



 これらの直接人の感覚に触れるものとちょっと違う分野として、最近よく耳にするデジ
タルTV放送、デジタル伝送なるものがあります。このデジタルはいわゆるディジタルと
は違い、伝送する信号はいわゆるディジタル信号でありますが、搬送体としての電波は連
続のアナログです。ただ膨大な信号をいかに効率よく間違いなく送りとどけるか。ここに
各種ディジタル技術の粋を入れてつくり出されています。このほか身近な例では洗濯機、
炊飯器、エアコンにはすべてディジタル処理部分が組み込まれています。これらは各々の
機器に組み込まれている各種センサーから取り込まれたデータを、CPU(中央演算処理
装置)といわれているディジタル演算装置で処理し各種制御を行っています。
 これらはほんの一部分ですが、ディジタル技術を利用した製品はあらゆるところにあり
ます。
 なぜディジタルがこのようにのさばってきたのか。温度、電圧、音、圧力、速度、力、
長さ、質量など、これらの物理量はすべて連続であり、いわゆるアナログ量です。これら
をディジタルにわざわざ変換し、また最終的にアナログ量として出力するメリットは、と
いうことになります。これは0、1の二値に変換することにより判定がたやすくなるとい
うことです・要するに0、1しかないと判っているから、途中でなにかの原因で多少変化
しても、0であるか1であるかの判別がやりやすいということです。アナログであれば連
続量のため、変化したらもはや判別がつかないことになります。ここでデータが「なんら
かの原因で変化したら」と書きましたが、途中で変化することは極めて当り前のことで、
なかにはもとのデータの半分近くまで変わることもあります。しかし0、1に直して処理
することは、連続量の処理に比べ装置の規模が膨大になる欠点がありますが、半導体技術
の進歩により解決されたのです。もともとデータ(情報)は大きさなどありません。原理
的にはそれらを処理するのに大きさは必要ないものです。大きさはそれらの装置を製作す
る製造技術によって決定されるものです。ちなみに現在皆さんが使用されている携帯電話、
あれと同じ機能を持ったものを三十年前に作ったとすると、多分大きなリュックサック以
上になると思います。これが第二次大戦中であるとすれば、多分小型ジープ後ろの席いっ
ぱいを占有するでしょう。よく第二次世界大戦の映画などで兵士が肩に背負っている電話
機が出てきますが、今日の携帯電話はあれよりとてつもなく機能があり、かつ安定してい
ます。 しかも信頼度たるや、現代の携帯電話並みの機能を追加したとすると、一時間に
一回くらいの故障を覚悟しなければならないものとなるでしょう。

 次に先に書いたように、ある制限条件のもとでありますが、ディジタルデータでも完全
にもとの連続データに戻ることができる、ということが数学的に証明されていたこと。こ
れにより技術者は安心してディジタル化に専念することができたのです。またディジタル
の0、1情報はもとのアナログデータの属性を消去し、極めて抽象的なものにし、進歩が
早くなったということもあります。最近では設計するのにも、もはや昔の回路図による設
計ではなく、記述言語といわれる言葉で、データの流れや接続を指定する方法が主流を占
めるようになっています。筆者のようなオールド技術者にはとてもとてもという現状です。
 このディジタルの流れは当面やむことなく、さらに加速し広がっていくでしょう。最近
では処理の早さもPCのCPUでは3ギガヘルツ(10億分の3秒、光が約10センチ進
む時間)となり、そろそろいまの技術の延長ではそれ以上速くするのがかなり難しくなっ
ていますが、現在量子コンピュータなど言われ、二進数でなくもっと多値を扱えるものが
研究されているようです。これ、よくわかりません。
  つづく

(斜光9号 2004)

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零式艦上戦闘機 (前編)

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 6月 1日(日)00時50分42秒
編集済
  .

  「日本の技術は凄かったんだぞ」。
  小さな頃、父からよくゼロ戦の話を聞いたものです。
  「ゼロ戦をつくった三菱のミニカは性能抜群だ」といって初めて買った車
  (中古)を改造して乗り回していました。彼が戦時中も戦後も、著者のよ
  うに他国の戦闘機と比較分析し、当時の日本の国の体制について冷徹に考
  察していたのかは、今となっては確かめることができません。(編集部)




          零式艦上戦闘機 (前編)



これは太平洋戦争において用いられたいわゆるゼロ戦といわれた旧日本海軍の戦闘機で
ある。現在、世間一般には「ゼロ戦」と呼ばれているが、正式には「零式艦上戦闘機」と
呼ぶのが正しいとのことである。斜光にはまえにこの飛行機について2回ほど書かれてお
り、またかなり有名な日本の飛行機でありご存知の方々も多々あると思う。これから書こ
うとすることは、この飛行機に対する蘊蓄を披露したり、またいかにすぐれた飛行機であ
ったかということを述べるのではなく、これを通して見える日本の姿について私見を一言。


 この飛行機には不思議と愛称かない、このあと正式に採用された海軍機には戦闘機だけ
についてもそれぞれの飛行機に「電電」、「紫電」、「烈風」、「月光」などの愛称がつ
けられた。おなじころの陸軍戦闘機にも「隼」、「鍾馗」…等愛称がある。ちなみにこの
飛行機の米軍の識別コードネームでは{Zeke/Hamp}である。
この飛行機の生い立ちは、昭和12年に海軍より三菱、中島(現富士重工)に計画要求書案
が交付されたものが始まりである。このあと中島は13年に辞退している。
 これは試作機で正式には「施策 十二試艦上戦闘機」である。なぜ愛称がないかよくわ
からないが、多分当時の海軍当局の守秘義務にあるのではないかと思われる。
 この点に関し若干調査してみたが、確としたものは見出せなかった。むかし読んだなに
かにあったようであるがいまは思い出せない。
「零式」とは、正式に採用された時が昭和15年、この年が当時の日本神武紀元二六〇〇年
であるためにつけられた名称である。「ゼロ戦」とは、これを使用していた海軍航空隊に
おける通称であるとのこと。現在ゼロ戦といわれているのは、この通称が戦後広まったた
めである。
この飛行機は昭和15年に正式に採用され、当時の日中戦争にて華々しい活躍をするのであ
るが、当時中国軍に顧問として招聘されていた米国陸軍航空隊の退役将官クレア・L・シェ
ンノート氏より、米英などに当時としてはその驚くべき性能が詳細に報告されていたが、
米英諸国は日本にそのような優秀な飛行機があるはずがないとの思い込みから、その報告
を完全に黙殺した。
 このため、開戦初頭においてこのゼロ戦に痛めつけられ多くの犠牲を出した。彼らがこ
の飛行機を入手したのは、昭和17年5月ミッドウェイと同時に行われたアリューシャン
列島のダッチハーバー作戦において不時着小破したものを復元したときである。このよう
に、情報を重視する米国においてさえ、思い込みから貴重な情報を無視し無駄な犠牲をは
らった事実がある。これは本題ではないが、「人は自分が思ったように思ったとおりに物
を見る」というが、情報を正しく読み取ることはよほど虚心坦懐でなければできないよう
で心すべきことであると思う。そんな事情もあり、この零式艦上戦闘機の出現は国民には
秘密にされていたことは事実のようだ。

 当時の海軍軍用機の発注形態はというと、まず軍令部(海軍の作戦参謀本部-作戦指揮
機関-内閣より独立)にて作戦上の要求をまとめ、これを海軍省(軍政担当、予算、人事
担当-内閣に属する)に提出する。海軍省はこれを予算、工業力などの面より検討し技術
上の具体的処置を海軍航空本部に移す。航空本部は技術面で航空廠、運用その他で実験航
空隊の意見を聞き計画要求書腹案を作成し、この案を試作担当会社と技術的に検討しほぼ
可能な数字に計画要求書案としてまとめ、海軍部内あるいは官民合同の審議会にかけ、海
軍航空本部の名前で正式の計画要求書とし決定する。そのあと特殊なもの、研究的なもの
を除いて、普通一般に計画要求書を民間に提示し競争試作させていた。もちろんその当時
軍用機を設計、製作できる民間企業はせいぜい2~3社であり当然指名である。試作機に
たいして実験航空隊等で各種試験を行い採否を決定する。
 さてここで、この十二試試作艦上戦闘機として提示された仕様書とはいかなるものであ
ったか。仕様書は基本的に数字が並んでいるだけのものであるが、ここにその発注者の考
え方すべてが表現されている。これをみて当時の日本海軍の戦争観が理解できるものであ
る。そこで、数字がならびあまりおもしろくないが、列記してみる。

  1・用途      援護戦闘機として敵の軽戦闘機よりも優秀なる空戦性能をそな
            え、迎撃戦闘機として敵の撃機を捕捉撃滅しうるもの
  2・最大速度     高度4000mで270ノット(500㎞/h)以上
  3・上昇力     高度3000mまで3分30秒以内
  4・航続力       正規状態 高度3000m 公称馬力で1.2時問~1.5時間
            過荷重状態(増設燃料タンク装備)
            高度(3000m 公称馬力で1.5時間~2時間 巡航で6時間以上
  5・離陸滑走距離  風速12m/s時70m以下
  6・着陸速度    58ノット(108㎞/h)以下
   7・滑空降下率   3.5m/sから4.0m/s
   8・空戦性能    96式2号艦戦1型に劣らぬこと
   9・機銃      99式20mm1号固定機銃3型   2挺
                       97式7.7mm 固定機銃   2挺
   10・爆弾(超過重)    60kg2個又は30kg2個
   11・無線機          96式空1号無線電話機    1組
                        ク式3号無線帰投方位測定器 1組
   12・その他艤装   酸素吸入装置
            消火装置
夜間照明装置
            一般計器
   13・強度        A状態(急引きおこしの後期) 荷重倍数 7.0 安全率 1.7
            B状態(急引きおこしの初期) 荷重倍数 7.0 安全率 1.7
            C状態(急降下制限速度にて) 荷重倍数 2.0 安全率 1.8
            D状態(背面飛行よりの引き起こし 荷重倍数 3.5 安全率

 以上の内容であった。これらの要求仕様は、当時の技術レベルよりみても非常に高い所
にあったようである。まして、航空機の設計を含めた純国産を始めて、ほぼ10年目の日本
の技術水準からみて極めて高いハードルであると思われた。私はもとより航空工学を勉強
したわけでもなく全くの素人であり、これらの数字に対し専門的検討を加えることは不可
能であるが、素人なりの見方で考えていく。まずその要求仕様がどんなレベルであったか
当時の先進諸国での状況と比較してみる。
 当時即ち昭和12年(1937年)第二次世界戦争の始まる前で戦闘機も複葉機から低翼単葉
全金属製、かつ引き込み足のものが出始めたころである。
このころのヨーロッパではドイツが拡大政策を行っており、一九三九年のポーランド侵攻
をもっていわゆる第二次世界戦争がはじまった。このころの英独の戦闘機といえば、英国
においては有名なスピットファイヤー、ハリケーン。ドイツにおいてはメッサーシュミット
などが就航を始めていた。
 米国においては海軍機ではグラマンF4F、ブリュスターF2Aバッファロー、陸軍機
ではP-35、P-36、P-38、P-40などが就航しだしたころである。これらと十二試の仕様
と比較してみる。これらについての詳細仕様は資料がないため、わかる範囲であり、また
全ての機種との比較ではなく主観で代表的と思うものを選んだ。
 まず英国の代表であるスピットファイヤー、この飛行機は改良を重ね戦後まで使用され
た。また初期のものと後期のものとでは性能が一倍半違うくらい変っている。これは極め
て重要な点である。ドイツの戦闘機も同様である。また米国においては次世代の戦闘機に
おいて目覚しい性能の向上がみられるが、この世代のものも大戦中改良され、使用場所、
時期を選んでもちいられた。

 さてスピットファイヤーである。後期のものは性能的に全く別である。ここでは十二試
との比較であるから初期の形式すなわちMK-1をあげる。
最大速度 568km/h
航続距離 800km
上昇時間 400mまで 6分12秒
武装     Type A 7.7mm 8門
         Type B 20mm  2門 7.7mm 4門
エンジン ロールスロイス マリーン2 1060hp 液冷V12気筒

 ドイツにおいてはやはりメッサーシュミットBF-109であるが、ここでは改良型が多々
ありまた開発年度が若干はやく比較が難しいところがあるが1938年当時開発された
E型とする。
最大速度 570km/h
航続距離 660km
上昇時間 5000mまで 6.2分
武装     7.9mm 2門     20mm   2門
エンジン  ダイムラーベンツ DB601A 1100hp  液冷倒立V12気筒

 米国においては海軍機としてグラマンF4F-4をあげる。
最大速度 515km/h
航続距離 1680km
上昇時間 633m/min
武装     12.7mm 6門
エンジン  P&W R-1830-86 ツインワプス 1200hp 空冷星型複列14気筒
 陸軍期としてカーチスP-40Bウォホークをあげる
最大速度 554km/h
航続距離 1175km
上昇時間 872m/min
武装     12.7mm 2門 7.62mm 4門
エンジン  アリソンV-1710-33 液冷V12気筒 1040hp

 ざっとこんなところである。
 これら当時の航空先進諸国の同時期の各機種と比べてみると、十二試の要求するその水
準がわかると思う。即ちこの要求仕様は他国のどんな戦闘機と比べても速度においてはそ
こそこであるが、総合力として負けないという。とくにその航続力。要求仕様には具体的
距離として表されていないが、実機における数字は2220km、増槽つきで3350kmとなってい
る。それに空戦性能である。96式2号艦戦1型に劣らぬこととなっているが、96式艦戦と
はほぼ3年前の設計の航空機でありわが国航空技術の画期となった傑作機である。
単葉機とはいえ固定足、最高速度426km程度の飛行機である。要するに遅く軽い飛行機な
のである。そのため小回りが効く。それと同じような性能を要求しているのである。
手短にいえば1200ccのオートバイに自転車のような小回りの効く運動性を要求しているよ
うなものである。当時艦上戦闘機といえば主な用途として艦隊の護衛が考えられていたが、
この十二試艦戦は明らかにこの範囲を超え侵攻制空戦闘機として位置付けられていた。
 これは当時の日本海軍の戦争観が他国にくらベー歩先をいっていたことを示しているよ
うだ。
 一方エンジンである。外国機にはエンジンの項目を入れたが、当時先進諸国においては
1000hpクラスのエンジンがすでに実用化の時期にはいっていた。ちなみにこの零式艦
上戦闘機のエンジンは、中島、栄、空冷星形複列14気筒、出力940hpである。日本は機体
の設計においてやっと先進諸国並みになったとはいえ、エンジンにおいては数歩おくれな
がらこの時期どうにか同じ線に並んだかのように見えた。 しかし次の世代2000hp
クラスのものになると開発は壁にあたる。この問題はずっとついてまわり、さらにその差
は開いていく。このため海軍の航空製造指導も大きな混乱を来し生産力が乏しい上に行政
指導のまずさも加わり、航空機生産の混乱を増すことになる。これはやはり当時の日本の
工業技術の底が浅く、エンジンという総合技術の必要な製品を開発する能力においてまだ
まだ先進諸国に及ばなかったということである。またこれは、艦上戦闘機であるというこ
とである。英独両国は空軍が独立して戦闘機は殆ど陸上機である。英国には海軍機がある
が、陸上戦闘機と比べて性能的には数段おちる。ドイツにおいては艦上機なるものはない。
そもそも航空母艦は計画され製造を開始したが、完成していない。米国は日本と同じで、
海軍と陸軍各々に航空隊があった。現在の米国空軍は陸軍航空隊にその源がある。米国に
おいても艦上機は陸上機に比べその性能は一段と劣るとされていた。


 ここで、この要求仕様はいかなる考え方で書かれたか考えてみる。当時はまだ海軍の主
力は戦艦と考えられ、水上艦船による艦隊決戦が想定され、戦艦主砲により相手艦隊を撃
滅する作戦が練られていた。日本海軍においては仮想敵の第一は米国でありその遠征して
くる艦隊を太平洋上で迎え撃ち殲滅するための計画が練られていた。しかしながらわが国
はワシントン条約にて主力艦の保有比率が米国5に対し3に比率となっており、まともな
戦いはこのままでは不可能であった。そこで考えられていたのが逐次殲滅進撃作戦である。
これは、進攻してくる敵艦隊をまず補助的兵器、潜水艦、陸上攻撃機、艦上攻撃機、駆逐
艦等で攻撃漸減させ最後に残った敵艦と主力艦の主砲で殲滅するという考え方である。
これらを実現するためにとられた方法は個艦、あるいは個別兵器の優越、アウトレンジ、
錬度の向上などである。要するに数では絶対負けるのであるから各構成要素を優れたもの
とし、かつ敵の手の届かない所から正確に攻撃できるようにしようというものである。
それらの思想の基に各兵器は設計され、かつ厳しい訓練が行われた。このなかで日本海軍
の優秀兵器としていわれている、駆逐艦、潜水艦、酸素魚雷、大和型戦艦、重巡洋艦等が
あり、それに航空母艦の整備がある。もちろんここでの本題の艦上戦闘機もはいっている。
これらの特徴は戦艦を除いて攻撃に重点がおかれ、防御に手薄であるという面がある。
また殆ど前線で使用されるものであり、後方支援あるいは海上輸送護衛、敵後方輸送路攪
乱などに用いるものが殆どない点である。
 たとえば潜水艦である。たしかに他国のものと比べすぐれている面が多々あるがその戦
果には見るべきものがない。各国とも潜水艦は通商路破壊兵器と考えその目的で開発設計
されていた。これは当時の潜水艦なるものが所詮可潜艦すなわち水中に潜ることが出来る
というしろものであり殆どは水上走行を行っていたということ、また潜水するやその速度
は最大8kt(14.8km/h)、潜水中の航続距離は水中速度3kt(5.56km/h)で最大90nm
(166.7km)安全潜水深度100mというものである。これでは対潜兵器を搭載した水上艦に
勝てないのである。(現在の原子力潜水艦は本当の意味で潜水艦であり、乗組員がもつな
ら何年でも潜水可能であり、またその性能も水中のほうが良く水中速度30kt(55km/h)
さらに安全潜航深度500mくらいである)
 日本海軍は対潜兵器において著しく遅れており、他国も同じレベルと思っていた。その
ため潜水艦の隠密性が生き、艦隊決戦で通用するはずと考えていた。各国海軍は対潜兵器
の研究開発に熱心に取り組み進歩させていった。それゆえに潜水艦を艦隊用と考えずに、
通商路攻撃兵器と考え使用した。それとともに新鋭対潜兵器を装備した護衛艦を整備し、
通商路保護に力をそそいだのである。日本海軍の潜水艦はもともと対潜兵器がおくれてい
たため、潜水艦に対潜兵器対策を考えていなかった。そのため日本の潜水艦は米国の対戦
兵器により制圧され、ほとんど見るべき成果を挙げえなかった。さらに対潜兵器のおくれ
により日本の水上艦艇(駆逐艦、巡洋艦、航空母艦、輸送船など)が米国の潜水艦の攻撃
で大きな損害を出している。当初米国は潜水艦を日本の通商路攻撃に使用し多大の戦果を
あげ日本の敗戦への道のりを早めた。日本海軍にはもともと通商路保護なる考えがあまり
なく、さらに対潜兵器の遅れにより護衛艦(駆逐艦にて代行)をつけても対向することが
できなかった。その他も同様であり、日本海軍が当初考えていたような戦闘形態が殆どな
かった。要は、戦争なるものは国と国が生存をかけてあらゆる手段を用いて行動するもの
であり、相手が自分の思っているように行動することはまずない。それに対し、いかに柔
軟に対応するかであるが、日本は陸海軍ともにこの面で著しく劣つていた。これは統帥権
の独立などといって軍事を一般市民から隔離し、一部学校秀才の参謀の独占事項にしてし
まったことに帰することが大きい。

 戦争は所詮政治の一部であり、政治より独立した崇高な統帥権などありえないのである。
戦争を指導するには広い意味で一般常識いわゆるコモンセンスが絶対に必要である。
 要は戦争の一局面である戦闘のみを考え戦争の後方面についての考察がない。このよう
な面があり、艦上戦闘機としての仕様にも当然このような考えがはいっている。すなわち
個別優秀であり、アウトレンジであり、攻撃重視である。もちろん兵器であり優れていな
ければ意味がないが、要は機械である。あらゆる要素を満たし全て満足のいくものを設計
することは一般に極めて困難である。いわゆる汎用機というものはあまり成功したものは
ない。もちろん汎用といってもある一つのジャンルに対してだけであり、本当に全ての分
野において使用可能なものではない。多分人類が最初に使用したであろう道具の一つであ
る梶棒などは極めて汎用性の高いものであるが、道具より機械へと複雑性が増加するにつ
け汎用性は少なくなっていく。若干本題よりはずれるが、最新の技術を用いた機械でも汎
用性のある機械はきわめて少ない。その中でPC、これは従来の機械とくらべ極めて特異な
存在で、明らかに汎用機械として成功したもりである。これもまだ機械であり、いわゆる
道具としてはまだまだ洗練されていないが、汎用機として成功した数少ない例である。
これからロボットが汎用機械として伸びていくような気がしている。これらは知能を有す
るもの、すなわち認識、行動、学習、反省などの要素をそなえており、従来の機械と比べ
て柔らかいものであるため可能になったものであろう。


 さて本題に戻る。当時日中戦争のさなかであり、現地一線部隊からその実体験より戦闘
機に対し少し違った意見が寄せられていた。すなわち制空、護衛戦闘機 -空戦性能を第
一 とし速度は二次的-なものと、局地戦闘機(基地、都市などを攻撃する攻撃機、爆撃
機等の制圧を主目的とする)-速度優先、空戦性能は二次的- なものと分離すべきとの
考えである。ところが十二試の要求はこれらのどちらも満足する仕様となっている。ここ
に海軍当局の個別優先の考えかたがあらわれている。少なくともこれらの過酷な仕様は、
三菱の堀越二郎氏を主務とする設計陣の独創と懸命な努力によりほぼ達成されたのである。
私も設計者として人生の殆どをすごしたが、設計者としての観点よりみてこれを実現した
設計陣の凄さ、また、そのとほうもない努力を思うとなんともいえない感慨がわいてくる。
たしかにこれは大成功というべきで、いままですなわち戦闘機は少なくとも2種類―制空
侵攻、局地戦闘- に分けたほうがよいといった議論がすっ飛んでしまった。
ここで大成功といったが、そのために後日にいろいろと問題を残した。当時の日本の工
業水準を越えた要求に対し設計先行の製品になったのである。あえていうなら相当無理を
した設計となったのである。まず徹底的な軽量化 -可能な限り贅肉を落とす、防弾設備
なしなど- 表面仕上げの平滑化 -沈頭鋲- 前面面積を小さくなどの方策がとられ、こ
りに凝った設計がなされた。もっとも防弾設備については海軍側の要求にもない。
 技術者の仕事は理学者の仕事、新しい原理あるいは発見をするのとは違い、今ある原理
と今までの蓄積経験より新しい組み合わせを見出し、有用なものを創出する仕事である。
出来上がったものをみると、結果はまことに平凡でわかり易いものである。要求されるも
のに対し全体のバランスを検討し、なにがもっとも重要でありなにが従属的であるか判断
し、もっている手段を配分することであろう。これがうまくいった場合にはそれは成功作
とみなされ、うまくいかなかったときには駄作とみなされる。そのためには技術者は自分
の製品をあらゆる条件のもとで熟知していなければならない。
 ところが、不幸なことに、当時、軍事は全て軍部のみの独占事項であり民間人には知ら
しめるべからずとの考え方であり、兵器体系について民間人が考えをもち、軍に対して提
言するなどありえないことであった。要は要求されたことのみを行う以外にありえなかっ
た。ましてや兵器などというしろものは最悪時、まさにその国の運命をたくすものであり、
その体系は国の置かれた状況、経済力、歴史その他多くのことがからんで決定されるもの
である。 そのようなものに対しせいぜい戦闘の専門家 ―これもその後の戦争の推移をみ
ると怪しい-むしろ軍人という官僚にすぎないごく一部の人間が決定していたことに問題
がある。そんな当時の状況で、民間会社の一社員が自分の考えのもとに新たな提言を含ん
だ設計を提示することは出来ない相談であった。せいぜい多くの矛盾することを含む与え
られた条件を整理しまとめるのみである。これでは本当に創造的仕事はできない。 多分
設計をやりながらいろいろとまずいところに気が付いたことと思われる。それでもこの十
二試艦上戦闘機は、与えられた条件に対しては大成功をしたと考えてよい。当時の先進諸
国の戦闘機、先にあげたものと比較しても一対一の個別の戦闘においては優位であった。
このなかには直接サンプルとして輸入されていて、直接軍で比較したものと公開されてい
たデータとの比較によるものがある。
 もしこれで米国との太平洋戦争がおきなかったら、全て万々歳であった。

 十二試艦上戦闘機は昭和15年に零式艦上戦闘機として正式採用される。 この戦闘機は
日中戦争で大活躍し、ほんの1~2ヶ月で中国空軍を殆ど壊滅させるほどであった。これ
はゼロ戦の優れていた点が余すところなく発揮されたこともあるが、当時の中国空軍の組
織、運用などにもその原因がある。ともかくここではゼロ戦は無敵にみえた。幸い、その
欠点はかくれて見えなかった。
 昭和16年米国との戦争が始まる。ここで日本海軍は真珠湾を奇襲することにより、戦争
における先手をとることに成功する。また同時に行われたフィリピン攻撃においても台湾
南部より長躯進攻攻撃し、フィリピンにおける米国航空勢力を殆ど数日にして壊滅させた
ことは、当時の戦闘機の作戦能力の常識をはるかに超えた成果である。しかし、ここです
でに海軍の戦争指導に大きな矛盾が生じている。海軍が長年あたためてきた逐次漸減邀撃
を急遽取りやめ、あたかも航空主兵であるかのような開戦時の諸作戦、これは現在軍令部
と連合艦隊との意見の衝突があったといわれているが、はたしてこの方法が良かったかど
うかまさに歴史のIfである。また相手が悪いというか当時でも世界一の生産力、資源を
有する米国が相手である。ともかく長い間練っていた作戦を急遮変更した。そのためには
兵器体系、訓練、補給その他本来やっておかねばならないことが山ほどあったはずである。
 ところがこれらについては後手後手となってしまった。むしろ米国の方が緒戦における
日本海軍の成功をみて、航空主兵への対応を早め、結果、日本より航空主導への対応が早
かったようである。航空主兵といっても、航空機個々の威力は戦艦と比べ小さく同じ威力
を持つためには数が必要である。また戦闘における消耗も大きい。それを補う生産、生産
用資材、また操縦者の補給、兵站としての整備、飛行場の建設、管理維持、高品質燃料の
確保など、いわゆる後方問題についてどれをとっても日本に対し米国優位のものであり、
その差は開くばかりであった。
つづく
(斜光8号 2003)

     

ゼロ戦・零式艦上戦闘機(San Diego Air & Space Museum Archives)編集部

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零式艦上戦闘機 (後編)

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 5月29日(木)23時10分52秒
編集済
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   単体としてはゼロ戦は当時としても他国の戦闘機と比べて決して劣るも
   のではない。しかしその力を充分に発揮出来なかった。その原因は米国
   との物量の違いはもちろんだが、日本という国の当時のシステムにあっ
   たと著者は述べる。
   それでも日本の未来を考えたときこのゼロ戦を作り上げた日本人が積み
   上げてきた技術力は見逃せない。
   「ゼロ戦という、かつて優秀な飛行機をつくったという思いをのせて新
   しい日本の航空機が飛び立てば、と思いをはせたしだいである。」
   と著者は結んでいる。(編集部)




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          零式艦上戦闘機 (後編)






 ここでゼロ戦に戻ると、生まれ持った欠点が大きく影響してくる。軽量化を図り徹底的
に贅肉を落とすことにより当時の1000hp級エンジンとうまく整合して性能を搾り出し
ていた。しかしこのために新たに高出力エンジンを搭載し、より高性能とするための変更
がなかなかできない。さらに防護手段を有しない、すなわち操縦者を直接保護する防弾鋼
板、燃料タンクの防弾が考慮されていないため戦闘における損失が必要以上に多くなる。
とくに直接機体の喪失もあるが操縦者の喪失は極めて大きかった。もともと航空主兵を想
定した戦争思想を有していなかったため操縦者の養成体制が貧弱であったところに、この
状態ではいかんともしがたい状態となった。さらに物資はほとんど前線第一に振り向けら
れ、後方に向けられるものは次第に少なくなった。そんな状態で高度の練習機など所詮無
理な話である。こんな状態で新たに送り出される操縦者は、充分訓練され新鋭の高性能機
をあやつる米国のまえに一矢もむくいることができなくなった。
 また、ここに日本人の戦争感がある。これは航空戦に限ったことではないが、修行を重
ねた武芸者がただ一人敵陣に乗り込み刀を振るって敵をなぎたおす、これぞまことの勇者
なり、といったイメージがある。この思想のもとに航空戦でも上下左右に動き敵を翻弄し
撃墜する、すなわち一騎討的イメージが好まれたようである。いわゆる空戦性能の重視で
ある。
 ところが米国はゼロ戦を捕獲、徹底的に分析、この空戦性能に対抗する戦法をあみだし
た。すなわち速度と頑丈さを武器に高度で優位をとり、急降下しながら一撃しそのまま急
上昇し離脱する。そのとき一対一では空戦性能にまさるゼロ戦に逃げられて後ろに回られ
逆に攻撃されるおそれがあるため、2機が組みになり互いの後方を援護するという戦法で
ある。この方法により空戦性能の優位は失われた。もっとも、航空戦を戦った戦闘機操縦
者の話によると、いわゆるドッグファイトのような戦闘はまずなかったようである。それ
よりいかに敵を早く発見し自分に有利な態勢をいかに早くつくるかが勝敗の分かれ目であ
ったようだ。

 軽量化のためあらゆる贅肉をとる手段は、製造工数の増加となって生産の足を引つ張っ
た。またその製造には熟練作業者が必要であったが、これも戦争が不利になるにつれ熟練
作業者まで戦場に引き出され、残った臨時の作業者や学徒動員などで連れてこられた未熟
練作業者による作業により生産遅延、作業不良による性能不良など、まさに崩壊のスパイ
ラルをたどることとなった。これはこのゼロ戦ばかりでなくほかの軍用機についても同様
である。
 さらに、ともかくなんとか性能を向上させようと設計を変更するため、これらの開発技
術者が動員されるが、もともとぎりぎりの妥協点を狙っての設計であるから、それだけの
マンパワーをかけてもめざましい効果がなかなか出ない。そのため限られた人員であり、
改良に手足をとられ次期新規モデルの開発が進まないということになった。この後、海軍
機の中で、新型機で戦力に貢献したものは殆どない。この点陸軍機のほうが開戦後の新規
開発はまだまともであった。それも海軍機との比較であり、他の諸国と比べるとまことに
貧弱である。

 ここで、比較のため他国の戦闘機と比べてみる。1944年をめどとしてみる。

●零式艦上戦闘機52型乙 【日本】
エンジン  栄21    1130hp
  最大速度  302kt(559km/h)
  航続力   1032nm(1913km)
  上昇力   6000mまで7分
  武装    13mm 胴体
        13mmX2
20mmX2
小型ロケット弾  30kgX4

●スピットファイヤー Mk.21 【英国】
  エンジン  ロールスロイス グリフォン 61 2035hp
  最大速度  726km/h
  航続距離  784km
  武装    20mmX4
        450kg爆弾またはロケット弾
20mmX2

●メッサーシュミット BF-109K-6 【独逸】
エンジン  ダイムラーベンツ DB605D  1800hp
  最大速度  710km
  航続距離  720km
  上昇力   6000mまで9分
  武装    30mm、30mmX2、13mmX2
 ドイツでは、このほか主力戦闘機としてはBF-109より優れていたとの評価がある
FW-150がある。この生産台数は20001機である。

 これに対し米国では先にあげた次の世代のものが主流になっていた。それら海軍機は
●グラマンF6F‐5 ヘルキャット 【米国】
  エンジン P&W R-2800-10W 2100hp  最大速度  594/km
  航続距離  1750km
  上昇力   915m/mim(海面)
  武装    12.7mmX6または20mmX2+12.7mmX2
爆弾 450kgx2 または5インチロケット弾x6
この他、
 海軍機は戦後朝鮮戦争にまで使用された傑作機といわれるボートコルセアF4Uがあ
る。これは就航したのは1940年であり、ゼロ戦とほぼ同じ時期である。
最初から2000hpクラスエンジンを搭載していた、はじめいろいろ問題があったが、
これらを克服し最終的に艦上戦闘機とし最優秀との評価を得、朝鮮戦争当時まで使用さ
れた傑作機である。この生産数は12681機となっている。

 陸軍機は
●ノースアメリカンP51-D ムスタング 【米国】
  エンジン パッカードマリーン v-1650-7 1720p
  最大速度  704/km
  航続距離  3700km
  上昇力   9150mまで9分
  武装    12.7mmX6
爆弾 450kgx2
 このP-51は第二次世界戦争で用いられた戦闘機のなかで最大の傑作機であるとの評
価である。この他リパブリックP-47も主力戦闘機としてあげられる。この飛行機は単
座戦闘機であるが、2300hpもの大馬力エンジンを搭載し日本の小型爆撃機なみの爆
弾搭載が可能、また最大速度も690kmというしろものである。 この飛行機もいかにも
米国的なものであるが、これについてもP-51と並んで傑作機であるとの評価が高い。
生産数は米国機中で最大の15600機となっている。

 これをみると明らかなように、先進諸国のものはこのように大きく性能が伸びているの
に、ゼロ戦は出現当時とあまり性能は変化していないのである。この時点ですでにゼロ戦
は米国の戦闘機とまともな戦いはできなかった。この比較でエンジンを最初にあげたがこ
れは意味のあることで、先進諸国においてはすでに2000hp級のエンジンが実用化され
ていたが、日本においては遅れていた。
 たしかに日本にも、2000hp級エンジンで実用化されていて存在した。それらは大型
機用で直径が大きくかつ重い。しかしゼロ戦そのものが1000hpのエンジンに最適化し
ていたため、それ以上のエンジンに対して強度不足であったり、エンジンの直径が大きく
取り付けると空力的に無理があたりし適応させることができなかった。 戦闘機用小口径
2000hpエンジンの設計はたしかに出来ていた、これがかの有名(悪名?)な「誉(ハ
ー45)」である。設計できていたといったが、製品化されてはいたものの品質が悪く殆ど
使えなかった。あるいは故障が多く飛行機の稼働率を大幅に低下させた。
 また動いても額面通りの性能を維持できなかったなどにより、まともな製品といえるか
疑問であると思うからである。小型小口径といっても同クラスエンジンの米国のものとに
比べ10cmばかり質量にして200㎏のため、ゼロ戦と同じくそれを実現するため無理に無理
した設計がなされたしろものであるのに、エンジンの育成においてはまさに軍の技術行政
の失敗というほかない。 どうみても理想ばかり求めた設計であり、こんなものか戦時下
しかも敗色がみえてきたときに、高度の加工技術、高オクタン価燃料、整備に熟練した人
員が必要されるものを、実用化できると考えること自体、まさに神頼みである。こんなも
のは余裕のある平和なときにじっくりやるべきものであろう。

 なぜ軍がそんなしろものにこだわり、当時の新型機にそのハ-45を搭載するように指導
(命令)したのか、良くわからないところがある。多分技術のなんであるかわからない軍
官僚が、単なる数字だけ見て惚れ込み決定したものであろう。それからは現実にトラブル
が多発しても面子にかけて決定を覆すことは出来なかったのであろう。これは今日の官僚
の生態と重ねてみると、なんだかぴったり重なるようである。それよりも、多少大きくて
も、当時の燃料事情にあうような低オクタンのものでかつ製造も易しい1800hpくらい
のエンジンを育成していくべきであったろう。海軍の後期の飛行機はこのハー45エンジン
とともに自滅していったものが多い。
 ここでハー45の設計者の名誉のため、あえて書くと、このエンジン、まともに制作され
充分な整備を行って高オクタンの燃料(130オクタン)のものを使用し、戦後米国で試験
された結果よりみると、額面通りの性能を出しており設計問題はなかった。要はこのエン
ジンが設計で想定したような環境で製作ヽ使用されることがなかったということである。
先に書いたようにエンジンは総合技術の産物であり設計だけでは実用性のあるものはでき
ないのである。たとえばドイツのDB605というエンジンがあるがこれを日本でライセンス
を買って製作していた、(海軍名称「熱田」12型)しかしこれは製造技術が未熟でトラブ
ルが多く失敗作であった。これらを装備すべく設計された飛行機は、機体のみでエンジン
なしのままであったものが多くあった。これらにたいし急濾空冷エンジンへの設計変更が
なされ換装された。
 一方米国において英国のロールスロイスマリーンエンジンをライセンス生産したがこれ
は非常にうまくいき、 かの有名なP-51マスクングのエンジンとなりこの傑作機はこの
エンジンにして完成したといわれるくらいヽ性能に多大の貢献をした。このようにライセ
ンス生産してもうまくいく国とだめな国があるが、要は総合技術の差である。
 それに機体である。これもハー45同様設計が凝りすぎ、全てにおいて余裕がないちょっ
とした変更さえままならない状態であった。さらに『試作の多さ、機種の多さである。
これらは戦局がまだ敗色が見えないとき、あるいはその前昭和14年時点での計画もあるが
試作が完成し実用試験に入るころには戦争の帰趨が次第に明らかになり敗色がみえだした
ころである。この試作機のほとんどは就航した後戦局に寄与したものは極めて少ない。
貴重な人的、物的資源の浪費となったのである。また機種の多さである。海軍機の種類は
艦上戦闘機、局地戦闘機、夜間戦闘機、水上戦闘機、艦上攻撃機、艦上爆撃機、陸上爆撃
機、陸上攻撃機、艦上偵察機、水上観測機、陸上哨戒機、飛行艇など主な機種だけでも13
種類その他数機だけ存在した機種もある。これら各々が別機種として開発されている。か
の米国でさえこんなに多くの機種を開発していない。水上戦闘機など陸上機の性能が向上
していてほとんど戦果をあげていない。米国においてはこんなものに開発資源を振り向け
ようともしていない。必要に応じて陸上機を改造し、フロートをつけて使用している。ま
た偵察機、これは必要であるがそれでも絶対数は少なくてすむ。これらは似たような機種
にて代行させている。このように出来るだけ重点集中をはかっている。さらに陸海軍の対
立、悪くいえば縄張り争いがある。飛行機の設計製作においても同じ会社においてさえも
海軍機と陸軍機は全く別部署で行われ、互いの交流さえなかったようである。同じような
機種ならどちらかで開発したものを若干の変更ですむと思われるが、全くの資源の無駄で
ある。さらに陸海軍閥での物資の争奪がおこなわれていた。これで元来、人的物的資源が
乏しい日本が大国米国に勝つわけがない。今日、当時の日本が軍国主義であったといわれ
ているが、およそ軍国主義などという高度に効率化されて戦争一本にまい進する軍国主義
など全くおこがましい話である。せいぜい程度の悪い軍人という官僚集団による無責任指
導体制国家としか言いようがない。軍国主義などもったいない気がする。なんとなく今日
の日本を見るがごとくうす気味の悪いことである。
 ともかくゼロ戦は出現当時の栄光から奈落の底に落ちていっだ。それでもゼロ戦生産機
数でぱ日本で最大である。その数は各型あわせ10425機となっている。

ちなちなみにその他各国の主要戦闘機の生産数は
    スピットファイヤー    20351機
    メッサーシュミット    32000機以上 世界航空機史上最高といわれている
    グラマン F6F        2272機
    ノースアメリカン P-51 14819機

 これで見るとゼロ戦は意外に生産数が多いように思われる。しかし各国ともこれ以外に
戦闘機だけでも10000機以上の生産が行われた機種が多数ある。 日本においては次に生産
の多い戦闘機は陸軍機で隼と呼ばれた戦闘機で5919機、三番目に大東亜決戦機と期待され
た中島4式戦闘機「疾風」でありその数は3499機である。これとてエンジンがかのハー45
であり生産数ほど稼慟率がわるく活躍していない。これを見ても日本の当時の工業力の底
の浅さがわかる。第二次世界大戦中の飛行機の生産台数を調べてみると以下のグラフに示
すようになる。
 これで見てもわかるように米国が突出しており、その工業力の大きさがわかる。次にド
イツである。日本は以外にもがんばったなという気がしないでもない。 それでも1944年
以後出来たは良いけど性能不良、飛行できないなどまともでないものがかなりの割合であ
り、額面通りに受け止めることは出来ない。この統計数字の出所がはっきりしないのでな
んとも言えないところもあるが、多分各国軍需省あたりの統計であると思われる。これは
単にともかく飛行機とし工場を出荷されたものの数字であると思われる。現在当時の状況
を書いた本などを見ると、少なくとも日本においては単なる員数あわせ的なことがあって
出来たものが、飛ぶ飛ばないの区別なく、完成数値としてあつかわれていたようである。

第二次世界大戦中の各国の航空機生産数(wikipediaより)編集部



次に製作に要する工数を調べてみる。これについてあまり数字はないが
   零式艦上戦闘機      15000~14000 マンアワー
   P-51マスタング       5500~ 4500 マンアワー

 航空機の製造は組み立て工業であり、プロセス工業と違い生産設備そのものはあまり大
掛かりなものは必要ないが、生産計画、管理、製作環境(工場レイアウト等)などの良し
悪しに影響される。それと部品を作るための工作機械の優劣により左右される。おそらく
米国との差が大きかったのは工作機械と生産計画、管理などのソフトであろう。この工数
をみてもわかるように性能的に倍半分の差があるP-51にたいし約3倍の工数を必夢とし
でいる。これは極めて効率の悪い生産方式をとっていたためかそれともトラブルが多かっ
たか、多分どちらも関係していると思う。私の人生は殆ど設計に関係しているがこの工数
というものは製品制作にカンする重要な指標である。軍需産業に関係したことはないが少
なくとも工数は同じような製品を作るならば殆ど同じようにならなければ競争に負けてし
まうし、条件が同じなら殆ど同じくらいになるはずだ。この3倍の差はあまりにも異常な
数字と思われる。工数が異常に多いということは極めて能率が悪い作り方をやっているか
信頼性が悪く製品歩留まりが悪いかのどちらかだ。 普通、組み立て型工業において同じ
製品を作るときに工数が異常に多い、それは通常は極めて信頼性が悪い場合多い。あるい
は生産形態が原始的な場合にもそのようなことになる。多分その両方とも影響しているこ
とと思う。
 ここで一言設計者の名誉のため、先にこの零式艦上戦闘機は1000hpのエンジンによ
く適合しすぎその後のエンジンの馬力向よに対しついていけなかったと書いたが、設計者
堀越二郎氏の懐古によるとどうもそうではなかったようだ。設計者として最もやりたいと
思いまた可能な改造は、馬力向上(金星62型)、 防弾追加、機銃を20mmでより初速の大
きい2号銃への換装となっている。金星62型のエンジンは1560hpを有するエンジンで
ある。 ではなぜできなかったのか、それは改造にともなう諸般の設計変更に伴う人員の
確保が困難であり、満足の結果が得られないと考えたとある。結果からいうとこの変更は
行われた。 しかしこれは昭和20年4月であり、それなりに性能向上がみとめられたが、
もはや遅しであった。結局生産にいたらなかった。しかしこの時点で1500馬力級のしかも
基本設計が8年もまえのものが出現しても、当時の米国の戦闘機に対抗できるとは考えら
れない。これが昭和17年の初頭であったならば結果は多少変っていたかもわからない。
しかしそんなことであの太平洋戦争の帰趨が変ったとは思われない。いずれにしても敗戦
必至であったと思われる。


 なぜ負けたかここでいろいろ書いてもせん無きこと。この50年間いろんなことが言われ
てきたが、殆どそれは間違っていないと思う。あえて一言言わせてもらえば、日本と米国
の物量の違いということが言われているがそれは間違いないと思う。しかしながらもっと
大きな内的原因があるように思われる。それは各種与えられ条件のなかでそれらを組み合
わせていかにうまく運用するか、という現代風にいうとソフト[力]の決定的欠如であると
思う。どちらにしても負けたであろう。それにしてもうまい負け方というものがある。
人的物的損害ももっと少なくてすんだかもわからない。ゼロ戦というハード一つ見てもせ
っかくの先手を生かしきっていない。その場しのぎで長期展望がない。 要は明治以来の
システムがなんら変更されることなく持続し、いわゆるシステム疲労が生じていた。典型
的にそれが現れるのは、国の公式システムである官僚制の中であると思われる。特に軍組
織、これは暴力の管理システムであるから基本的に極めて硬い組織とならざるを得ないが
システム疲弊が典型的に現れ無責任官僚制そのものであったと言わざるをえない。中心を
軍の兵科将校を育成する学校出身者のみで固め、外部からの新しい血をいれない学閥集団
の組織が、硬直化し身動きができない状態におちいるのはそんなに長い年月を要しない。
その日兵による閉塞感を内部の改革を行うことなく安易に外部にむけ、つまらない戦争で
打開しようとした軍ご国家の指導者層、またそれに安易に乗った国民にその責任があると
言わざるを得ない。

 ではゼロ戦はなにを残したかと考えると、何も無いのではないかという思いがする。
確かにかつてゼロ戦という曖秀な飛行機を日本人の手で作つたという思いはある。それ以
外なにがあるのだろう。大艦巨砲主義は造船技術の進展をもたらし、その設計技術、製造
技術は戦後の日本の復興を担い、内需あるいは外貨獲得におおいに貢献してきた。これは
大きな船を製造できるということばかりでなく、製造法たとえばブロック工法、工数管理
工程管理法などそのソフト技術にも大きな要因がある。一方航空技術はどうであったかと
いうと、いまだもって米国の植民地以外のなにものでもない。これは航空機産業を米国の
戦略産業と位置付け、その世界戦略のなかで展開してきた米国の意思があり、それから独
立し日本でリスクを負って航空機産業を作成するのは碓かに難しかったのかもわからない。
 今日の日本も戦後50年を経過し、そのシステムは疲弊している。それにともなう閉塞感
も同じように存在するようである。 特に産業における不況感が蔓延している。これをな
んとか打開していかなければ、このあとの日本はとんでもないことになるような気がする。
 ここでこんなことを言ってもしょうがないと思うが、本気で航空機産業を育成していけ
ば、一つの窓が開くような気がする。航空機産業は高度な組立て工業であり、各種裾野の
広い産業の集積がなければ成り立たないものである。日本には幅広く高度の産業の裾野が
あり、極めて適しているように思えるのであるが、いますぐに米国と同じように大型旅客
機を作ることは不可能であるが、隙間はありそうである。
ゼロ戦という、かつて優秀な飛行機を作ったという思いを乗せ、新しい日本の航空機が飛
び立てば、と思いをはせたしだいである。


なお参考としたもの
日本航空機総集  vol.1  三菱編  出版協同社
日本航空機総集  vol.5  中島編  出版協同社

   第二次大戦 アメリカ陸軍機の全貌 酣燈社
   第二次大戦 アメリカ海軍機の全貌 酣燈社
   第二次大戦 ドイツ戦闘機 航空ジャーナル
   零戦    堀越二郎/奥宮正武 朝ソノラマ
   零戦の遺産 堀越二郎 光人社
   坂井三郎空戦戦記録  坂井三郎 講談社
   零戦の運命      坂井三郎 講談社
      The Rand McNally Encyclopedia of Military Aircraft 1914~1980
                                   Enzo Angelucci The Military Pressress
艦艇関係では
   日本の軍艦       福井静夫 出版協同社
   潜水艦 その回顧と展望 堀元美 原書房
   世界の潜水艦ハンドブック 世界の艦船別冊    海人社
   日本軍艦史 世界の艦船増刊 NO.500       海人海人社

 戦艦大和、武蔵についてはあまた書いたものがあるが最近のものでは
   戦艦大和       平間洋一編  講談社選書メチエ
が面白い。

 以上がおもなところだが、その他にも柳田邦男氏による「零戦」という小説というかド
キュメンタリーがある。これは多分古本屋にいってしまって、現在手元にない。
 ご存知の方も多いと思うが、坂井三郎氏は佐賀市西与賀町出身の方でゼロ戦パイロッ卜
として有名だ。氏の著書はたくさんあるが、下士官から特務中尉までなられた。そのなか
に海軍首脳あるいは兵学校あがりの士官についてのするどい批判があり、当時の海軍組織
について考えさせられるところが多々ある。一読をお勧めする。
堀越二郎氏はゼロ戦の主務設計者だった。この方の著書にも海軍の技術行政、あるいはも
っと大きな戦争指導に対する批判がたくさんある。

(斜光8号 2003)


     
          零戦62型(フリー イラストより 編集部)

117

 

レンズの向こう 春

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 5月17日(土)11時19分50秒
編集済
  .
             レンズの向こう
 



                                        




      


    久しぶりに雑木の森の公園を2時間ばかり歩いた。公園といっても狭山丘陵の1部を公園
    としたけでなにもいわゆる公園らしい設備はない。いま冬枯れからやっと木々が芽ぶこう
    としているところである。 公園の中の木々ほとんど落葉樹でありいままだ外から見ると
    灰色に見える。それでもほんのわずかではあるが生まれたばかりの小さな若葉がでている
    もももある。これからの森の変化、実に面白い。画の才能がないのでうまく表現できない
    があと一週間もすると木々は若芽でいっぱいになる。この時期の森の色、淡い黄色という
    か肌色というか全体がボーとした感じとなる。その後若葉色隣濃い緑と移っていく。この
    間1月もかからない。楽しみな季節となった。久しぶりに森を歩きこのところのふさいだ
    気持ちが晴れてきた。
    (無題)2011/3/30 より


                  

         





             








                  

         



    






    花も散り季節は初鰹えと移行しています。いま狭山の雑木の森いままさに新緑が爆発寸前
    ぐっとその勢いをためている風情です。よくよくみると木々まず若い低木からさらに下の
    枝の方から若葉がめでていくようです。今若緑の基という色で覆われて居ます。あと数日
    で新緑に満ち溢れる世界となることでしょう。
    (無題)2011/4/16 より



         







       










81

 

レンズの向こう  冬

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 5月17日(土)10時42分48秒
  .
             レンズの向こう
 



                                        





              2014年2月の関東にどっかり雪が降ったときの風景です。
             南国育ちの人のとまどいと浮き浮き感が伝わってきます。
             映像のプロらしいショットです。(編集部)







      



      

81

 

著者写真とコメント/讃集

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 4月11日(金)22時52分44秒
編集済
  .

          著者写真とコメント/讃集
               2011/26号 - 2013/36号





『三点セット』 26号
 2011/4/5


前書き

 久しぶりに雑木の森の公園を2時間ばかり歩いた。公園といっても狭山丘陵の1部を公
園としただけでなにもいわゆる公園らしい設備はない。いま冬枯れからやっと木々が芽ぶ
こうとしているところである。公園の中の木々ほとんど落葉樹でありいままだ外から見る
と灰色に見える。それでもほんのわずかではあるが生まれたばかりの小さな若葉がでてい
るものもある。これからの森の変化、実に面白い。画の才能がないのでうまく表現できな
いがあと一週間もすると木々は若芽でいっぱいになる。この時期の森の色、淡い黄色とい
うか肌色というか全体がボーとした感じとなる。その後若葉色となり濃い緑と移っていく。
この間1月もかからない。楽しみな季節となった。久しぶりに森を歩きこのところのふさ
いだ気持ちが晴れてきた。
 さて私の「三点セット」の講評がはじまるとのこと。何かコメントとのことであるが直
接これにかかわることはない。これから暇と金があったらもう一度いってみたいところで
はある。トルコを含んだ地中海世界、スペイン、南仏、シシリー、南伊、ギリシャ、シリ
ヤ、パレスチナ、エジプト、リビヤ、チェニジア、アルジェリアそしてモロッコとじっく
り一年くらい掛けて旅をしてみたい。これはおそらく夢のままであると思うが。フェルナ
ン・ブローデルの名著「地中海」があるがそういった意味でもう一度みてみたい。さらに
ビザンティン文明の痕跡を見つけ何だろうと考えてみたい。

          

竹内一郎賛

一度だけお会いしたことがあります。この画像はその次の集まりの時のものでしょうか。
私は残念ながら都合で欠席でした。お話を聞いているだけで圧倒されました。本、歴史、
もろもろ、ちょっと見、何も考えないで生きてきた企業戦士、お兄さん、ところがどっこ
い博識とモノを見つめ考え続けるエネルギーはたいしたものだと思いました。
 近づき難い何ものかを持っているような・・・少しでもその正体がわかればと楽しみに
しています。
   万理久利





『馬上少年過ぐ、あるいは黄昏 』 27号
 2011/6/4


          

野性

 個人の紹介である。特にいうことはないが、何でもいいからということで「馬上少年
過ぐ」で紹介してい、少年(ガキ)時代ヤモ気違いであった頃のことを書こう。
いまも時々あの当時の熱き思いがよみがえることがある。

 佐賀に帰ると近くの掘割を散歩する。当時、そこはまだ田んぼの真ん真ん中であった。
初夏より毎日網かモチ竿をもって夕方まであたりを探検しまくった。もっとも探検という
にはあたらないかもしれないけれど、このあたりにはヤモが多い。また掘割のどのような
位置でまちぶせすればヤモがとりやすいとか、いろいろそれなりのノウハウを研究したも
のだった。それはもはや思い出に過ぎない。

 昔の田園はなくなりすべて瀟洒な住宅街となった。掘割もかなり整理されて少なくなっ
てはいるが、歩いているとヤモを見つけることができる。しかしそれを追い求める子供の
姿はみえない。ヤモにとっては命を脅かされることなく生きていけることなのだと思うが
人間側に立ってみると、なんだかはなはださびしいというか、おもしろくない。
やれ自然を大切にとか子供を危険から守れとか、本能がだんだんと衰えているような気が
する。
 本当にこれでいいのだろうか。散歩しながらこんなことを考えた。





『構造改革とロジスティック方程式』28号
 2011/9/17


          

 先日Kより電話をうけ、さてメールをおくろうとするとなんとしたことか、パソコンの
キーボードをうつととんでもない文字列がでてき頭の中真っ白の状態になりました。なん
でこうなったのかまったくわからず、それでもキーボド操作以外は正常、気を落ち着けど
うするか考えました。そういえばパソコンには「システムの修復」というアイテムがあり
これを適用してみようと思い立ち実行、正常にもどりほっとしたところです。
さて今回の題、数年前第1次小泉内閣成立のころのものとおもいます。最初に斜光に投稿
したものです。今読んでみても納得、あれから10年、構造改革なんとしても実行しない
限り日本は自滅のみちをすすんでいくでしょう。昨今の民主党政権まさに最悪、日本破産
の道を加速させているようです。
 毎朝鉢植えに水をまいています。そのとき蚊がいい獲物とばかりに飛びついてき、あと、
あちこち痒くて、とくに慈悲心を発揮しているわけではありませんが蚊をたたいて殺さな
いようにしています。ほんとうに自然と共生するのはむつかしいようで、自然共生派のひ
とびとこのようなときのどうされるのでしょう。ちなみに小生自然と共生しようとは口が
さけてもいいません。不可なことが多すぎます。
 9月も中旬となりましたが残暑つづいています。夏暑くて大変だけどその生命力にあふ
れた猛々しさがすきです。秋は生命の黄昏(わが身も同様)を感じ好きになれません。
とはいえ夏にげんなりとして活動を中止していたこと再開しています。
いまspiceにて電子回路を楽しんでいます。





『ヨーロッパ人名考』 29号
 2011/12/12


          

 高校で世界史を履修以来気になっていたことを、老人の暇に任せた手慰みとしてはじめ
たもの。
まだ完成ではない、現在も思いついたらリストに追加している。だんだん調査がむつかし
くなってきた。そろそろ本格的に図書館に行って調査しないとこれ以上リストの増加望め
ないかも。
 話が変わるが最近ひょっと気づいたことであるが、行き交う人々たるやほとんど老人ば
かりである。それとお腹の大きなご婦人をほとんどみない。これではまさに日本老人ばか
りの国になりそう。薄ら寒いきがする。もういちど活力ある日本にするにはどうするべき
か真剣に考える必要がある。





『イスタンブール追憶』 30号
 2012/2/12


          

 例年になく寒かった冬がようやく終わろうとしています。
今回の「イスタンブール追憶」は、26号において「3点セット」の中で、またの機会にイ
スタンブールのことを書く、と言っていたのを思い出し急遽書いた作品です。

 トルコに出かけていた頃より早20年近くになります。年とともに記憶も薄らいできて
います。そのため、あやふやなところも多々あります。 それに最近トルコの国、中国、
インド、ブラジルに次いで新興国として経済発展も著しいようで、イスタンブールの街に
も地下鉄が走っているとのこと、またボスポラス海峡の下に鉄道トンネルが近いうちに開
通するとか、色々話題があるようです。また[Google Earth]をはじめとする衛星より
見た写真、あるいは地図がインターネットで容易に閲覧できますが、これで見るとイスタ
ンブールも特に新市街地区は相当に変わっているようです。 世界遺産に登録されている
地区は手の加えようがないのでしょう、そんなに変化しているようには見えませんが。

 トルコの国は、ヨーロッパとアジア(特にイスラム圏)にまたがっており、国力が増大
してきたことにともない、これから重要な国際政治のプレヤーとなるでしょう。
注目すべき国だと思います。






『心にあるよしなしごと』 31号
 2012/6/28


          

言葉ありき

言葉ありきである。「色即是空」詳しくはわからないが相当前から気になることばであっ
た。最近これについて考えてみようと思い立った。が、わからないそれでもこれは大乗仏
典のなかで「般若心経」にある言葉だということがわかった。
 「般若心経」300語くらいのテキストであるがそれだけに凝集されていてわからない。
古代インドの文明より来る哲学を日本文明の中にいる自分が果たして当時のインドの人の
理解と同じように理解できるかはなはだ疑問に思うこともある。それでも自分なりの理解
というものは可能であろうと思っている。ともかくインド、中央アジア、中国と流れてき
た哲学、日本にたどり着くまで相当な変化を受けてきたことと思う。西行法師の歌を最初
にあげたのは、この文明の土台の違いによりものの理解の道筋あるいは結果が大きくちが
ってくるような気がしたからである。
 この「般若心経」は空の哲学といわれているが、これは日本的な理解なのかよくわから
ない。ともかくこれから死までずっと考えて生きたいテーマである。





『無常』 33号
 2012/12/3


          

竹内さん 賛

 画像は氏の過去の作品「馬上少年過ぐ、あるいはたそがれ」の著者写真コメントを読ん
でイメージしたヤモ採りに熱中する著者少年時代の姿です。ヤモ捕獲に当たっても科学少
年らしくあえこれ工夫をしたようです。そして現在のあの場所が大きく変わったこと、堀
割はすっかり整理され、ヤモは減り、それを追う子供の姿を見ないこと、「本当にこれで
いいのか」で終わっていました。
 このところの作品を読むと、どうやら古代の歴史から始まり、東洋哲学や、宗教にまで
関心が深まったようです。著者の時の流れをここでも感じます。 それでもなお、科学の
視線が潜んでいます。
「三つ子の魂百まで」といったところですか。
      万理久利





『ちかごろ』 34号
 2013/3/19


                                    アンプ設計士
          

竹内さん 賛

 目下、アンプの設計に浸かって写真などアレンジする暇などないだろう。
また影武者「仲代達矢」をここに引っぱり出そうと思ったが、あの人には「機械いじり、
設計」の役はどうも似合わない。目をきらつかせてものごとに集中する、そこはよく似て
いるが。
 設計図画面をにらみつけ、キーボードを叩く、そんな主人公の姿を思い浮かべてみた。
「色」と「空」について考えるときは、どんな姿、表情なのだろう。

 昔、「設計や機械いじり」をする少年がうらやましくもあり、また夢中になっている彼
等が不思議に思えた頃があったが、今もあまり変わらない。機械は苦手だ。
     万理久利





『仁和寺からの連想』 35号
 2013/7/1


          

竹内さん 賛

 主役はもちろん手前の右腕を顎に添えるお方である。
後ろに立つお方は高校同窓、著者の後輩である。 今回偶然にもこの二人の作品に真言宗
「仁和寺」が登場したとあって、有無を言わさずここに同伴して戴いた。ともに理系人間
と思えるが、古代仏教、古典、歴史にも興味を持つという共通点がある。
それが今回「仁和寺」を引き寄せたのかもしれない。

 仏教、世界史にも興味あり、と思われるこれまでの作品であるが、どれも科学少年の
色合いがチラチラと出てくる。「なぜなぜ」を常に持ち、自分なりの方法で解き明かそう
とする、そんな姿勢がいつも漂っている。その目は常に科学少年のそれだ。

 この科学少年は実にシャイな人物でもある。そう思える。
どうも天然パーマのようにも見える。それが何故かこの人らしい。
いつもしゃれたシャツとパンツをさりげなく着ている慶応ボーイ、私の大先輩である。
    万理久利





『色(しき)とカラー』 36号
 2013/10/7


                                  色男
          

竹内さん 賛

 オーディオ設計に取り組んだり、掃除機を分解したりする科学少年が、カラー撮像機の
専門家と成り、色(カラー)がもたらす色々の現象から何と「空(カラ」の世界の扉を開
くことになりました。

 三原色の組み合わせでどんな色でも合成できる、テレビ画面も元はたった三色。そう言
えば、ついこの間入れ替えた自宅のカラープリンターのインクも黒の他、青と赤(マゼンタ)
黄色の三色でした。このあたりのことを、著者は、その長年携わってきた経験ならではの
切り込みで綴っています。
 色はどうやら光を介した動物の目、脳の反応にすぎないようです。
色を見る、音を聴く、ものに触れる、人はこれらの作業を通してそこに何らかの存在が在
ると認識するだけであって、そこに在るものそのものではなく、一種の虚像、言い変えれ
ば空(カラ)=実態のないもの=虚構(無)を見ているにすぎないのです。そこで著者の
頭に浮かび上がる言葉が色即是空です。科学がなぜかお釈迦様の世界と繋がりました。
    万理久利

49

 

科学少年

 投稿者:同人α編集部  投稿日:2014年 3月14日(金)01時30分34秒
  .

             科学少年 2002-2008



* 左タイトル:著者/右:編集部
* 科学少年同士のやりとり:相方の投稿も掲載しました。


「1903年12月17日」/有人動力飛行

 本年ライト兄弟の動力初飛行から100年め。やっと260mを地上から離れともかく飛行した
とき、今日の500人ものせ900km/hで10000kmも飛び続けるしろものへと進化すると想像でき
たでしょうか。
 この100年いろいろな機体が製作されていますが、かのjambo機といわれているB747、こ
の飛行機実に初飛行は1968年、実に35年間に渡って飛んでいます。100年の歴史のなかで35年
は、驚異的長さであります。もちろん技術の進歩は速く、初期のものと比べると現在の747-40
0はある意味では別物といえるぐらい変化しています。
 飛行機は単に技術的意味でなく文明史的重さがあるように思えます。我々の世代で飛行機に
乗ったことがない人は非常に少ないのではないかと思われます。なにしろこの飛行機のおかげ
でいわつる海外旅行が安く手軽に行けるようになったのですから。中身はともあれ長い間島国
で外国に行くことが一大事業であった人々が簡単に海外に行って直接ふれることが可能となっ
てきたのです。これはまさに文明のめったにない転換ではないでしょうか。
 百聞は一見にしかずといいますが、なにしろ直接目で見るこれは大事なことです。日本ばか
りでなくほかの国でも同じで、ともかく人々の交流がそれまでと比べとてつもないくらい増大
したと思われます。これがいい意味でも悪い意味でも今日の世界情勢に大きな影響を及ぼして
いるのです。もはや後戻りできません。これが現在の技術が文明に強い影響を及ぼしているひ
とつのいい例でしょう。
 ちなみに現在日本に在籍しているB747は2001年12月で129機、生産数1300機以上です。

現在これより大型のA380(エアバス)が計画されています。2006年就航予定とのことでです。
2003/ 7/31




夏至間近/生とは

 生ということ、このどうしようもない事実。生とは何か。全体のエントロピ-が増大する
なかで局所的にエントロピを極小するように運動する物質とでもしておきましょうか。局所的
にエントロピ-を極小化しているためかえって何もなかったときより周りのエントロピ-を増
大させている存在ともいえます。生を有するものすべてが、それをおびやかすものに対し防衛
攻撃するしくみを有しています。人間とてこの原則から逃れることはできないでしょう。いま
人間の存在を生命界のなかで特別のものと捉えるか、それとも他のものと平等なものと捉える
かまず議論はここから始まると思います。絶対的に考えると多分人間は他の生物と何も変わら
ない同じものでしょう。しかしこれからは小生の偏見に満ちた主観ですが、やはり人間は生物
のなかで特別なものと規定します。これが無いとすべての議論が始まりません。
2004//6/16




教示願います/ パソコン

久しぶりです。おそらく500年ぶりか。ところで少し変わった話題と思ったのですが、
思ったのはよいけれど図を添付しようとしたのですがやり方わかりません。どなたか教示
願えませんか。
2010/1/8


     南橋初冬花 2010/1/9
     異風者さんへ
     変ですね。
     あなたは、こう言うことに練達の方だと思って居ました。
     百もご承知かも知れませんが、一通り手順を書いてみます。

     1)先ず本文を作成
     2)この書き込み枠の右上の[画像・ファイル]をクリック
       →ファイル1,2,3という枠が3つ出て来る
     3)ファイル1の右側の[参照...]枠をクリック
       →標準で[マイピクチャ]フォルダが選ばれ
       その中の画像が表示される。
     4)フォルダ中の添付したい画像をクリックして反転させる
     5)右下の[開く]をクリック
       →ファイル1の枠に該当ファイル名が表示される。
     6)この状態で、[投稿]をクリックすれば投稿出来る

      注1:画像が、一枚でなければ、ファイル2,3の枠を
        予め埋めた上で、[投稿]をクリックします。
      注2:画像は、[マイピクチャ]フォルダ以外に入れて
         おいても、3)の段階で別フォルダを選ぶ事は
         出来ますが、複数の画像を添付したい場合には
         予め、[マイピクチャ]フォルダに入れておく方が
         簡単で良いでしょう。

     なお、試験用に添付する画像ファイルは、佐高十一期生が3年時の佐高体育祭
     における空手部演ずる[日本誕生]全員の写真です。
     2007年6月9日、落書き帳に投稿されました。(写真 未保存 編集部)




送信できません

ご教示多謝
送信不可のようです。データ量JPEGで1.14MBですが
このくらいで不可なんですか。手法はまず図をスキャナー(JPEG)にてとりこみ添付しよ
うとしたのですがどうもうまくいきません。データは単純なグラフで線のみJPEGです。
2010/1/9


     もう一度 南橋初冬花 2010/1/9

     異風者さま
     ひょっとして、背景に普通の画像が入っていませんか。
     グラフだけなら、容量は、それほど要しないと思います。
     JPEGにした後、容量を小さくしてセーブして見て下さい。



お騒がせしました。

いろいろアドバイスいただき有り難うございます。いまのところどうしても画おくれそう
にありません。しばらく理由考えます。大体単純な線のグラフをJPEG圧縮したつもりが
1MB以上になるなんて、信じられません。おそらくスキャナーでとりこむとき余白の微
妙な濃淡を取り込んでいる可能性がありますがともかく今のところ不明。しばらく、いろ
んな試みに挑戦してみます。諸兄にお見せしたかったのは実数と虚数領域におけるx^2
+1のグラフ、勿論3次元ですが立体を2次元にてあらわしたもの。原図は
「MATHEMATICA」で書いたもの。たぶん原図から取り込む過程でなにかの間違いがあ
ると思います。
2010/1/10


     更に提案 南橋初冬花 2010/1/11

     異風者さま
     基本的には、英・数字と線分で形成された白黒の図だと思いますが
     恐らく下地の濃淡を写真風にグレイ表現しているのだと思います。
     写真用の画像処理ソフトを用いて、エッジだけを白黒の二値で
     セ-ブして見たら如何でしょうか。

     それにしても、個人で MATHEMATICA をお持ちなんでしょうか。
     凄いですね。




試験

ちょっとしつこいようですがグラフ送れるか試験します。グラフの解説は次回とします。

           




2010/1/11


虚と実/数学

やっと図送れました。どうも最初の時やはり懸念したようにスキャナーにて原紙のわずか
な濃淡を読み取りデータ量が膨大となっていたようです。
さてこのグラフ四角な筒(直方体)のなかに2本の放物線が頂点を接して互いに90度ね
じれた平面上にあります。上の方に開いている放物線これがよく見るx^2+1のグラフ、
実数軸上のトレース、したに開いた放物線これが虚数軸上にトレースしたもの、下向きの
もの+-1のところで0を切っています。ここが+-iです。すなわちx^2+1=0の
解+-iです。このようにすると解の意味がよくわかります。じつはこのこと色々考えてい
たのですがうまい表現砲見出せないでいたのですが「実験数学入門」という本にそのヒント
がありました。
今回はここまで。次回複素数全体で見るとどうなるか。あるいは虚数、実数とあるが虚
数なるものほんとうに虚なのか考えます。
2010/1/11




冷や汗/パソコン

 本日正午過ぎ突然パソコンがダウン、症状は電源が入らなくなる。私のパソコンいわゆ
るタワータイプで電源のボタンをおすとまず補助電源がはいりbaiosを作動させそれから
マインのwindowOSが動作するようです。突然動作中に電源が切れ、その後何度ボタンを
おしてもパイロットLEDは点灯するもすぐPWRoffモードにはいりwindowが全くたちあ
がらなくなりました。まさにパニックです。そこでこの状態にてなんどやっても同じ、し
ばらく時間をおいて頭を冷やし冷静に考えようと約く一時間ばかり散歩に出かけ、その間
いろいろ考えました。考えたことの結論は、この現象どの系統化分からないがともかく電
源がダウンしているようであると結論つけました。幸い電源ユニット一個予備というわけ
ではないがもっているので交換してみようと決定しました。そのまえに外部と接続してい
る何かが異常を起こし電源を落としている可能性もあると思い、まずUSBの関係全ては
ずしてみたがやはりだめ。最悪HD、CPUなどのハードデバイスがやられているかと最悪
事態を想定しましたが、ともかく電源ユニットを交換しようとパソコンケースのカバーを
あけました。久しくあけてなかったのでホコリが一杯つまっていました。ともかく、まず
は掃除機にてホコリを吸い取りHDD、マザーボードなど主要部のコネクターを抜き清掃
し、さらにホコリをとってねんのため電源をいれてみました。何のことは無いこれでOK
すべて解決しました。いったいなんだったのでしょう。いまだ持ってさっぱりわかりませ
ん。がともかく皆様ノート型以外のパソコンほとんど空冷用FANをゆうしています。と
いうこと猛烈にホコリを吸っているということ。何かあったらまずパソコン内部のホコリ
の吸い取り~始めたらよろしいようで。あわててパソコンやに修理にだすまえにぜひいち
ど試みてみてください。小生の経験ですが参考までに
2011/4/22




行った、見つけた、買った 神田古本まつり

3年振りと思います。神田古本祭りに行ったのは。最近古本屋買うより売るほうに成りました。今回もおよそ100冊以上売りに出したしだい。本を売るということ実に切ないことです。買った時代のことなど、そのときの気持ちいろいろ交差します。それでももはや我が家にはおいていくと床が抜けるとのたまう偉い人がいて勝てません。ままずこれから読むことも無いと思われる専門書(物理、数学)などの一部と趣味の飛行機、船の本売却およそ¥6万くらいとなりました。ということは買値で考えると多分¥50万こえているでしょう。
 ともかく辛いことでした。さてうらみ節はそのくらいにして
 ここ数年捜していた本が偶然みつかりました。「日本航空機年鑑 1956年版」です。これ新刊時の低下¥280とあります。これがなんと¥3500とは。それでも購入、これで日本航空機年鑑1955年が最初で2010年まで全て揃い満願達成、とひとまず満足。
それにしても神田神保町界隈いいですね。あの界隈で好きな書店、新刊書では東京堂 ここの本の展示のやり方心にくいと思います。それにあまりこんでない、ゆっくり吟味できます。
古書店では明倫館 ここは理工学書 文華堂ここは飛行機、船あるいは戦争関連ともかく以上の書店にはよく顔をだします。まこんなことで心ちぎれる思いをしたり満足したり晩秋の一日でした。
2010/11/2 風





幽霊の正体見たり /パソコン

昨日パソコン突然停止、前回と同じ症状。前回、回復はしたが本当の所何故という確たる
証拠がなかった。そんなわけで今回はまず電源を交換することとした。側板をとりはずし
前回取りきれなかったホコリをすいとりまずなかを覗いて様子をみる。又こげた跡、匂い
を目と鼻なで確認。とくに異常は見つからない。その状態で再度PWR/ONをしてみる。
やはり状態は同じ回復せず。今回念のため側板を開けたまま様子を見る為再度PWR/ON
状態は同じであるが注意してみるとCPU冷却FANが停止している。これでは動作するわ
けがないと納得。最悪CPU交換、ということはマザーボドも交換、それにOSのインス
トールと考えると、費用と作業量ともかなりなものになると暗澹たる気持ちになる。とも
かく、そんな最悪事態を考える前にまず当面の作業として何故FAN停止に至ったかと
FANをよくよくみるとFANのリード線の先コネクターが抜けているではありませんか。
まずこれを正規位置に挿入し、祈るような気持ちで再度PWR/ON FANは回転をはじめ
る。モニターを見ると正常に動作しているではありませんか。ほっとしました。そんな顛
末でした。前回ホコリを取るだけで症状回復したので原因すっきりした証拠もないまま良
しとしたのですがいま改めて考えてみるとおそらく前回FRNにホコリがたまり回転が停
止していた可能性が大である。今回何故コネクターが抜けたか、これもなぞではある。お
そらく前回マザーボードのホコリ取りのときにFANコネクターにさわり半挿入状態とな
り今回抜けたのだろうと推定。めでたくパソコン回復。今回は原因もはっきりしているの
で一安心です。これ前回報告しとき同じような悩みの方がおられたのではっきり証拠が解
った状態であるのでさいど報告。ご参考までに。
2011/4/28

11

 

テーマ前書集

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 3月 8日(土)04時18分1秒
編集済
  .

              テーマ前書集 2002-2007




 二十数年前に発行が始まった佐高11期生による同窓誌『斜光』のTOPを飾ったのが
氏の「巻頭言」であれば、そこから出発した文芸同人誌『同人α』を飾るのは、テーマ提
供者による「前書き」であります。
 氏は2011年に同人αに参加してからこれまでに三回ほどテーマを担当ました。
科学する人、文明を客観的に語る人が、仏教哲学に触れるテーマを続けて提供しています。
そこには科学と哲学/宗教を結びつける何かがあるように思えます。 (編集部)



第27号「こんとん」  2011/5/28

「こんとん」随想

南海之帝為儵    南海の帝を儵(しゆく)と為し、
北海之帝為忽    北海の帝を忽(こつ)と為し、
中央之帝為渾沌   中央の帝を渾沌と為す。
儵與忽       儵と忽と、
時相興遇於渾沌地  時に相い与に混沌の地に遭う。
渾沌待之甚善    渾沌これを待つこと甚だ善し。
儵與忽       儵と忽と、
謀報渾沌徳、曰   渾沌の徳に報いんことを謀りて曰く、
人皆有七竅         人みな七竅(きよう)ありて、
以視聴食息     以って視聴食息す。
此獨无有      此れ独あることなし。
嘗試穿之       嘗試(こころみ)にこれを穿たんと。
日穿一竅、七日而  日に一穿を穿てるに、 七日にして
渾沌死       渾沌死せり。

 以上荘子「内篇」応帝王篇 第七にある寓話である。「儵」「忽」「渾沌」という名前
には寓意がある。 「儵」と「忽」はいずれも「迅速」の意味ですばやく機敏なことから
人間的有為にたとえ「渾沌」は未分化の総合態で自然にたとえている。
(岩波文庫 金谷 治訳注による。)このほか中国では神話として「混沌」があるとの
ことこれは四凶のひとつである。これについては詳しいことがわからないので言及しよう
がない。一方混沌という言葉もある。これはいわゆる「カオス」である。こちらの方はギ
リシャ神話に発している。それは世界の始まりに存在した神である。事物が存在する場所
としてすなわちなにかを入れる空間として最初に存在した原始神である。荘子あるいはギ
リシャ神話における渾沌あるいはカオスはいずれも何か原初の状態を表しているようであ
るがギリシャの考え方は、論理の最初の土台としての存在であり、荘子のそれは人間の知
恵を超えたところにある自然状態であるようである。
 今日現代数学はカオスを混沌の中から再発見しすくいあげた。従来決定論として扱われ
ていた現象もその中にある非線形の効果によりほんのわずかな初期条件が違うことにより
結果とてつもない違いあるいは予測不可となることがわかった。これはものの見方にたい
する新たなパラダイムを開いたものである。いわゆる「ラプラスの悪魔」の世界観の終焉
である。もっとも「ラプラスの悪魔」に対しては量子力学ですでに否定されていたのであ
るがいわゆる古典物理の世界においても終焉を迎えたのである。実際に起こる事象ほとん
ど非線形のである。いままでこれらほとんど線形近似にておおよそのものはそれで事足り
た。ところがそれですまないものがあることがわかってきた。これが新しいものの見方の
地平を開いたパラダイムである。
 添付している図はローレンツのアトラクターといわれているもの。これは地球の大気の
動きをある条件の下にモデル化したもの。
こんなことを書いているうちに東北関東大地震が発生。そのエネルギーはマグニチュード
9というとてつも無い大きさ。これは阪神淡路大地震のやく三百五十倍以上のエネルギー
である。その津波を伴う破壊力の巨大さ、その前に砕け散る人の営みの矮小さ、悔しいけ
れどどうしようもないスケールの違いというものを感じる。地球活動にとって今回のよう
な地震、なにも特別な出来事ではない。起こるべくして起こったこと、プレートの衝突に
よりそれらの境界に歪がたまりその弾性限界になると瞬時に歪を戻す動きが地震、あるい
はそれに伴う津波である。人はまだ地殻の正確な性情を捉え切れていない。又現状を正確
に測定できないでいる。対極的に見るならこのような現象カオス的なものであろう。
 人はいろいろ技を尽くし渾沌に七覈を穿たんと試みるも、渾沌はなかなかその正体を現
すことなく逃れているようでる。カオスを基台とした論理で渾沌を殺すことなく七覈を穿
つことが出来るのか。人は永遠の見果てぬ夢を追って生きていく。
このたびの震災で被災されたかたが一日も早くもとの生活に戻られるようねがうととも
に、この未曾有の災害から日本が全力を挙げて復活するよう頑張りましょう。




第33号「無常」  2012/11/24

テーマ「無常」小生にはまだ無理なようです。執筆中いろいろなアイ ディアが沸いてき
ますがそれらをまとめる総合的知恵が不足しているようで、今回のもの、発酵の泡は出て
きたようですが途中でなくなり腐敗の方向に向かったようで、なんとなく腐敗臭が漂って
いるようです。これ以上ながくなるとほんとうに腐敗してしまいそうで、とりあえずごま
かした感じです。
表紙のグラフは小生のmathematicaで作成したものです。こちらのほうは自信がありま
すが。
今回勢いはよかったのですがなんともみじめな結果となりました。




第38号「心情風景」  2014/3/1

 雨風の強い日を除きほぼ毎日、その日の気分にもよるが二~五時間くらい散歩する。
所沢に住んでいるが、この町は狭山丘陵の先端部に位置し、舌状に伸びた丘陵とその間の
谷部によって成り立っている。ほとんどは住宅地となっているが未だに丘陵部では森とし
て残っている所がある。そのいくつかは公園として保護されている。
 そんな場所を月に三~四回は歩く。森といってもいわゆる里山であり、原生林ではなく
人工林である。それらの森あるいは林は、近年地域の人との生活と無関係になっているの
でほとんど手が入れられることなく荒れつつあるが、公園として保護されている所はそれ
なりの手入れがなされているようである。保護地域は落葉樹が多く、歩いていると季節の
変化を実感する。最初はただそんなものかと記憶に止め、あの時はこうだったなどと記憶
をさかのぼっていたのであるが、どうもあやふやなところが出てくる。そこで正確に比較
してみようと思い写真を撮って比べてみることにした。

 比較の為まず定点を決めそこを撮っていくこととした。ところが定点と決めたところを
数週間後に訪れてみると、周りが変化していてよく分からなくることもしばしばである。
カメラはいわゆるディジカメである。一昔前のようにフイルムの残り枚数も気にすること
なく撮影できる。定点と思しき所、あるいはちょっと気がかりな場所など下手な鉄砲もそ
のうち当たる方式で撮っていった。散歩終了後パソコンにそれらの映像を収納するのであ
るが、なんとなく映像の色が記憶と違っている。これはよく考えると当たり前のことであ
るがなんとなく納得がいかない。
 もともと発光体でない限り、物には固有の色というものがない。その時の光の様子によ
って色は変化する。極端に言えば同一のものであっても、晴天の太陽光の当たる所と日陰
のある所とでは色は変わる。ところが普通そのような変化は気がつかない。もっともこれ
を写真に撮ってみると分かる場合もあるが。しかし写真を見てなんとなく違うという感覚
は、光に起因するの色の違いではないように思える。要するに自分が〔思っていた世界〕
と違うという感覚である。

 人はみな物の色について、思い込みといってもよい記憶を持っている。写真を見て違う
と思うのはこの記憶色との間で生じるようである。
物を見て人はそれを脳内のある場所に収納する。それを記憶として呼び戻すときは、その
人が持っていた色の履歴を参照し「こうであった」として呼び出しているようである。こ
れを〔心象空間〕とでも言っておこう。一方写真はカメラ自体の有する特性により記録さ
れており、あえて言えば〔カメラ空間〕とでもいえる。心象空間はカメラ空間と比べ慣性
が巨大であり、微妙な変化には追従しないようだ。しかしながらある特徴的なことに対し
ては過剰なくらい反応するようである。
 この心象空間と写真を近づけるために色々な実験を試みた。最近の写真編集ソフトを使
用すると相当なことができる。ひと昔前のプロの写真家と同じような処置ができるようで
ある。当時は撮影時のフイルター、あるいは現像時の処理など、手間をかけて仕上げたこ
とが現在ではパソコン上で目視しながら可能になる。ソフトにより色々あると思うが、ま
ず撮影時のカメラの設定を生にしておく。この生の画像をパソコンで開いて編集画面を見
ると、露出補正に始まり色温度変更など色んな項目が出てくる。これらを選んで、画像を
見ながら自分がそう思った画像に近づけるべく変更していく。これをやると相当なところ
まで心象空間に近づけることができる。

                  

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交流/人生

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 3月 8日(土)00時53分3秒
編集済
  .

              交流/人生 2002-2004





カウントダウン

 この歳になってくると時間の経過が極めて早く思えます。ついさっき02年の正月と思ってい
たら早03年正月過ぎてしまいました。そろそろ来年の正月のことでも考えようかな。
 若いころは毎年毎年知識がつきいろんなことを経験しだんだんと人間に深みが付いてくるよ
うな気がしました。ところが最近は毎年記憶が喪失し昔とった杵ずかでもどうして使用するか
全く忘れて憮然たる思いをすること多々あります。
休み中にちょっとした技術問題を計算しようとしたらその考え方のプロセスはできたが、具体
的に数値を入れて計算しようとしたらなかなかできず思わず苦笑をしました。たんなる軸対象
回転図形の体積計算で、これは高三の数学の問題です。要は高三以下のとこまで退化している
ことのようです。全くお笑いです。
 本年の年賀の挨拶には「正月は冥土の旅の一里塚 めたくもありめでたくもなし」と一休宗
純(?)を借用させていただきましたが本当にそう思います。もともと正月がめでたいと思
うのはそれは刷り込みによるのか、はたまた思い込みによるのかわかりませんが面白いもので
す。塩野七生氏の題名は覚えておりませんが「人は見たいように見る」というのがあったよう
な気がします。まさに正月がめでたいと思うのは本来なんら意味がないようです。ただま周り
一般がそうであるからそう思い込んでいるだけでしょう。ま、こんなことにあえて逆らっても
しょうがないこと。

 ところで年賀状に人生折り返しすぎ1年経過しましたとかきましたがいま考えてみるとちょ
っと反省しております。これからはカウントダウンでいくべきではなかったかと。 すなわち
x-nです。xは我が生命のつきる歳です。さらにもはや折り返しも過ぎていますのでその基点
を折り返しと小生が決めた60歳からstartさせます。私の場合一応[x=30]とします。
普通で言うと90のこと。そのように考えると残り少なくなっていくのを実感できますし、まだ
遣り残していることども、あらたにやらねばならないことども、順序を付けてやっていくこと
ができそうに思いますが。如何かな。要は発想の転換です。多分残りの人生今までより少ない
でしょう。それを大切にしようするにはこの発想が面白いように思えますが。
新年早々余計なことひとつ。
 今冬寒さが厳ようです。皆様お体にはご注意のほど。
2003/1/10




本日10月20日、あれから3日

 10月18日同期会たのしませていただきました。幹事諸氏に心より御礼もうしあげます。
当日の場所が神田でもあり、1時間の余裕を見て出発し、ここ数ヶ月ご無沙汰していた古書店
街を散歩するつもりででかけました。出かける前はただ見るだけと思っていたのですが、実は
文華堂書店でここ十年来探していた書物を発見し、後先考えもなく購入しました。 そのあと
[しまった今日は飲み会のため出かけたのだ]ということに気づき、これはちょっとまずいな、
もしかしたらこの大事な本を何処かに忘れてしまうのではと気になってきました。
 そんなこんなで宴が始まり飲みだすといつものとおりとめどなく飲みだしすっかり本のこと
など忘れておりました。小生はもともと付き合いがよくなく、ヒトとざっくばらんな話するの
は苦手としており酒でも飲まないととても気後れして出来ない性分です。今回幹事諸氏の企画
よろしきをえて2次会のお茶ということになり酔いもさめ、無事本とともに帰宅できました。
3次会を皆さんで楽しまれたようですが、小生はめずらしく出席することなく帰宅したのです。
家内が目を丸くして驚いておりました。帰りの電車で高校時代のマドンナとばったり会いまた
また楽しい思いをいたしました。

 さきに書いたように小生もともと付き合いよくないほうですが同期会高校、大学とあります
が生活のなかでプライオリティ第一においております。なんでだろう、ともかく理屈ぬきにこ
の会合は気持ちに安らぎをおぼえます。これからも長く継続するようできる限りの協力をした
いと思っています。幹事諸兄ご苦労さまでした。
2003/10/20



尋ね人

 探しています、横尾秀昭君我々の同期です。高校3年のとき14組です。京都大学現役合格、
その後中退しました。
 小生、彼とは中学時代より極めて親しくしておりました。その後いろいろあり、かんばしく
ない話ばかりですがもはや還暦も過ぎそんなことはどうでもよいと思っています。昔の仲間と
して迎えようとおもっています。これはわが終生の友である古賀俊之君も同じ思いです。
 なにとぞこの思い理解いただき、もしこれをごらんになっている諸兄、諸嬢ご存知でしたら
連絡ください。なお連絡は「投稿者」「異風者」のところをクリックいただければ小生のmail
に接続できます。もしご存知であればよろしく。
2003/10/21




すっかり忘れていました

そういえば先の同期会のとき45周年の話でていましたね。そのとき小生小池氏よりクラス委員
になってくれとの要請ありOKをしました。必要があれば連絡いただくとのことでそれ以来すっか
り忘れていました。歳ですね。今後なにかとこの関係会合あると思います。なにかとお手伝いす
るうえでいろいろいきさつを知っていたほうがいいと思います。毎回電話葉書とうで連絡するの
は費用もバカになりません。そこでできるならばこの落書き帳、あるいはお知らせにて告示した
らいかがでしょうか。小生都合の付く限り出席させていただきます。
2003/11/17




noriさんへ 
 こういうのどうですか、ちょっとしたパロディ
「世の中に”のり”なるものは多かれど範なるのりはこの範のnori」
実は最初小生も間違っていました。2~3回読んでいると間違いに気づきました。
申し訳ありません。
2003/12/3




人生折り返し

 小生、人生の折り返し点はたぶん60歳であろうと考えています。よって折り返し点よりゴー
ルにもどるには来た道と同じ長さを行くとしたらあと60年すなわち120歳まで元気良く生命を
まっとうしなければいけないことになりますが、これは一般常識からいってかなり無理な話。
そこで前半の30年これは修行あるいは試行期間と考え、出発点を30歳と考えることにします。
そうするとあと30年すなわち90歳まで元気であればよいということになります。小生これを目
標になんとかたどりつくべくがんばっております。
 さて最近老人について考えさせられることがありました。中曽根氏、宮沢氏どちらのかたも
小生立派な方だと思います。保守本流の宮沢氏、どちらかというと傍流の中曽根氏、無理する
ことなく自分の思いを達成することが可能であった宮沢氏とかなり無理をしパホーマンスに頼
らざるをえなかった中曽根氏を比べると最後までその違いが出るような思いです。小生基本的
な考え方では多分中曽根氏の憲法、あるいは教育基本法に対する認識に賛成です。しかしなが
ら中曽根氏のそのパホーマンスがいやでなんとなく中曽根氏を支援することが出来ません。ど
ちらかというと宮沢氏の色んな場で示される見識の高さにも感心させられることしきりです。
今回の問題我々も老人の入り口に位置する者として考えさせられます。はたして老害なのか人
生の経験見識なのか、判断が難しい。これはこの話とは直に関係ないかもしれませんが、道路
公団藤井氏、彼は地位には恋々としない、などとおっしゃっていますがどうみてもあの顔はな
んとなく品格が見えませんね。
 さて人の事はあまり言えません。小生60歳で停年退職再就職したりして現在freeですがその
間読んだ本を記録していたら、約70冊(専門書を除く)でした。多か少ないかわかりません
が、じっと周りを見るとまだまだ読んでいない本が我が本箱に山とあるます。このペースでい
けばたぶん90歳までには読みきれないかもしれません。それでも毎月本が増えていくのです。
これどうなっているのでしょう…。 斜光のクラブに読書会なるものがあるそうですが小生の
趣味と全くあわず同席する気にはなりません。読んだ70冊のリストを添付したいのですがど
うもここではファイル添付はできないようで。くだらないたわごと一つです。
2003/10/24




ちょっと一息

「虚と実」の話次の図挿入のすこしてまどっています。そこでちょっと毛色の変わったパ
ロディをひとつ。
「マザコンのしたり顔見てへきへきし、昔のひょっとこ、いまはなつかし」
マザコンよりひょっとこおどりやその昔の獅子舞のほうが面白く味もありました。
2010/1/14




やっと解りました(佐賀探訪5)

同窓会事務局長山崎様
以前から疑問に思っていたことがあります。「Google Earth」で佐賀近郷を覗いてみる
と掘割に囲まれた集落が数箇所みあたります。おそらく中世の城郭あととにらんでいたの
ですが確かめたことはありませんでした。佐賀探訪(5)をみて氷解しました。直島城址
とあったのであらためて「Google Earth」を見たらそこ、まさに直島でした。また姉川、
黒井などもおなじようなものがあるようです。ともかくいい情報有り難うございました。
おそらくGoogleを見ないと気がつかなかったのではないかと思い、今度は国土地理院の
1/25000の地形図みてみました。これでもはっきりわかります。1/25000の地形図など山登
りに利用するものと思っていましたがいろいろ面白い情報があります。地図、PCを利用
すると相当細かい制度で地球を眺めることが出来、想像の輪がひろがりおもしろいもので
す。なお1/25000下記で閲覧できます。
 http//watchizu.gsigo.jp/index.html
2010/5/24




ギョウテとは俺のことかと・・・
昨日楠葉さんの投稿を見てぎょっとしました。小生の投稿にたいするお話ですが「風さん
へ」なっていました。これは、はてと思って改めて小生のもの投稿者をみると確かに「風」
となっていました。本人最後までそのところの違いきずいていませんでした。とはいって
もよくよく考えると悪くはないニックネームであり、これから時々使用することにします。
とはいえメインは「異風者」でいきます。昔の名前、新ネームともどもよろしく。
2010/11/4
 

日本の在り方

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 3月 8日(土)00時19分17秒
編集済
  .

                日本の在り方 2002-2008


注)左題:編集部 右題:著者投稿タイトル


自然環境/環境?

 自然環境とはなんぞや? 最近「自然に優しく」がなんとなくはやり言葉となっていますが。
およそ小生に言わせれば、まったくおかしな言葉。所詮生物が生存すること自体すでに環境を
破壊しているのです。現在の酸素richな大気、これ自体まさに生物の環境破壊により生じたも
のです。地球生成時大気は酸素などほとんどなく窒素richな組成であったといわれています。
それを初期の原始生物が窒素をとりこみ酸素を放出し初期地球環境を破壊し彼ら自身もそのた
め絶滅した後、酸素呼吸の生物が出てきて今日にいたっているのです。
 所詮生物はどんなに知能が発達しても宇宙の摂理に逆らって存在することはできません。こ
れは全くの偶然あるいは、極めて小さい確率のもとに生じたと思われますが、地球という小さ
な太陽の惑星が炭素を主体とする高分子が生成するのに有効な温度環境にあったため生物とい
うものが存在しています。これも所詮宇宙の時間でみるとほんのわずかな時間です。そのうち
太陽の寿命がつきるとともに太陽は膨張し地球をも飲み込まれるのです。そのときまで小生は
生きているわけはないのでどうでもよいのですが、もはやそのときはおそらく分子など存在で
きないでしょう。多分原子レベルの存在でしかないでしょう。
 それはそれとして、生物それ自体は常に環境に適合し変化していきます。人間など進化とい
う言い方をすれば、ものすごく進化しているものと思われていますが本当にそうでしょうか。
進化についてどう考えるかいろいろあると思いますがやはり環境にいかに適合するように特化
しているかという点にあると思います。そのように見ていくと人間など環境に特化していなく
原始哺乳類の特徴を多々残した汎用的存在であり、ある意味では進化していないのではないか
と思っています。ちょっと他の生き物、たとえば野生の鹿でも見ればわかるように森林の草食
をするものとし環境に適合しています。人間はそのように環境に特化した進化をしなかったた
めに環境を制御することでかろうじて生きながらえてきた生物だと思います。
 環境を制御すること-、これは多分二足直立歩行を獲得し両手が自由になったときに始まる
と思いますが、この原点に立って考えるならおそらく人間が生きていく限り環境の変更(環境
破壊ともいう)は永久になくならないでしょう。ただ幸いに?人間は多少なりとも過去を記憶
しそれをもとに未来を予測する能力を有しています。それにより環境を破壊しながらも壊滅的
破壊を行い自分自身の存在をおびやかすことは多分しばらくはないでしょう。しかしこれも現
段階のことで、地球の総人口が増え続け、地球の土壌を全て利用しても食料が足りなくなった
とき(可能性なきにしもあらず)このときどうするのでしょうか。人の生命、環境どちらを選
択するでしょう。
 私自身やはり自然環境(よく考えるとよくわからない言葉)すなわち植生、野生動物etcなど
いつまでも存在して欲しいと願っています。しかしこれは先進国の豊かな人間の、ある意味で
は利己主義であるという認識も持っています。およそ自分の都合による環境問題などあるわけ
なし。本当に自然のままがいいと思ったら自分自身の自我および肉体を消すしかありますまい。
即ち死しかないと思いますが、いかがかな。人間とは常に環境破壊を行っているものと考えて
います。まだ書き足りないこと多々あるが明日も仕事寝坊できません。そろそろねむくなって
きました。O氏に刺激され日ごろ思っていることども。
     Good Night
2002/12/16




拉致問題1/落ち着きましょう

 箱根での同窓会、いびき、歯軋り、寝言三拍子そろって同室の皆々様に大変迷惑おかけいた
しました。

 さて話は変わって昨今北朝鮮の拉致およびかろうじて生き延びられ一時帰国された方々の話
でもちきりです。今回帰国された方々は強い生存への意思と信念があり無事24年間辛抱された
ことと思いまったく頭が下がります。しかしある面では運がよかったとも思えます。現在行方
不明のかたがたは殆どなんらかの意味で日本で話題になった方が多いようです。多分北朝鮮の
なんらかの意図により抹殺された可能性が大きいとおもいます。
 小生が言いたいのはこれではありません。たしかに国家的犯罪により人生の大半を棒に振っ
たり消滅させられたりした方々およびその親族縁者にとってまことに許しがたきことではあり
ます。しかしここで日本一億騒然となりヒステリー現象をおこしてはと心配しています。昔昔
の満州と同じになります。「ここはお国を何百里、離れて遠き満州の赤い夕日に照らされて友
は野末の石の下・・・・」との神話にしばられ日本は大敗北をしました。
確かに生命は重いものです。しかし所詮生命であり必ず消滅します。戻らぬものをいとおしむ
あまり、新たに生まれる生命を、あるいは現存するあまたの生命を危機にさらすことはさけね
ばと思います。おそらく現在の北朝鮮をすりつぶすくらい現在の日本の経済力と軍事力をもっ
てすればそんな困難なことではないでしょう。それでは東アシアの安定とあまたの生命の犠牲
をともないます。
 今はなんとしてもかの国を国際的協調の場に引き出す必要があります。現在の北朝鮮の全て
についてまったく我慢がなりません。それでもせいぜい金日成、金正日親子の人形に釘を打っ
て呪うくらいにしておきましょう。それとかの国は人民のくにであり正義がおこなわれ拉致な
どという人道に反することを行うわけがないなどとのたまわっていた日本の政治団体がありま
すがそのての政治団体には今後一切投票しないことが肝要とおもいます。それとパチンコやめ
ましょう。金正日をふとらせるだけですぞ。かくいう小生20年来パチンコやっていません。
2002/10/21




拉致問題2/(無題)
  先回の投稿柔らかく書いたのであまり反発なかったみたいですね。ここで大いなる反発を期
待してとはまでもいかなくて、日ごろ気にかかることどもを述べたかったのです。

 先回社民党に投票するのをやめましょうと書きましたが、ここでは北朝鮮の拉致問題につい
てかの党の現実認識の貧弱さを指摘したかったのです。所詮政治とはそんな高級な人間活動で
はありません。いかにして人間集団の欲望がのたうちまわっている現実社会を少なくともある
程度整理し秩序立てる活動の一つと考えているものです。これには鋭い現実認識能力が必要で
す。これがなくて自分が勝手に夢想した虚構のなかで現実を無視しマスタベーションの世界で
幻想の理論を信奉しこれが正義であるとのたまわる集団がはたして政治団体として存在が許さ
れるかという問題です。北朝鮮の全てについて全く胸糞が悪くあえて書きませんがそれでもな
お、対応は冷静にしなければ、かって戦前の日本がたどったと同じ道を進まないよう危惧して
います。拉致の事実はあるにせよなんとしても国際社会の常識が通用する普通の国になるよう
やはり対話のtableにのせるべきでしょう。
 最近戦前の日本の朝鮮での振舞いを思えばとの論調が盛んにありますが冷静に考えればあれ
は半分以上朝鮮の問題です。古い事大主義にこりかたまって新しい時代に対応しきれなかった
彼らの問題だとおもいます。日本が植民地にし悪いことばかりしていたとの歴史認識がまかり
通っていますが多分50%は正しところもありますが、半分は間違っていると思います。それに
日本統治時代に何人の人が理不尽に殺されたのでしょうか。それよりはるか多くの人々があの
理不尽な北朝鮮により引き起こされた朝鮮戦争でなくなったとおもいます。そんなことに対し
なぜ誰も指摘しないのでしょうか。
 確かに日本は過去悪いところもあったでしょう現在も悪いところはあると思います。さりな
がらこれは全ての人類共通のこと何も日本だけのことではないはず。あまりにも自虐的な論調
が蔓延しています。もっと自尊の気概があってしかるべきだとおもいます。自尊の気持ちがな
いとちょっとしたことで過剰反応しとんでもないことになりますよ。
 小生右翼ではありません。万世一系の天皇が統治する日本などとは一度も考えたこともあり
ませんしそろそろ天皇制など考え直したほうがよいと思っている、現実主義者です。
2002/11/4

*2002年9月17日、内閣総理大臣小泉純一郎(当時)らが訪朝した。(編集部)




日本の在り方1/(無題)
 異風物とは、実は異風者とすべきところでしたがPCの上で変換間違いです。気づいたときに
はすでに投稿押した後、所詮仮の名と思い再度考えたら意外と悪くない、当分異人は人間以下
の物でよかろうといおもいそのままにしておきます。

  さてさて我々戦後第一世代すなわち、新制教育を最初から受けてきた最初の世代です。
そこで日本が第二次世界戦争においていかに悪辣であり、さらにそれ以前の日本が悪意と残虐
な気持ちでもって東アジア、朝鮮、中国に望んだかを繰り返し教育されてきました。さらに憲
法特に第9条がいかに崇高な精神であるかたたきこまれてきました。しかしこれらのことはほ
んとうでしょうか。人間世界において絶対正義というものがありましょうか。
自然科学およびその派生である技術を学び技術の世界で生活している小生にとっておよそ信じ
られません。厳密に実験事実と対応しなければならない物理学の世界においても常に絶対真理
などは否定され新たな事実が発生しています。ましてわけのわからない人間世界において絶対
的に正しいなどということがありうるのでしょうか。今日の護憲、平和、本当に正義なのでし
ょうか。人は平穏無事にすごすことがなによりです。争いごとないに限ります。だけど必ず争
いごとはおこります。それは自分と他人は違うということです。それが争いのはじめです。全
てのひとが宗教者のいうように右の頬をたたかれたら左の頬を出すなら全て問題解決です。し
かし人間そうではありませんそれは歴史が示しています。人間の荒ぶる魂これがこの世界を引
きずっているような気がします。これを否定することができた暁にはじめて反戦、平和、護憲
などと誇りをもっていえるでしょう。
 最近の韓国、中共、北朝のにおける執拗な日本の内政干渉などに日本国内においても内応す
る意見もあるようですが、そこには日本が過去それらの地域において悪し行いをしたとの反省
があるとおもいます。それはそれで自制し宗教的な反省をするのは悪いとはおもいませんが、
政治的世界および現実生きている世界においてはあまりもナイーブで無責任な話です。なんで
日本の首相が敗戦の日に日本のために無くなった方々のために哀悼の意を表するのがいけない
のですか。なんで我々がいつまでも誤らねばいけないのですか。日本人はもっと誇りをもって
生きていかねばと思っています。さらに新たな世界に向かって革新をしなければ、そのうち地
球のお荷物になりかねません。還暦を過ぎ隠居しようと思わずこれからも思いついたことども
トンドン発言しようではありませんか。
2002/11/11




日本の在り方2/終わりの始まり

  2002年12月となりはや終わりが近付きました。小生にとってやっと年の瀬という感じがしま
す。というのも今日塩野七生氏のローマ人の物語ⅩⅠ「終わりの始まり」が出版され本日入手
したからです。このロ-マ人の物語は毎年1巻ずつ出版されることとなっていますがこの数年毎
年年末の12月半ばごろ出てくるのが通例となっていました。今年も1年まっていましたが先日
出版され入手小生にとって本年の年末即ち終わりの始まりを感じました。後一つ日本航空機年
鑑2002も先週入手これも小生にとって年末を感じさせるもののひとつです。

 さてローマ人の物語でいっている終わりの始まりとはかの有名なマルクス・アウレリウス
(五賢帝の最後の人)をもってローマ帝国の衰退が始まったといっています。まだ中身を読んで
いないので著者がなにを言わんとしたか詳細わかりませんが、歴史に興味あるかたならおおよ
そ検討がつくと思いますが、このころよりローマ帝国は拡大路線から守勢路線に方向転換しさ
らにゲルマン諸族の侵入が目立ってきた時代です。このあとローマは軍人皇帝時代となり混乱
し秩序が乱れ衰退していきます。まさに哲人をもってしてもローマに新たな活力を注入するこ
とができなかったということです。優れた人格者であり配慮と協調を尊んだ治世をおこなった
にもかかわらずなぜ。
 ここに現代の日本と重ねてみるとまことに面白いことが見えるように思えます。はたして日
本は今後どうなるか、小生の感じではこのままいけば確実に日本は衰退していきます。我々は
おそらく[爺捨て山]でしょう。これを避けるためにはなんとしても構造改革を断行するしか
ない。配慮と協調だけでは改革は絶対不可能。今日の日本の状況はまさにいままでうまくいっ
ていたsystemが時代に合わなくなってきたというときです。これを小手先でごまかそうとして
も問題点を先送りするだけでますます悪くなっていくでしょう。小泉総理の基本的認識はそこ
に原点があったはず、それが世間にはなんとしても現在の生活習慣を変更することに抵抗を感
じるひとが大多数でありそれらに対する配慮、協調により改革の行方がふらついています。こ
こはなんとしても改革を推進する勢力に肩入れし成功してもらいたいと思っています。

 人生折り返しを通過しましたがあと半分60年残っています隠居心でのんびりしていたらとん
でもないことになりますぞ。「少年老いやすく学なり難し」といいますがまだまだ老け込むに
ははやすぎます。学なりがたしですがそれでもなんとか少年の心をもっていろんな挑戦を心が
けるつもり。諸兄、諸姉ご支援のほど。来年もよい年であることを祈念しつつ。多分このまま
では世の中もっと悪くなるでしょう。それに負けないようどうする?
2002/12/12




日本の在り方3/ご無沙汰しております

 花も散りイラク戦争もほぼ終了し時間はなにごともなかったように通りすぎようとしていま
す。去年の年末以来久方ぶりの投稿です。名前変更いたします。’異風物’を’異風者’(いひ
ゅうもん)とさせていただきます。やはり物ではなんとなくおちつかなくて。
  たまにこの落書き張をみると、どこか知らない世界の爺婆の写真があまたのっています。よ
くよくみると昔々の美少年、美少女ばかり。遠い昔に会ったようなきがします。はや40有余年
の年月をかみしめています。かくいうう小生もやはり自分では若いと思っていても、やはりそ
の歳になっているのかな。先日古野太郎兄のところに寄り道し、そのような話をしました。

 さてイラク戦争は米英軍の圧勝に終わりましたがいろいろ考えなければならないことがある
ようです。前回の太平洋戦争で日本は完敗しましたが戦争に対する考え方、戦略それに基ずく
戦術全てにおいて今回も日本は米国に完敗したようです。反対賛成いろいろありましたが現時
点で日本の指導者は米国に反対するような自由度はなかったはずです。完全に米国に先手をと
られています。
 まず第一に憲法9条、このおかげで日本はかなりの自由度を奪われています。いま戦争反
対というと、人々はすべてこれをよりどころにしていますがこんなものが絶対真理であるはず
がないと思っているのですが皆さんは如何ですか。戦争などないにこしたことがないというの
は多分人間心理として当然のことで、これは多分真理に近いでしょう。だからといって戦争、
もっと易しくいえば争はなくならないでしょう。世の中、大昔より宗教がありこれはたいてい
争うことを禁じています。 殆どの人はこれを信じるかあるいはまた正しいと思っています。
それでも争いはなくなりません。なぜかある部分人間の本性にねざしたところがあるのでしょ
う。現実に政治はほとんどこの争いをいかに未然にさけるか、あるいは被害を最小にくいとめ
るかそのための予知、対策システムを作ることにあります。はじめから争いはあってならない
し、あるわけがないと夢想したならば政治システムの殆どは不要となります。今日の日本では
どうして分からないが、争いがあるわけがないという不思議な宗教(平和教)の祝詞がまかり通
っているようです。このため極めて現実的政治手法すなわち戦争にどう向き合うかが検討でき
ないでいるようです。
 今後真剣に検討していかねばと思います。
 最近堅い話はなく場違いと思いましたが。
 どうでもいい話でないので
  文責を明らかにするため名前連絡先を入れておきます。
   竹内一郎
  fwiz3161@mb.infoweb.ne.jp
2003/4/24




日本の在り方4/久方ぶり

 早夏、梅雨とは知れず本日は気持ちのよい日でした。まさにJUNなんとか…。ヨーロッパの
夏を思わせます。

 今の日本国憲法は「松葉杖をついて気息絶え絶え」とのこと、これもひとつの見方です。
我が表現をもってすれば、「絶対正義の平和憲法を有する神州日本、うちてしやまぬ鬼畜米英」
と焼夷弾のあとの焼け野原で叫んでいるように思えます。およそ絶対正義などありますか。
 戦争悪か、なぜか人が死ぬからか、人は何もしなくても確実に死にます。死ぬのが「悪」か
さっぱりわかりません。戦争たぶん悪でも正義でもないでしょう。あんなものないのにこした
ことはないでしょう。「いかにして避けるのか」、これが大きな問題です。単に我々は絶対平和
主義を信じます、他国もこうであると信じます。これで戦争が防げるならこんな簡単なことは
ないでしょう。戦争は単なる外交の手段です。戦争に大儀などないでしょう。あるのは利害で
しょう。それこそ勝った方は後からなんとか理屈をつけます。およそ人の数ほど正義はありま
す。自分の正義が他人の正義と必ずしも一致するとはいえません。まさに真反対にあることだ
って極普通と思われます。およそ人類誕生以来無数の争いがその歴史のなかで生じたでしょう。
そのなかで弱者は消滅していったでしょう。いまいるのはそのなかで勝ち抜いてきた人々です。
 所詮人間なんて不完全な生物です。およそ理想(何か)どおりにいかぬのもです。理想を説い
てきたと思われる宗教にしてもそれを理由に幾多の人々を虐殺してきました。我々の世代の弱
点は先の戦争を、まさにおぼろげに体感しています。そして敗戦後戦勝国によっていままでや
ってきたことがすべて悪であったと強制されたことです。体験していないだけそれが正義と襲
えられればそう信じます。我々はその行為を体感しているわけでなく教育によりそのように信
じこまされているのです。さらに過去の行為だけでなくおよそいいかげんな戦勝国による日本
の弱体化を狙ったへんてこな憲法なるもの、またこれに悪乗りし日本を共産化しようとした左
翼、特に日教組により主導させた教育により洗脳されていることです。よくよく考えてみると
おかしなことばかりです。従軍慰安婦、南京虐殺しかり、靖国その他よくよく自分の頭で考え
えましょう。なにも戦争をやれといっているわけではありません。いかにして戦争を避けるか、
利害得失を充分検討しておく必要があると思います。この考えにはおおいなる反論あると思い
ます。今書いた内容は充分に検討したものでないので、議論の進め方には問題もあると思いま
す。
 問題ありそうなので氏名明らかにしておきます。
  竹内一郎
  e-mail fwiz3161@mb.infoweb.ne.jp
2004/6/14




日本の在り方5/夏至間近

 夏至すぐ近くになりました。それなのに本日の天候は。およそ日本の夏至とは思えないすば
らしい今日でした。昔むかし、仕事ですごしたトルコアンカラの夏あるいはブルッセルの夏を
思い出します。気温は高いのだけれど湿度が低く気中の水蒸気が少ないため空気が澄み渡って
おり日向、木陰のコントラストが強烈、ちょっと木陰にあうとほっとするそんな一日でした。
諸嬢、諸氏いかがでしたか。

 先日久方ぶりに投稿し、いささか乱暴な議論をいたしましたが、それはこれからの日本を我
々が考えていくためのひとつの取っ掛かりを作ろうと思ってのことです。もちろんそのなかに
自分の考えをわざと乱暴にいれてこれからの議論のたたき台をと思ったからです。現在なにも
反論なし、まったく拍子ぬけです。さすが皆さん老成されているというか、よけいなことにか
かわりやけどしたくない気持ちよくわかります。小生常にこのような余計な議論をして失敗ば
かりしています。しかしこの余計なことは、我々の子孫末代にかかわることでいずれあまり遠
くない未来に必然的に消滅する我々は、一度は真剣に議論しておく必要がある気がします。

 まず生ということ、このどうしようもない事実。生とは何か。全体のエントロピ-が増大す
るなかで局所的にエントロピを極小するように運動する物質とでもしておきましょうか。局所
的にエントロピ-を極小化しているためかえって何もなかったときより周りのエントロピ-を
増大させている存在ともいえます。生を有するものすべてが、それをおびやかすものに対し防
衛攻撃するしくみを有しています。人間とてこの原則から逃れることはできないでしょう。い
ま人間の存在を生命界のなかで特別のものと捉えるか、それとも他のものと平等なものと捉え
るかまず議論はここから始まると思います。絶対的に考えると多分人間は他の生物と何も変わ
らない同じものでしょう。しかしこれからは小生の偏見に満ちた主観ですが、やはり人間は生
物のなかで特別なものと規定します。これが無いとすべての議論が始まりません。

 さて今日生きる権利あるいは生存権なるものが声高に言われていますが本当にこんなものが
あるのでしょうか。生命を受けたということ、これはその存在を保証されたということではな
いはずです。だだ存在の可能性が生じたということです。生き続けるということ、これはその
意志と努力によります。生命の保証は本人の意思と努力によります。どんな環境、条件であろ
うとも同じことです。[権利の問題]ではなく[意思と努力の問題]であろうと考えます。
今日のところこれまで長い議論になります。暇をみつけながれ進めたいと思います。
2004//6/16
 

ツン読、乱読

 投稿者:α編集部  投稿日:2014年 3月 7日(金)17時30分35秒
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              ツン読、乱読  2003




紀元前2004年10月22日    2003/6/17

 紀元前2004年10月22日何がおきたか。久々に登場します。なんとこの日は天地創造の日だそ
うです。アイルランド人ジェームス・アッシャー大主教が、1649年まさにクロムウェル革命の
真っ盛りのときに長い間の研究成果としまとめた。それが1701年英国国教会の正式の祝福を受
け公式版の聖書に採用されました。その後の聖書に印刷され20世紀になってからもその日付け
は聖書に印刷されつづけたとのこと。これには、地球の年代は現在約50億年とされている。一
方宇宙の年代は現在のところ135億年と計算されている。これらの数値がここまで延びたのは
つい最近、20世紀も20年代を過ぎてからのことです。

 最近面白読んだ面白い本2冊紹介します。
1 『億万年を探る (時間の始まりへの旅)』 マーチン・ゴースト 松浦俊輔訳 青土社
2 『生命40億年全史』 リチャード・フォーティ  渡辺政隆訳  草思社

 読後感は読む人の立場によりどうにでも変わってくるが、小生には実に面白かった。さて諸
兄諸嬢にはいかがかな。世の中いろいろあるが全く無用のことたまにはいいものですよ。いま
地球上の各緯度における日照時間(もちろん晴雨関係なしの日の出と日没の差を)の計算式検
討中ほぼ間違いない結果が出てきた。こんなことどうでも良いが結果が出るとうれしくなる。
我はなんと単純だろうと笑ってしまった。




誤り訂正    2003/6/18

 とんだ間違いをしました。紀元前2004年はこちらに変更。
「紀元前4004年10月22日午後6時に天地創造がはじまった。」
すなわち宇宙開闢の日というわけである。昨夜投稿時4004と書いたつもりが2004となっていた。
多分題を入れた時点で間違ってそのまま思い込みとなってしまったのかな。ともかく宇宙開闢
の日を間違うなどとんでもないことまことに申し訳ありません。これは「億万年を探る」に書
いてあること。ま面白いから一読してもけして損はしませんよ。後半はちょっとむつかしかも、
前半だけでも実に面白い。




Now 2003 Jun.   2003/6/18

紀元前4004年からはや6007年めのいま、紀元前4004年10月22日とはなんであったか我々非CHR
ISTの輩にとってはなんでもない。要するに1649年日本では江戸時代の初め、徳川家光の時代
かともかく奇特な坊さんがいて当時入手可能なあらゆる聖書(旧約)を調査それと当時知られて
いたギリシャ史、ローマ史との関連から割り出した数字、こんなことある分けないもの。

小生が言いたかったこと
1.ま宗教的情熱というか思い込みというかすざましいものである。ある意味ではキリスト
   教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教のなんともいえない気味の悪さを感じる。
2.キリスト教の気味の悪さは、20世紀までそれが正式に公認されていたこと。
  今日イスラム原理主義なる言葉がありますが、キリスト原理主義もまだあります。どちら
  も始末に負えないしろもの。
  天地創造などだれも見たことがないものなれど、現在の物理学かなりの精度でこれを追求
  している。多分135億年+-? はそんなに誤ってはいないでしょう。
  ただ不思議なのはその前、ビックバンのまえ、物理学では回答しようがないとのこと、よ
  うは計算の条件がないとのこと。
  かのキリスト教の聖アウグスティヌスは答えています「神はなにもしていなかった」と。




(無題)   2003/6/20
T殿
 『生命40億年全史』これはなんというか英国の知性というかともかく百科辞典的でない面白
さ、さらに人間の葛藤、学者も免れない人間の業というものが小生は実に面白いと思いました。
養老孟司「バカの壁」をまだ読んでませんが多分面白いと思います。養老孟司氏は総合雑誌に
ていろいろ書かれております。基本的に賛同する所があります。
 ついでにぜひ『億万年を探る』」読んでみたらどうでしょうか。こいつはユダヤーキリスト
教のすざまじさ、押し付けの善意の根源が何となくみえるような気がします。これはなにもキ
リスト教に限らずイスラム教も同じです。しかしイスラムは本来より後に出てきた教え本来の
非情に柔軟な考えに貫かれています。現在のイスラム原理主義は本来のイスラムから離れてい
ると思っています。キリスト原理主義の余計な善意押し付け迷惑しごく。




オクシタニア(OCCITANIA)  2003/7/17

 近々読んだ本、『オクシタニア』佐藤賢一著をお勧めします。
佐藤賢一氏の小説なにしろ面白い。まさにやめられない。いままで「双頭の鷲」、「傭兵ピエー
ル」、「カエサルを撃」、「二人のガスコン」などを読んできたがなにしろ読み出したら止らない。
storyの面白さ、それに西洋歴史小説、ようするに小生が読みきれなかったヨーロッパ歴史と
いうものがなんとなくわかる。特にこの『オクシタニア』は、南フランス、ラングドックと北
部フランスの成り立ち考えさせるものがある。正統キリスト教(カソリック)と異端、ならびに
如何にしてカソリックが生き延びたかいろいろ考えさせられ、小生にとっては特にヨーロッパ
の中心といわれるフランスの歴史成り立ちをいろいろ考える。およそフランスはラテンなるか
ゲルマンなるか。(答えはまだあと)。それにしてもかの有名な「三銃士」での当時理解できな
かったガスコン人なる概念、実は「二人のガスコン」にもでておりますがまだよくわからなか
った。しかしこの「オクシタニア」を読むと理解できる。もう一度「ガリヤ戦記」読み直そう。




『森林がサルを生んだ』   2003/8/29

 表題の本、副題は「原罪の自然誌」河合雅雄著です。この本はずいぶん前に購入し一度読み
ましたが現在再読中です。世界的に有名なサル学者河合雅雄氏のこの本何度読んでも実に考え
させるところが多くあります。この著者には『人間の由来』上下、およびそのダイジェスト版
である『サルからヒトへの物語』などが一般向けにありますが、いずれにおいても人間の文化
についての霊長類学者としての発言にはいつも目が覚める思いがします。内容についてあえて
述べませんが興味のあるかたには是非一読をお勧めします。ここであげた著書いずれも古いの
で書店にはないと思います。図書館には多分あると思います。どうしてもという方にはお貸し
いたします。ただしあと2週間後からとします。というのは小生まだ読み終わっていません。

 今地球上の人類という種は猛烈な勢いで数を増やしています。その先に何があるか誰もわか
りません。そんなことを考えながらこれらの本を読むと背筋がゾクゾクする感じがします。
いかに考えるか、これは個人の感性の問題です。いずれにしても地球環境を考える際の土台と
なるでしょう。たまにはこんなこと考えるのも悪くないですよ。




辻邦生   2003/8/29
 Tea POT様の投稿をよみ辻邦生ファンとして、小生彼の小説が大好きです。
『夏の砦』は全く知りませんが、おもしろとおもったのは『背教者ユリアヌス』、『春の戴冠』、
『安土往還記』など澄み渡るような理性に貫かれているような思いがします。
なんだか本日2度も投稿




ツン読、乱読  2003/9/10

 9月になりました。本夏いわゆる盛夏は殆どありませんでしたが、このところの残暑よけい
こたえます。なにしろ夏ばてなどいまだ経験したことのない夏大好き人間だったのが、ことし
の夏初めて暑さに降参といったところです。歳ですか…。さてそんなわけで読みたい本あまた
ありますが全然進みません。読みたい・・・・読まねばならぬと脅迫観念となってイライラが
つのります。机の周りに本が積み重なっておちつかないこと。そんな中で乱読というかあっち
読みこっち読みの食い散らかしです。それでも『イタリアからの手紙』塩野七生著は軽く読み
通しできました。多分この本の初版はずいぶん昔とおもいます。小生の記憶では文芸春秋に連
載されていたようにおもいます。 当時これをみて塩野七生のファンとなったおもいがありま
す。なんでまた今頃とおもいますが、今読んでも面白い。
たとえば「法王庁の抜け穴」1949年6月28日 通告
次のものは、大罪を犯した者で、救いを得ることができない。
 (1)共産党に加入している者
 (2)いかなる方法によっても、共産党加入を勧誘した者。
 ・・・・
とある。
これから20年も過ぎないある日、コスイギンがヴァチカンを訪問し、法王パウロ6世と贈り
物を交換した。・・
などと実におもしろい。また、この本は活字が大きくて年寄り向きです。
 その他『イスラム世界はなぜ没落したか』(西洋近代と中東)バーナード・ルイス。この本に
はいろいろ共鳴するところがあります。なにしろこの著者は新保守主義(ネオコン)指導者な
そうです。(これに賛同する小生ネオコンなのかな)そんな色眼鏡でなく一読お勧めです。

 『オクシタニア』後記といきたいところですが、『ガリア戦記』の途中です。もっともこれ
はなんど読んでもわかりにくいのです。塩野七生の『ローマ人の物語Ⅳ ユリウスカエサルル
ビコン以前』を併読しながらでないと、とてもじゃないが読めません。それと『ラングドック
の歴史』、『異端カタリ派』(いずれもクセジュ文庫)、この2冊訳がうまくなく大変読みにくい。
まだ読了していません。
 も少し過ごしよくなったらまたがんばろうと思っていますが、果たしてそうなるか…。

 ラッキョさん元気そうで。また投稿してください。




本日10月20日、あれから3日    2003/10/20

 10月18日同期会たのしませていただきました。幹事諸氏に心より御礼もうしあげます。
当日の場所が神田でもあり、1時間の余裕を見て出発し、ここ数ヶ月ご無沙汰していた古書店
街を散歩するつもりででかけました。出かける前はただ見るだけと思っていたのですが、実は
文華堂書店でここ十年来探していた書物を発見し、後先考えもなく購入しました。そのあと[し
まった今日は飲み会のため出かけたのだ]ということに気づき、これはちょっとまずいな、も
しかしたらこの大事な本を何処かに忘れてしまうのではと気になってきました。
 そんなこんなで宴が始まり飲みだすといつものとおりとめどなく飲みだしすっかり本のこと
など忘れておりました。小生はもともと付き合いがよくなく、ヒトとざっくばらんな話するの
は苦手としており酒でも飲まないととても気後れして出来ない性分です。今回幹事諸氏の企画
よろしきをえて2次会のお茶ということになり酔いもさめ、無事本とともに帰宅できました。
3次会を皆さんで楽しまれたようですが、小生はめずらしく出席することなく帰宅したのです。
家内が目を丸くして驚いておりました。帰りの電車で高校時代のマドンナとばったり会いまた
また楽しい思いをいたしました。

 さきに書いたように小生もともと付き合いよくないほうですが同期会高校、大学とあります
が生活のなかでプライオリティ第一においております。なんでだろう、ともかく理屈ぬきにこ
の会合は気持ちに安らぎをおぼえます。これからも長く継続するようできる限りの協力をした
いと思っています。幹事諸兄ご苦労さまでした。




人生折り返し  2003/10/24                       人生

 さて人の事はあまり言えません。小生60歳で停年退職再就職したりして現在freeですがその
間読んだ本を記録していたら、約70冊(専門書を除く)でした。多か少ないかわかりません
が、じっと周りを見るとまだまだ読んでいない本が我が本箱に山とあるます。このペースでい
けばたぶん90歳までには読みきれないかもしれません。それでも毎月本が増えていくのです。
これどうなっているのでしょう…。 斜光のクラブに読書会なるものがあるそうですが小生の
趣味と全くあわず同席する気にはなりません。読んだ70冊のリストを添付したいのですがど
うもここではファイル添付はできないようで。くだらないたわごと一つです。




年の瀬   2003/12/19

 12月も半ば過ぎ年末という思いです。恒例の塩野七生、『迷走する帝国―ローマ人の物
語XIIローマ人の物語XII』を本日入手し早速読みだしました。まだ日本航空機年鑑をまだで
すが。年末はこの『迷走する帝国』と最近購入した中西輝政氏の『国民の文明史』この2冊で
手一杯になりそうです。 12月15日家内の母が亡くなり本年の年賀状失礼いたします。『国民
の文明史』を、母の葬儀のため佐賀への往復の車中でほぼ半分ほど読みました。何かとあわた
だしい日々のなか、旅行途中の時間まったく読書にはありがたい時間です。私的に旅行すると
きは可能な限り列車で旅し読書にあてる、悪くないですよ。九州までは、ほとんどのかたが飛
行機だと思いますがたまには新幹線で5時間かけのんびりと「ビールと読書」も悪くないです
よ。

 

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